第43話 波の音を聞きながら
港で騒ぎが起きていた。
ある貴族が自前の船で国外へ脱出しようとしたのだが、港は閉鎖され船は全て王家が接収しようというのだ。
伯爵家の家令らしき壮年の男が港の入り口を封鎖する兵士に怒鳴り散らしていた。
「そこをどけ雑兵! 貴様ごとき、どこにでも飛ばせるのだぞ!」
「誰も逃がすなと国王陛下からの厳命にございます。お引き取りを。どうしてもと言われるのであれば陛下のお許しを得てからにしてください」
「その陛下と面会が出来ぬのだ! 忙しいの、気分が優れぬのと、全て拒まれる! ああ、港の封鎖もどうせユルゲンの指示だろうよ、操り人形に考えられることではないわ!」
家令の暴言に対し、兵士はただ苦笑を返すのみであった。
「とにかくここを通せ。伯爵をお待たせしているのだぞ。それがどれだけ罪深いことか、それすらわからんほど貴様は無能か!?」
家令が冷や汗を流しながら振り返ると、そこには馬車が十輌ほど並んでいた。待たされている馬さえも苛立っているようだ。
「厳命でございます。手に余るようであれば斬れとのお許しも得ています」
兵士も我慢の限界が近いようだ。家令を睨み付けながら白刃を抜いた。さすがに剣を向けたりはしなかったが、家令は飛び退いて腰を抜かした。
それを見て伯爵家の私兵、用心棒たちが駆け寄って来た。兵士にも援軍がやって来る。港に一触即発の殺気が溢れだす。
「はいはい、そこまで」
両者の間に薄汚い格好の男が割って入った。そしていきなり兵士を殴り付け、兵は派手に後ろへふっ飛んで戦友に受け止められた。
「どなたか存ぜぬがご協力感しぶべぇ!」
味方と勘違いした用心棒も殴られた。
男は面倒くさそうに周囲を見渡した。何気ない動作であるが、死線を何度も潜り抜けてきたはずの兵士たちも用心棒たちも威圧されて動けなかった。
「だ、誰だてめぇは!?」
「おいおい、城勤めの兵隊が聖騎士マックスを知らないとはどういうことだ。泣きたくなってくるぜ」
「マックス……?」
この兵士は聖騎士の末裔たちが旅立つ日の儀式に参加していた。城内で彼らを見かけたことも何度かある。その記憶と今のマックスの姿がどうにも噛み合わなかった。
マックスは山籠りの修行を終えて降りてきたばかりである。
「いいじゃねえか、逃げたい奴は逃がしてやれよ。どうせこの国はおしまいだ」
タブーとされていた言葉を、よりによって聖騎士の末裔があっさりと口にした。兵士は思考停止して固まり、すぐに顔を真っ赤にして殴りかかった。
「この敗北主義者が!」
鋭い右ストレート。しかしマックスは石を拾うのと同じような気楽な動作で兵の右手首を掴んだ。
「もうやめとけって。ここから逆転の目なんかありゃしねえよ。あんたもそれはよくわかっているんだろう?」
「貴様らがだらしないからこうなった! それを、よくもぬけぬけと!」
「その点については悪かったよ。身内に足を引っ張られながら戦うなんて俺にはとても出来なかった」
みしり、と兵士の手首から軋んだ音がした。これ以上、力を入れられると確実に潰される。兵士の顔が恐怖に歪んだ。
対してマックスはへらへらと笑っているようで眼だけが笑っていない。まるで深淵の底を覗いているような暗い眼をしていた。
「なあ、教えてくれよ。俺はどうすればよかった? それともあんたが今からエヘクトルを討ち取って、奴らを撤退させてくれるか?」
「ひいい! 離せ、離してくれ!」
無意識のうちにマックスの手に力が込められた。兵士の手首は血流が止められ、右手は膨らんでいた。
潰れる、と誰もが思った瞬間、マックスの肩に手が置かれた。マックスが兵士から手を離し振り返ると、そこには懐かしき仲間の顔があった。
「ラルフ……」
「まったく、港や関所に行く度にトラブルを起こすな、お前は」
「待て、関所でやらかしたのは俺じゃない」
「そうだったかな?」
二人は顔を見合わせて笑い合った。こんな風に仲間として気軽に笑い合えた事がひどく懐かしく思えた。
ラルフは兵士らに向かって言った。
「国を救うのは諦めろ。だが、一人でも多く市民を救うことは出来る。あの王に殉じて死ぬなんて後味が悪いだろうし、それを市民に押しつけるなど論外だ。君たちが必死に役目を果たそうとしている今、王は港封鎖の命令を出したことすら忘れているかもしれないぞ」
思い当たることでもあるのか、兵士は俯いて何も答えなかった。
ここで認めてしまえば今まで尽くしてきた忠義も、仲間たちの死も全てが無駄になってしまう気がした。
「乗船準備を手伝えとまでは言わない。ただ見逃してくれるだけでいい。それとも俺たちとこの場で殺し合うか、選んでくれ」
笑顔でとんでもないことを言い出すラルフ。兵士たちはしばし立ちすくんでいたが、やがて一人が無言でその場を立ち去った。その背を見て一人、また一人と居なくなった。
最後に残ったのは伯爵家の家令とやりあっていた兵士だ。彼は俯いて肩を震わせていた。足元にいくつも滴が垂れ落ちる。
「……俺の家はさ、親父も爺さんも、そのまた爺さんも爺さんも、みんな王都で暮らして死んでいったんだ」
「ああ……」
「そんな王都の危機だっていうのに、俺には何にも出来ねえんだ。悔しいな、悔しいなあ……」
「俺たちだってそうさ」
そう言ったマックスの声は暗く、優しくもあった。
兵士は顔を拭い、腰を抜かしたままの家令に向けて深々と頭を下げてから去って行った。
ようやく安全になったと見て、家令は用心棒の手を借りて起き上がった。
「よくやってくれた聖騎士たちよ。伯爵に代わり誉めてつかわす」
「それならちょっと頼みがあるんですが、いいですかね」
ラルフが指差した先には百人ほどの市民がいて、誰もが不安げな視線を向けていた。
「ふざけたことを。下民どもを乗せる余裕など無い」
「馬車の荷物は半分以上が家具でしょう。そいつを諦めれば余裕で乗れますよ」
「どれも由緒ある逸品だ、下民どもの命とは比べ物にならん。褒美が欲しければ後で考えてやる。今はそこをどけ!」
言い終わる前にラルフは家令の襟首を掴み引き寄せた。
「誤解させて悪かったよ。俺は別にあんたにお願いしているわけじゃないんだ」
「命令、とでも言いたいのか……?」
「脅迫しているんだよ」
ラルフは家令の手首を掴んで軽く力を込めた。これから何をされるのか理解した家令の顔から血の気が引いた。
「わ、わかった。伯爵に相談してこよう」
「五分でイエスと言わせて戻ってこい。さもなくば全員、魚のクソだ」
手を離すと、家令は逃げるように走り去った。
ラルフは船の持ち主である伯爵の返事も待たずに市民たちに手招きし、船に乗り込むよう案内した。
幸いにして船員たちは市民に同情的であり、船を桟橋に付けてくれた。市民たちが船に乗り込む様子をラルフとマックスは空き樽に腰かけて見守っていた。
「もう自分探しの旅は止めたのか?」
ラルフが茶化すように聞いた。
「結局、他の生き方なんか出来ねえってのがよくわかった。戻って来ちまったよ、ここに」
「どうしようもないな、俺たちは」
笑いながらラルフは皮袋を口に当てて傾けた。潮風に混ざり、酒の匂いが漂ってきた。
昼間から酒。ラルフという男に一番似合わぬ行為のはずなのに、それが自然なことであるかのように思えてマックスは苦笑いをした。
「変わったな、お前は。もちろん良い意味でだぞ」
「ふぅン、俺はマックス先生の眼にどう映っていたのか聞かせてもらいたいな」
「以前は勇者だ使命だ聖騎士だってのが前に出すぎて、近寄りがたいというほどじゃないが、なんというか薄皮一枚を隔てて話しているような感覚だったんだよな。今はそういう壁が取り払われて自然体って感じだな」
ラルフには変わったという自覚は無い。しかしマックスが屈託のない笑顔を向けてくれるのは自分が変わった結果なのだろう。
「逆にマックスは変わらないよな。いや、森の精霊みたいになっているけど」
マックスは頭を掻いた。土だかフケだかよくわからないものがぼろぼろと落ちる。
「こんな格好になって変わらないと言われるのもなんだかなあ」
「がさつで、いい加減で、戦いに関してだけは生真面目。お前はそういう奴だ」
「わかったよ、悪かったよ。面と向かって人物評なんかするもんじゃねえな」
マックスは凝り固まった身体を解すように大きく伸びをして、そのまま空を見上げた。もうすぐ王都はエヘクトル軍に蹂躙されるというのに、空は相変わらず蒼く美しい。
「今さら言っても仕方ないことだけどよ、今なら四人揃えばエヘクトルだろうが魔王だろうが倒せるんじゃねえの」
「本当に今さらだな。だが、夢のある話だ」
「それとな、こういう言い方はあまり良くはないのだろうが……」
珍しくマックスが言葉を濁す。
「ヴェルナーの野郎、処刑された家族はたったの三人だ。それで王都の人間を皆殺しにしようってのは勘定が合わねえな」
つい先日、母を亡くしたラルフには即答しかねる話であった。もしも母が自害ではなく、理不尽かつ残酷に処刑されたのであったら。そして魔族に復讐を
やらない、という確信は持てなかった。
「それを言うなら、たった一人の無能を始末していればそれで済んだな」
ラルフの笑えない冗談にマックスは大笑いした。内容も良かったが、これをラルフが言っているのだということがさらに笑えた。
無論、出来るはずのない話だ。
王に王たる資格なしと判断すれば聖騎士が処断できる。そんな前例を作ってしまえば権力機構が大きく崩れてしまう。間違いなく内乱が起こり、その隙を見逃してくれるエヘクトルではないだろう。
最初から詰んでいた。逃げ道など何処にもなかった。
「じゃ、俺はそろそろ行くわ。当日はどうするよ、いっしょにやるかい?」
ラルフは少し首を捻ってから答えた。
「それも今さらだな。お互い好き勝手にやろう」
「そうだな、それがいい」
マックスは立ち上がり、振り返りもせずに立ち去った。今生の別れがこんなにあっさりとしたものでいいのかと少し寂しく感じたが、よくよく考えればあの男に湿っぽい別れなど似合わないだろう。
(きっと、これで良かったんだ……)
途中でマックスは船に近寄り、伯爵家の家来がどさくさに紛れて家具を積もうとしていたのでこれを蹴飛ばし海に沈めていた。
それを遠目に見ていたラルフは笑っていた。やはり、あの男は変わっていない。
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