第30話 闇夜の強襲

 血と臓物が飛び交い、怒号と悲鳴が響き渡る砦から少し離れた森の奥。エヘクトルの本陣として大きなテントが建てられていた。


 エヘクトルは玉座代わりに積んだ人間の死体に腰を下ろし、矢継ぎ早にもたられる部下の報告を上機嫌で聞いていた。


 侵攻は順調。聖騎士の末裔がひとり暴れているようだが、これも長くは持つまい。無理はせず遠巻きに囲みじわじわと削り殺せと指示を出した。


 城壁を無力化したヴェルナーの功績は大きい。今回だけではない、この先の砦全てを落とせる算段がついたということだ。敵も無防備なヴェルナーを狙って来るだろうが、こちらも護衛を増やしてやれはいい。場合によってはエヘクトル自ら守ってやってもいいくらいだ。それだけの価値がある。


(届くか、王都へ……ッ)


 夢と野望が現実的なものへと変わり、胸の内がむず痒いような、おかしくもあり楽しくもあるといった気分であった。


 伝令のガーゴイルと入れ替わるようにお気に入りのメイド、レイチェルがテントに入った。


「やあレイチェル。ヴェルナーの様子はどうであった?」


「疲労困憊で指一本動かせぬご様子でしたが、魔力回復ポーションを使ってまた出撃なさるおつもりのようです」


「あまり無理はさせたくないのだがな、聖騎士の末裔どもに対抗するためか。護衛を付け目を離さぬようアクイラに伝えておこう」


「ありがとうございます」


 レイチェルはまるで我が事のように礼を言った。


 ふと、エヘクトルに疑問が浮かんだ。


「指一本動かせぬのに、どうやってポーションを飲んだのだ?」


「それは……」


 あまりおおっぴらに言うようなことでもないが、城主の求めである。報告しないわけにはいかなかった。


 口移しで飲ませたのだと説明をすると、エヘクトルは膝を叩いて笑い出した。


「なかなか思いきったことをするものだ。それで、誰の入れ知恵だ?」


「以前アクイラ様より、機会があったらやってしまえと様々な手管てくだを伝授されまして……」


「笑える話の裏にはいつもあいつがいるな。いや、今回に限ってはよくぞやってくれたと言うべきか」


 今さらヴェルナーが裏切るとは思えないが、彼を縛る鎖はいくらあってもいい。


「レイチェル、この戦いが終われば君をあの若き英雄に嫁がせる。構わないね」


 政略結婚の意味合いが強く、城主がメイドに確認するような話でもないが、エヘクトルはあえて聞いた。


「はい。いつの世も女は、強くて優しい殿方に惹かれるものにございます」


 と、レイチェルは優しく微笑んだ。


 ヴェルナーが以前から自分に好意と、さらに言えば劣情を抱いていたことは知っている。


 彼の部下に対する優しい振る舞いはずっと見てきた。

 悩みながらも覚悟をもって突き進む姿も見てきた。

 この日、圧倒的な力を見せつけられた。


 魔族の女として、あの男を愛し愛されて生きることはきっと幸せなことだろう。


 つい先程の大胆な振る舞いも、決してアクイラに吹き込まれただけでやったわけではない。ヴェルナーを愛しいと思えばこそである。思い返せば少し恥ずかしいが。


「強い、だけではダメか」


 エヘクトルが意外そうに言った。魔族の感覚としてはこれが当然であった。


「強さに憧れはしますが、人生の伴侶とするならばそれだけでは」


「ふぅん……」


 理解は出来ないが本人が良いと言うのであればそれでいいだろう、といった様子でエヘクトルは唸った。


 レイチェルは急に不安げな表情を浮かべて目を伏せた。


「後はヴェルナー様が私を受け入れてくださるかどうかが問題ですが……」


「驚きはするだろう。だがその上で受け入れるのではないかね。あれはそういう男だ」


 テントの外から喧騒が聞こえた。エヘクトルは表情を引き締めて立ち上がり、レイチェルはテントの端に寄った。


 勢いよく投げ入れられる魔物の死体。エヘクトルが腕で払うと、それはバラバラに砕け散った。


 植物型の魔物だ。幹部の一人、木賢人フィニカス。彼の身体は黒焦げにされて脆くなっていたようだ。


「無能が……」


 敵よりもまず、味方の不甲斐なさに腹が立った。


 直接戦闘能力が低いとはいえ、幹部をこうも容易たやすほふれる者などそう多くはない。エヘクトルはその男の襲撃を予想し身構えた。


「うおおおおお!」


 気合いと共に風のように入ってきた男、勇者ラルフ。宿敵の頭を幹竹割りにするべく剣を振り下ろした。


 エヘクトルは硬化した左腕で剣を受けた。激しい金属音、火花が散って奇襲は防がれた。


 次の瞬間、エヘクトルの全身に雷撃が走った。


「ぐぅ!」


 これぞ勇者の力、防御不能の必殺剣だ。斬られれば傷口から魔力を流し込まれ、防がれても雷を落とすことが出来る。剣と魔法をバランスよく使えるというのは彼にとって中途半端という意味にはならない、独自の戦闘スタイルへと繋がっていた。


 並の魔物であればこの一撃で終わっていただろう。しかし、相手は巨人族のエヘクトルなのだ。身構えていれば耐えられないことはない。


 肌が焦げて身体中から白煙が立ち上るが、エヘクトルは怯まず右拳をラルフの腹へと叩き込んだ。


 ぐぅえ、と蛙が潰されるような声がしてラルフの身体はテントの外まで吹っ飛ばされた。


 これも並の人間ならば内臓が破裂し、血とも肉片とも判別つかぬ吐瀉物にまみれながらのたうち回るところであっただろうが、ラルフは脂汗を流すだけで立ち上がってきた。


 勇者としての耐久力。そして後方から強力な回復魔法を唱える者がいた。僧侶ヘルミーネだ。


 エヘクトルはゆっくりと歩を進める。痛みと威圧感でラルフは気を失いそうになったが、気合いでなんとか耐えた。


「これはこれは、聖騎士の末裔がお揃いで」


 ラルフたちに注がれたエヘクトルの視線は、完全に狩る者の眼であった。


「総大将を倒せば魔物どもは退くだろう、砦は救われるだろうと考えたわけか。いや、素晴らしい。実に勇気ある行動だ……」


 誉められているわけではない。エヘクトルは追い詰められてなどいない。エヘクトルの言葉に含まれるのはあからさまな嘲笑、侮蔑であった。


「不可能であるという点を除けばなあ!」


 人間同士の戦いであれば本陣奇襲もいいだろう。しかし魔族の地位はイコール実力である。これは奇襲などではない、敵の最も強大な部分に少人数で攻め込んだ、ただの暴挙にしか見えなかった。


 ラルフとヘルミーネは武器を構え直した。


「やってやるさ。それが勇者の使命だ!」


「勇者、勇者か。思考停止の道具としては便利な言葉だな!」


 エヘクトルは両腕を広げて突進した。掴まれればそれでおしまいだ。ラルフは攻撃を諦め、転がるように回避した。


 勢いのままに大木をなぎ倒したエヘクトルの背に、真空の刃が迫る。ヘルミーネの唱えた風の魔法であった。


「小賢しいわ!」


 振り向きざまにエヘクトルは風の刃を腕で払った。皮膚が軽く切れるが、すぐに泡立ち修復してしまった。


「化け物め……ッ」


 ヘルミーネが聖女の肩書きに相応しからぬ顔で舌打ちした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る