第11話 人類を売った日
大浴場を出て用意された新しい衣服を身に着けると、囚人時代に見知ったメイドが迎えてくれた。
「御大将がお待ちです。こちらへ」
相手が囚人でも落ち武者でも変わらぬ態度のレイチェルであった。
また会えて嬉しいよ、とでも言いたかったのだが、仲間も家族もプライドも全て失って転がり込んで来た身であり、良いと思える要素がひとつもない。
結局『あ、どうも……』としか言えず、後は黙って付いて行くしか出来なかった。
女性と話すことが得意というわけではないが、そこを差し引いても酷すぎる。
何か話さなくては、話題は無いかと悶々と悩むうちに食堂へ辿り着いてしまった。レイチェルが両開きの扉を開けると、白く眩い光が薄暗い廊下に射し込まれた。
豪華なシャンデリア。大理石の壁と床。中央に円卓が置かれ、その奥に城の主がどっしりと構えていた。
「お帰り、ヴェルナー。待っていたよ」
厳つい顔に優しい笑みを浮かべる巨人、エヘクトルである。
(お帰り、か……)
ヴェルナーの帰るべき家、本来の居場所はここなのだと、そういう意味で言ったのだろう。そのつもりで来たのだから構わないが、王都に自分の居場所はもう無いのだと思えば寂しくもある。そんな未練がましさも、いつか時間が解決してくれるのだろうか。
「生き恥を
なんとも言えぬ感情を抱いて頭を下げるヴェルナーに、エヘクトルは着席するよう促した。
レイチェルが引いてくれた銀の装飾が美しい椅子に座ると、まずは湯気の立つ熱いスープが運ばれてきた。
何故こうまで厚遇してもらえるのかとヴェルナーは少し不気味に感じていたが、これは彼の最近の扱いが悪くて卑屈になっていただけであり、エヘクトル側からすればむしろ当然であった。
この世で唯一魔王に対抗し得る存在、聖騎士の末裔。人類側の英雄を引き抜けるかどうかという状況である。城ごとくれてやっても惜しくないくらいの美味しい話だ。城主自ら歓待することに不自然なことは何もない。
ヴェルナーはスープの皿を凝視したまま手を付けようとしなかった。
「どうした、人肉など入っていないはずだぞ」
エヘクトルの笑いづらいジョークには答えず、ヴェルナーは意を決して顔をあげた。
「食事の前にひとつ、お聞きしたいことがあります」
「聞かなければ、食卓を囲む友人にはなれないと?」
「はい。恐れながら、僕が解放された時にエヘクトル様は僕の家族が処刑されるということをご存知でしたか?」
「ふむ……」
エヘクトルは指先でテーブルを叩きながらしばし考えていた。
「そうじゃないだろう?」
「え?」
「君が聞きたいのは、お前が裏で糸を引いて処刑させたんじゃあないか、ということではないかね?」
「……はい。食事に招かれておきながら非礼に非礼を重ねる行為と承知していますが、これだけは何としてもお聞きしなければなりません」
ヴェルナーの声は震え、青ざめていた。立場が悪くなってもいい、殺されたっていい。この場で戦うならば受けて立つ。ゴブザブロウと仲良くなったとか、レイチェルと再開できて嬉しいとか、そうした浮かれ気分は全て吹き飛び、覚悟を持って魔人を見据えていた。
ヴェルナーの態度にエヘクトルは気分を害したりはしなかった。こうした気概を持った男は、納得さえすれば最も頼もしい味方となり裏切りはしないものだ、と。
「私がアクイラから聞いたのは、王が君たちを疎ましく思っている、ということだけだ」
「そう、ですか……」
疎ましいからこそあんな扱いをしたのだろう。今さらと言えば今さら当然な話であるが、第三者の口から改めて語られるとショックが大きい。
国のため、民のため王のために必死に戦ってきた。また、王にしても聖騎士の末裔たちがいなければ魔族に対抗出来ないということは理解しているはずだ。
「君は小心な権力者の考えというものが理解出来ないようだね」
「わかりません。どうして、こうなったのか……」
「たとえば、たとえばだよ。聖騎士の末裔、勇者一行が我ら四天王全員と魔王様を討ち果たし人間が支配する世界を作り上げたとしよう」
エヘクトルは世界を救うとは言わなかった。魔王を倒して出来上がるのは人間の為の平和な世界だ。人間に従う一部の魔物だけは生かしてもらえるかもしれないが、それを平等と呼ぶほどヴェルナーは傲慢ではなかった。
「さて、民衆が讃えるのは王か英雄か、どちらだと思うね?」
「それは……、英雄を讃えるのではないかと」
「だろうね。王の名は記録に残るが、英雄の名は記憶に残る。民衆の熱気は全て英雄たちへと向けられるだろう。そうなると王としては心穏やかではいられない訳だ」
まだヴェルナーはいまいちピンと来なかった。
「王は不安になる。民衆は英雄に新たな王となることを望み、自分は引きずり下ろされるのではないかと。政治的な駆け引きか、あるいは力ずくか。いずれにせよ勝ち目は無いだろうな」
「待ってください。僕らにそんな野心はありませんよ。政治だの宮廷だのと面倒くさい。政治を行うための教育も受けてはいません」
「君の本心がどうかは関係のないことだ。重要なのは王がそう疑っているという点だ。他人の心を覗く手段など無いのだから、疑い出せばキリがない」
確かにヴェルナーにも疑わしい部分はあった。答えに
エヘクトルの言葉が正しければヴェルナーたちは以前から疎まれており、捕えられたことなど処分する口実に過ぎなかったということか。
「王は主従関係や上下関係というものを明確にしておきたかったのだろう。聖騎士の末裔たちは王の命令によって魔王討伐に出たのであり、全ての名誉は王に帰するものであると。民衆の支持と賛美が王に向けられたならば簒奪されることもあるまい、とな」
「そんなことの為に僕は
「権力者にとっては死活問題だよ。実際、一連の騒動によって王は英雄を罰することが出来ると内外に知らしめた。残された聖騎士の末裔たちは仲間内から裏切り者を出したことで立場を危うくし、しばらくは肩身の狭い思いをして王に逆らえなくなるだろうね。全てが王の思いどおりだ、君が脱走したこと以外は」
権力の地固め、家族はその人柱にされた。
エヘクトルの口から紡ぎだされる言葉はパズルのピースとなり、ひとつひとつ正確にはめられる。見えてきた絵はあまりにも醜い権力闘争であった。
「さて、私への疑いは晴れたかな?」
冗談めかして言うエヘクトルに、ヴェルナーは深々と頭を下げた。
「無礼な質問にも関わらず丁寧なお答えを頂き、ありがとうございます」
「いいさ。では、食事を始めよう」
「田舎者ゆえテーブルマナーなど知らず、
「構わぬよ。私もこの通りの図体だ、細々とした動きは苦手でね。スープはこうして飲むに限る」
エヘクトルは笑いながらスープ皿を両手で持ち上げた。ヴェルナーもそれに倣う。少しぬるくなったスープを一気に飲むには確かにこれが一番楽であった。
こうしてヴェルナーはエヘクトル軍の一員として認められた。
王が愚劣な人間であることは確かだが、かといってエヘクトルの言葉が全て真実であるとは限らない。
(こいつは、たらしだな……)
甘い言葉、こちらが望んでいる言葉を的確に出してくる。それだけに、どこかで思考を誘導されているのではないかと警戒していた。
(ま、いいさ。それでもいい)
それに、動揺で指先が震えているのを誤魔化す言い訳に付き合ってくれるような男だ。嫌いにはなれなかった。
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