第4話 みのむし
エヘクトル城から一番近い人里まで歩いて一週間ほどかかる。ここへ来る時は仲間と一緒だったが、今は一人だ。薪や水を集めるのも、魔物と戦うのも一人でやらねばならない。
幸いと言うべきか、ヴェルナーは魔術師であるが故に武具が無くともある程度は戦うことが出来る。敵が複数現れても広範囲魔法で対処出来るが、大量の魔力を消費するので
何度か戦って、木の上で休む。その際も簡易結界を張り警戒しながらなので、まともに眠れなかった。
村へ辿り着くのに十日もかかり、髭は延び放題で身体は泥だらけで異臭を放っていた。駐在する兵士に止められて、川で身体を洗わなければ村に入れてもらえなかったほどだ。
馬小屋と見分けがつかないような宿で三日ほど泥のように眠り、出所の怪しい路銀を使い果たした。
魔物退治の仕事でもないかと顔見知りになった兵士に相談すると、魔王軍幹部の城が近いこともあってか、そうした仕事には困らなかった。兵士はにやりと笑って詰め所へと手招きし、バランスの悪い机の上にびっしりと文字らしき物が書かれた羊皮紙を広げて、
「で、どれがいい?」
などと言ったものだ。
こうしてヴェルナーは時に森へ、時に洞窟へと行き強大な魔物を討伐した。一人なので時間はかかったが、なんとかやれないこともなかった。
いっそのこと戦いの中で死んでしまえば王都に戻れる、
いくつか依頼こをなしたのだが、ひとつ問題があった。報酬が恐ろしく安いのである。王都でギルドを通した仕事ではないので相場から外れるのは仕方がないにしても、大型の魔物を倒して銅貨数枚というのは異常である。汚職役人が上前を
もう少しなんとかならないのかと兵士に相談すると、彼はひどく申し訳なさそうにして語った。王都からこの村の防衛の為に出される費用は恐ろしく少ない。そもそも王都はこの村を見捨ててもう少し先の砦を対魔王軍の防衛ラインとする方針であった。彼らは村を守るために無理を言って魔王軍を見張る為に駐在するという形にしてもらったらしい。そうした経緯があるため、予算を都合して欲しいと強く言えないのだそうだ。
村を捨てれば家も畑も家畜も、全て失うことになる。新たな生活基盤を築くことも出来ずに物乞いとして生きるしかないかもしれない。残るべきか去るべきか、それは村人たちにとって死活問題だ。安全な王都に住む人々が言うように、凶悪な魔物がいるのだから移住するのが当たり前とはいかないのだ。
ヴェルナーにもそうした事情は理解できる。村を守りに来た兵士たちを立派だとも思う。しかし自分がタダ同然でこき使われることに納得できるかといえば話は別だ。王都に帰らねばならぬ理由もある。
まだ厄介な魔物は残っていたが、村人や兵士たちの制止を振り切って旅立つことにした。
去り際に背後から、
「聖騎士の末裔も所詮は金か……」
といった声が聞こえて怒りが沸いてきたが、なんとか抑えて無視して立ち去った。
(僕にだって事情も都合もある。選ばれた人間を便利な道具とでも思っているのか……)
舌の奥に苦い後悔だけが残った。たった一人で多くの強敵を打ち倒し、手にした物は擦りきれた銅貨と村人たちからの恨みだけだ。
仲間たちと再開して笑いあえば、こんな鬱々とした気分も晴れるだろうか。そうと信じて前へ前へと歩き出す。
何故か仲間たちの笑顔というものを脳裏に上手く思い浮かべることが出来ず、想像の中で彼らは黒く塗りつぶされた顔でヴェルナーを
砦を抜けると目に見えて魔物の数が減ってきた。魔力を消費しないで済むのはありがたいが、旅の疲れが出たのか発熱し、適当な洞窟を見つけて数日寝込むことになった。
次の街はまだ遠い。ついでに金もない。
(僕は何をやっているのだろう……)
暗闇のなかで寒さに震えていると、我が身の惨めさだけが膨らんでいく。
自分を動かしているものは何だろうか。使命か、それとも義務か、あるいは
エヘクトルの城に残っていればよかった、などと考えてはいけないのだろう。それは人類に対する裏切りであり、エヘクトル自身から釈放だと言われたならば残れるはずもない。
氷のナイフで太い枝を切り、削って杖とした。下痢と嘔吐感に悩まされながら杖に身を預け、また歩き出す。王都に行けばそこに自分の居場所がある。確信というよりも、祈りに近い想いであった。
二ヶ月かけて歩き続け、ようやく王都へと辿り着いた。ヴェルナーの目にそれはあまりにも眩しく、黄金の城であるかのように見えた。
安心して倒れそうになるが、なんとか足に力を入れてこらえた。こんな所で野垂れ死にしたのではあまりにも情けなさ過ぎる。最後まで、自分の足で歩こう。
(帰ったらまず伸び放題の髭を剃って、熱い風呂に入って髪も切り揃えよう。ぼろぼろの服も新しいのに取り替えて、とにかくもう全身さっぱりしたい)
考えるだけで楽しくなって、数ヶ月ぶりに自然と笑みが浮かんできた。
また門番に止められるのではないか、という不安はある。この姿で聖騎士の末裔、氷の魔術師ヴェルナーだと信じてもらえるだろうか。不審者だと思わないほうがどうかしている。それほど酷い格好だという自覚があった。
それも仲間たちに証言してもらえばなんとかなるだろう。場合によっては城門を丸ごと氷付けにしてやる。そこまでやれば信じざるを得ないはずだ。
わずかに軽くなる足取り。城門へ辿り着くとそこに
それは全裸で首を吊った男、女、子供。
それはヴェルナーの父、母、妹。
「……え?」
わからない。何が起こったのかまるでわからない。理解することを、理性が拒否していた。必死の思いで王都へ戻ったヴェルナーを迎えたのは、土気色の顔で舌を出した家族だった。
熱いものが胃をせり上がり、消化しきれぬ雑草が胃液と共にぶち撒けられた。
「なんて格好をしているんだよ。そんなところに昇っちゃダメじゃないか。リリィ、降りられないのかい? 今、そっちに行くから待ってて……」
妹の名を呼び前へ進もうとするが、理性がそれを拒否して足が動かない。上半身だけが前につんのめり、その場に倒れてしまった。身を起こそうとするが、指先が土を抉るだけで上手く立つことが出来なかった。
上手く呼吸が出来ない。大きく口を開いてなんとか空気を取り込もうとしていると、急に舌が痺れて動かなくなった。『魔法封印』の魔法だ。普段ならば確実に抵抗出来るのだが、今は心が隙だらけで簡単に通してしまった。
口を開き、舌を突き出したまま振り返るとそこに見慣れた三人の男女がいた。
勇者ラルフ。
戦士マックス。
そして先端に宝石の付いた杖を構えた僧侶、ヘルミーネ。魔法封印をかけたのは彼女だろう。
その場に倒れ込み、言葉を発せず、困惑し絶望するヴェルナー。マックスが無表情で進み出てヴェルナーの
ヴェルナーの意識はそこで途切れた。結局、自らの足で王都へ辿り着くことは叶わなかった。
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