第8話 月下
ヴェルナーは月を眺めていた。夜が明ければ処刑される。最期に美しいものだけを見ていたかった。
未練はある。悔しくないはずがない。もしも両手が自由に使えて、目の前に王が現れれば迷わず絞め殺すだろう。
絞首刑にされた家族には申し訳ないと思う。事情はどうあれ、父と母と妹は自分に巻き込まれたのだ。
死んであの世とやらに行けば詫びる機会もあるだろうかと考えたが、ヴェルナーは神の奇跡で復活出来る身、言い換えれば完全には死ねない身である。処刑されて遺体が冷凍保存されるとなれば、魂は現世に留まり続けることになる。死後の世界に望みを託すことすら出来なかった。
先の事を考えるのも苦痛になり、ぼんやりと月を眺めていると光の中に黒い点が浮かび上がってきた。
それはどんどん大きくなってくる。そのシルエットは鳥か、いや人間か。超高速で翔んで来る、エヘクトル軍幹部の鳥人間アクイラであった。
塔の壁を蹴り壊してダイナミック入室。凄まじい破壊音、積み重なる瓦礫。立ち上る砂煙の中で、アクイラは楽しげに笑って見せた。
「よっ、元気?」
ヴェルナーが答えるよりも早く、見張りの兵が牢へ飛び込んで来た。
「何だ貴様ッ!?」
勇敢にも剣の柄に手をかけるが、抜く前にアクイラの細く大きな手が兵の頭を文字通りの鷲掴みにした。
「うるさい、邪魔だ」
ぽいっ、と兵はアクイラが開けた大穴から放り出された。絶望の悲鳴が遠ざかり、ぷつりと途絶えた。一人の命があっさりと奪われ、何事もなかったかのように静寂が戻る。玉座の間でヴェルナーを殴りつけた兵だと気付いたが、ざまあみろとほくそ笑むような余裕も無かった。
「一体、何の用だい?」
「御大将がな、良いワインが手に入ったから彼を食事に誘ってみてはどうかと言い出すもんだから、
アクイラはどこまでも軽い調子で聞くが、この誘いに乗るということは自分の意思で人類側から離れ魔王軍に付くということである。まさか本当に飯だけ食ってさようならとはいかないだろう。
エヘクトル城を出た時とは状況が違う。王都に戻って聖騎士の末裔としての使命も、仲間も全て失った。誇りも、尊厳も、愛も、全て奪われ踏みにじられた。もはやこの国にヴェルナーを縛り付けるものは何も無い。
「ありがとう、ここ数ヵ月まともな食事をしていなくてね。是非お受けしますと伝えて欲しい」
「よっしゃ、決まりだな!」
アクイラの体がふわりと浮かび上がり、鋭い足でヴェルナーの両肩を掴んだ。正直なところ爪が食い込んでかなり痛い。家族が受けた痛みに比べればこんな些細なことで文句を言うべきではないだろうと、歯を食いしばって黙っていた。
「それじゃあ飛ばすぜ。忘れモンとかないよな?」
「……王の首かな」
きょとんと一瞬の間を置いて、アクイラはゲラゲラと笑い出した。
「そいつは後で取りに来ようぜ。行くぞ!」
アクイラは
エヘクトル軍最速の男を自称するだけあって、飛行速度はかなり速い。これならば数日でエヘクトル城へたどり着くだろう。
王都はすぐに小さくなり、見えなくなった。
「どうしたぁ! もうお家が恋しくなったか!?」
風に負けぬよう、アクイラが大声で話しかけてきた。
「あんなちっぽけな所に囚われていたのかと思うと、情けなくってねえ!」
「泣いちまえよ、月しか見てねえぜ!」
「随分と詩的なことを言うもんだな!」
「俺はエヘクトル軍で一番ロマンチックな男だからな!」
またアクイラは一人でゲラゲラと笑いだした。
ヴェルナーは顔をあげて、見えなくなった故郷をじっと見ていた。
「さようなら。僕は自分の意思で故郷を捨てて、君たちの敵になる」
その呟きは風にかき消され、誰も聞く者はなかった。
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