指に足りない一寸法師③
「……米を売らせてはくれんか」
憔悴しきった米問屋の主人、
「ほう、売らせてほしい、とな」
にや、と悪い笑みを浮かべて、六尺の那彦は、ついつい、と針を動かす。一寸の頃に会得したかけはぎの腕は六尺になっても衰えることはなかった。細かいところは多少見えにくくなったものの、針の運びについては身体がしっかりと覚えているし、何より大きくなった分、あっという間に出来てしまうのだ。何せ、かつては両手で針を持って布の上を行ったり来たりしていたものだから、豆粒ほどの小さな穴ならまだしも、大きいものは半日はかかってしまうのである。
「た、頼む。この通りだ!」
「ふん、別に拙者としては、だな。無理にお前のところから買わなくたって、お得意様から差し入れだって届くし、特に不自由はしとらんのだがなぁ」
さてぇ、どうするかなぁ、と意地悪く笑ってみせると、茶を運んで来た紗雨が、困り眉で「那彦様、もうそろそろ」と助け船を出す。
「仕方ないな。わかった。買ってやる。明日にでも買いに行くから」
そう言うと、右近は安堵のあまりにその場にへたり込んで、紗雨が勧めた茶を一口啜った。
「そ――、それで、その」
「何だ」
「あの、ウチの、その、家内の、だな」
「おお、奥方殿の着物だったな。そうだな、うん、まぁ、割増しになっても良いならこっちのを後回しにしてやっても良いが?」
「良い、良い! それでも良いから、頼む!」
頼む、と尚も言って、畳みに額を擦りつける。
あの時那彦が強気でいられたのには、当然理由がある。
まず、本当に米については宛があった。
那彦の縫製屋は祖父の代から、金のないものについては物々交換でも良しとしていて、顧客の大半は米やら野菜やらを作っている農家だったため、食料については常に十分すぎるほどの蓄えがあったのである。
そして、もう一つ。
彼はそこら中に女の客を持っていた。
誰彼かまわず――それこそ既婚者だろうがお構いなしに口説きまくっていたのは、もちろんそういう意味の下心も多分にあったが、実は『営業』だったのである。やれ裾がほつれているだの、それくらいの穴であれば拙者が直してやるから買い替える必要はないだのと声をかけては、その場でちょいちょいと直してみせ、困ったことがあったら、今度は店の方に来てくれ、と言って去る。女達は、彼の妻に収まることはなかったが、客にはなった。その中に右近の妻がいるかどうかは賭けだったが、直接かかわっていなくとも腕の良い縫製職人の噂は耳に入っているはずだ。そこと揉めたとなれば、今後、自分の着物はどうなると焦るに違いない。那彦の縫製屋はかけはぎだけではなく、当然仕立て直しもするし、隣が染物屋という縁もあって染め直しなども格安で行っているのである。米問屋の女将だといっても毎度毎度新しい着物を仕立てられるわけもないのだから、いずれ自分の客になるはずだ。
そして、その後、家に戻った那彦が請け負っている仕事の帳面を確認してみたところ、彼の父が引き受けたものの中に
だから、遅かれ早かれこうなると思ったのだ。まさかこんなに早いとは思わなかったが。
それに、後回しにしても何も、もともとこれが終わったら取り掛かる予定だったのだが、そこまで教えてやる義理もない。割増しでも良いと言ったのだ。慰謝料も迷惑料もたっぷり上乗せしてやる。
約束を取り付けた右近は、頼むぞ、早めにな、と何度も念を押して去って行った。その後ろ姿を見送って、べぇ、と舌を出す。右近に出した客用の湯呑を盆に乗せた紗雨が、眉を八の字に下げたまま、ぽつりと言った。
「那彦様、あんまり意地悪したら駄目ですよ。それに奥方様の着物は無関係ではありませんか」
「何が意地悪か。拙者の女に手を出そうとしたやつだぞ。その上、殺そうとまでしたんだからな、
そもそも夫婦というものは一蓮托生でな――、と那彦が語ると、その向かいで紗雨が顔から湯気を出す。
「せ、拙者の女、って」
「違うのか? お前は拙者の妻だろうに」
「そ、そうですけど」
「それに――」
盆の上の湯呑の中を一瞥して、ふん、とさらに大きく鼻息を吹く。
「紗雨の淹れた茶を残していきおって。あの罰当たりめ。金輪際飲み食いなぞ出来んように、あの口を縫い付けてやれば良かった」
「那彦様、大事な縫い針はそのように使うものではありませんよ」
「そうだな。大事な商売道具でござったわ」
那彦が、ははは、と笑えば、それにつられて紗雨も笑う。
ちなみにこの後那彦は、やはり生来の女好きはどうにもならず、何度も浮気未遂を繰り返しては、怒り狂った紗雨によって半殺し寸前の目に合うのだが、それでも別れることなく生涯を共にしたという。
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