消えた白狼丸②

「はァァァあ~? 磐海凪ばんかいなぎだってェ?」


 よりにもよって、あンの馬ッ鹿犬! と形の良い真っ赤な唇を歪ませて、手にした扇子を、だん、と畳に叩きつける。


 柔らかな笑みで彼らを――というか厳密には太郎のみだが――出迎えた青衣が、事情を話すなり豹変したことに、太郎と飛助はびくりと身体を震わせた。


「あ、姐御……? あの、磐海凪って、いま何かある感じ? もしかして?」


 恐る恐る飛助がそう伺うと、その憤怒の表情のまま、「あァん?!」と勢いよく視線を向けられ、彼は「ひぃ!」と飛び上がった。ひええ、タロちゃぁん、と隣の太郎に縋りつき、よしよし、と背中を擦られる。


「青衣、何か知ってるなら教えてくれ」


 今度は太郎が問い掛ける。太郎もまた、飛助のように睨みつけられるのかと多少身構えていたものの、青衣の彼への態度は徹底しており、さっきとは真逆の柔和な笑みが返ってきた。


「まァ、ここだけの話――って言っても、既に結構噂になってるんだけどねェ」


 

 青衣が語ったところによると、だ。


 ここ数ヶ月、磐海凪の方で『神隠し』が起こっているらしいのである。

 それも、地元の人間ではなく、ふらりと立ち寄った旅行者、つまりはよそ者ばかりが狙われているらしい。もちろん『神隠し』とはいうものの、人さらいの可能性もなきにしもあらずなわけだが、だとしたら、狙われるのは、幼い子どもや、非力な女性と相場が決まっている。はずなのである。

 それなのに――、


「男ばかりなんだ、消えるのは」


 それも、若い男なのだという。

 年の頃は、皆、二十歳にも満たない若者であるらしい。

 

 最初は、忍びの頃ならまだしも、いまの自分には関係のない話だと、単なる与太話と思っていたのだが、出入りする客がさもさもとっておきの話があるのだと言っては、磯女いそおんなが出ただの、いや、河童の仕業だのと、尾びれも背びれもたっぷりついたその話を聞かせてくるものだから、どうしても気になってしまう。海に河童は出んだろう、とも思う。


 そこで軽く調べてみたら、どういうわけだか連れ去るのには相当骨が折れるだろう元気な若い男ばかりが消えている、ということがわかったのである。


「二十歳に満たない……」

「若い男……」

「そう。町の人の話じゃァ、それも消えるのは決まって、身体の締まった見目の良い男ばかりなんだそうだ」

「何それ。それじゃあ」


 白ちゃんは大丈夫なんじゃない? と飛助が笑い飛ばそうとすると、太郎が勢いよく立ち上がった。


「それじゃあやっぱり白狼丸は――!」

「た、タロちゃん!?」

「坊? どうしたんだい?」


 いまにも飛び出しそうな彼の腰にしがみつき、「どこ行くのさ」と飛助が必死に声を上げる。


「放してくれ飛助。俺はやっぱり磐海凪に行く。だってどう考えても」

「いや、待って。白ちゃんだよ?」

「そうだ。白狼丸だ。あいつは、見目も良いし、身体つきも良い! 間違いなく狙われる! あいつは恰好良いから!」

「は、はぁ? 恰好良い?! 待ってよタロちゃん、だったらおいらだって――」

「もちろん飛助もだよ。だから飛助は残れ、危険だ。俺が一人で行く!」

「ちょっと落ち着きなよタロちゃん! それで言ったら、一番危ないのタロちゃんだからね?!」


 ずるずると引きずられながら、「ああもうどうしてこの子はこんなに力持ちなんだよぉ」とべそをかく飛助の足首を、青衣が、ぎゅ、と掴む。そして「まァお待ちな」と声をかけると、太郎はやっと動きを止めた。


「お猿、残念だけれど、ああいうのはアレで案外女にモテたりするんだよゥ」


 身なりを整えて黙ってりゃァね、と付け加えれば、「まぁそれなら」と一応は納得する飛助である。身なりはまだしも、あの男が黙っていられるはずはない。


「それにね、坊。お猿の言い分も最もだ。この中で一番危ないのは坊だよゥ」

「そんなことはない」

「あるって! んもう、このお顔で一体何人のお客を落としてきたと思ってるんだよぅ」


 無理やり座らせてその頬を両手で、むに、と挟むと、太郎は不服そうに口を尖らせた。


「顔のことはよく言われるけど、俺が言われるのは『女みたい』ってやつだし、その『良い男』には当てはまらないと思うんだけど」

「っかー! まだ言うかねぇ、この子はもー! 少しは自覚してよぅタロちゃぁん! そりゃあ『石蕗つわぶき屋の看板娘』とか『東地蔵あずまじぞう一の小町娘』なんて二つ名はあるけど! あるけどね! でも、タロちゃんは良い男なんだよ! わかってよぅ!」

「やっぱり女扱いされてるじゃないかぁ……。俺は男なのに……」


 背中を丸めて、めそ、としょげる太郎の頭をよしよしと撫でてから、こういう行動こそ、彼の『男』としての自尊心を傷つけてしまうのではと慌てて手を引っ込める飛助である。


「それで、だ。まァ、認めたくはないが、そこのお猿もまァまァそこそこだろう?」

「ちょっと待って、何その評価! おいらはまぁまぁでもそこそこでもないよ! 特上だよ、特上!」

「それ、坊の顔見て言えるかえ?」

「……えっと、うん、上、かな? 上にしとこうかな?」

「特上とか上って何のことだ?」


 何が何やら、と言った表情で青衣と飛助を交互に見つめる太郎を「こっちの話だよゥ」となだめ、こほん、と咳払いをする。


「つまり、二人が磐海凪に行きゃァ、十中八九狙われるってェことよ」

「そうだな。飛助がいれば、そうなるだろうな」


 俺は邪魔かもしれないけど、といまだに己を『良い男』の対象外と思っている太郎は、まじまじと飛助の顔を見て頷いた。


「駄目だこりゃ。何言ってもタロちゃんには伝わんないんだろうな……」


 諦めたように肩を落とす飛助に「そこがまた坊の可愛いところさね」と青衣がため息をつく。


「というわけで、つまりは囮、ってェやつよ。あの馬鹿はあっさり消えちまったけど、坊とお猿二人なら太刀打ち出来るんじゃァないか、ってね。もちろんわっちも行くからさ」

「おお、姐御がいるなら! ……でも、姐御こそ対象外なんじゃない? いくら男の恰好に戻したってさ、姐御、言っちゃあ何だけど、男にしてはちょっと……小柄すぎるというか……それに――」


 小柄、というのは精一杯言葉を選んだ表現だ。実際は小柄というよりも『貧相』と言った方が良い。実際、忍びをやれるわけだから身体は締まっているのだろうが、線が細すぎる。


「それに――、何だい?」


 次の言葉をわかっているのか、青衣は、にんまりと口角を上げて飛助を睨んだ。


「え、いや、あの、その」

「何、だい?」


 じりじりと距離を詰められる。

 目の前にいるのは誰もが振り返るほどの美女なのに、まるで恐ろしい大蛇に睨まれているかのようだ。


「あ、あね、姐御は、もうそんなに若くないっていうか――」

「お黙り! まだ二十はたちだよ!」


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