第3話 悪意の胎動

 私室にてエヘクトルは翻訳された古文書を熱心に読みふけっていた。コンコン、とノックの音で顔をあげると、返事を待たずにドアを開けて壁にもたれかかる男の姿があった。


「よう、大将。ちょいと無用心じゃねえの」


 エヘクトル軍幹部、アクイラ。鷲の頭に人の身体をした男だ。


「坊やの書いた本に夢中かい、嫉妬しちゃうねえ。そんなに面白いのか?」


「面白いかって? ああ、実に興味深い。三千年前に滅んだ文明がいかにして疫病に立ち向かったかという記録でね。どうも彼らは免疫を付けるために病で死んだ者の肉を食らっていたそうだ」


「アホか。病死者の肉なんてグールの餌にしかなりゃしねえ。抵抗力の無い人間ならなおさらだ。集団自殺でもしたかったのか?」


「今よりもずっと迷信が蔓延はびこっていた時代だ。きっと彼らは真剣に病を祓おうとしていたのだろう。歴史を語るに、現代の知識を持って嘲笑うのは良くないぞ」


 優しく言い含めるエヘクトルに対し、アクイラはつまらなさそうにクチバシをパクパクと開け締めしていた。


「大将、たまには俺ともおしゃべりしようぜ。面白い話を仕入れてきたからよ」


 王都のスパイから聞いた話だが、と前置きしてからアクイラは楽しげに語り出す。エヘクトルは本を閉じて黙って聞いていた。その顔に浮かぶのは好奇心と微かな不快感。


 エヘクトルは指先で黒塗りの机を叩き、考えながら口を開いた。


「間違いなく、奴らの関係に変化が生じる。我々は如何いかに介入するべきだろうか」


「傷口に手を突っ込んで拡げてやりたいよなあ。その手段までは思い付かなねえけど」


「ふむ……。ならばいっそ、放つか」


「え?」


 普段から策士と自称するアクイラであるが、この時ばかりはクチバシを開きっぱなしであった。




 ヴェルナーは足音だけでそれが誰のものか判別が付くようになっていた。騒がしいゴブリン三兄弟。規則正しいレイチェル。重厚なエヘクトル。今日は珍しくその全てが同時に聞こえてきた。少し離れて見慣れぬ鳥人間が腕を組んでいる。


(こんなに大勢で来るとは珍しいな……)


 基本的にゴブリンの見回りか、レイチェルが食事を運んでくるか、エヘクトルがゴブリンを引き連れてやって来るかの三パターンだけだった。


 古文書の解読もキリの良い所まで進んでおり、今日は良い報告が出来そうだと思いながら鉄格子に近付くと、何故かエヘクトルは座ろうともせず、厳つい顔に優しげな笑顔を浮かべることもなく、冷たい視線を投げかけていた。


「ヴェルナー、君を釈放する」


「へ? あの、何故ですか!?」


「魔族が人間を処刑するにも釈放するにも、理由を説明する義理があるかね」


「それは、そうですが……」


 人と魔族は不倶戴天ふぐたいてんの敵である。エヘクトルが突きつけたのはそんな当然といえば当然の話であった。今さら傷付く方がどうかしている。


 だからといって、今まで築いてきた友情や信頼といったものをいきなり投げ捨てられたのでは釈然としないものがあった。


 語るべき言葉も失い呆然と立ち尽くすヴェルナー。ゴブザブロウが牢の鍵を開けて出るように促した。何か言いたげな視線を送ってきたが、結局何も言わなかった。主の意向によって囚人を釈放という時に個人的な雑談をするわけにはいかないということか。粗野そやなようでそういう所は意外に弁えているらしい。


「次に会う時は敵同士ですね」


 そう言って右手を差し出すと、エヘクトルは苦笑いを浮かべた。


「そいつは問題行動だな」


 などと言いつつも、ヴェルナーの何倍も大きな手で握り返してくれた。握り潰そうとするわけでもなく、熱く優しい手であった。何故今になって釈放するのか、そうした疑問はひとまず置いておくことにした。


「どうぞこちらへ」


 レイチェルの案内に従い後に付いて行った。ヴェルナーは振り返らず、エヘクトルも呼び止めはしなかった。それがこの場における礼儀と考えていた。


 城内では多くの魔物とすれ違い殺気のこもった眼で見られたものだが、特に襲われるということもなく城門へとたどり着いた。


 貴重な武具はさすがに返してはもらえなかったが、代わりにちょっとした路銀と水筒と食料をもらえた。伝説と呼ばれるほどの武具の代金としては安すぎるが、魔族が人間を捕虜とした時の扱いとしては破格と言っても良い厚遇ぶりだ。


「ヴェルナー様、道中お気をつけて」


 レイチェルは明るく魅力的な笑顔を浮かべていた。どんなつもりで彼女は笑っているのか、それを考えると胸が痛くなってくる。


(厄介者が居なくなって精々しているのか、本当に僕の無事を祈ってくれているのか……)


 ありがとう、と呟くように言って背を向けて歩き出した。


 自分には聖騎士の末裔、人類の英雄としての使命がある。この数ヶ月の交流は泡沫の夢であった。


 そう思うしかない。

 そう思い込もうと努力はした。

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