指に足りない一寸法師②
「なななななな……っ!?」
今度は右近の番であった。
彼は用心棒よりも無様に泣き喚き、その場をゴロゴロと転がり回ったが、耳の中に潜り込んだ那彦が「一寸法師」だと名乗ると、よろめきながらも立ち上がった。
「ふ、ふはは。誰かと思えばあの寂れた縫製屋の倅ではないか」
「ぬ? おお、拙者のことを知っておったか」
「知っておるも何も、ワシの弟が婿入りする染物屋の隣だろ。実際に見たことはないが噂くらいは耳に入っとる」
「よく考えたら紗雨を娶ればお主とも縁が結ばれてしまうのか……嫌だな」
「ぐ、ぐふふふ。許しを請うならいまだぞ、ゴミ虫め」
「請うか馬鹿者」
「ならばあの縫製屋には米を売らぬぞ」
「好きにせいよ。どうせ米については宛があるのでな。では心置きなくお主の耳を破ることにしようか、さぁーん、にぃーい、いぃーち……」
と囁き声でゆっくりと数えてやれば、右近は「ひいい!」と情けない声を上げて走り出した。
「あっ!」
耳の中に那彦が入ったままであることに気付いた太郎が駆け出すが、何せ夜である。視界は悪い。さしもの太郎でも、那彦がどうにかそこから抜け出したとて、捕まえられる自信はない。
と。
「紗雨!」
恐らくは、うまく脱出したのだろう、彼のありったけの声がどこかから聞こえた。この夜の風の中にいるのだろう。声は確かに近くから聞こえる。けれど、見えない。ただでさえ、彼の身体はわずか一寸なのだ。
が、猪のごとき勢いで一直線に紗雨は走った。闇に慣れたいまの彼女の目なら、小さな彼の姿もしっかり見えるのだろう。一切の脇目も振らずに、そして、まっすぐに両手を伸ばすと、右足を思い切り踏ん張って止まる。ぶち、と何かが千切れたような音が聞こえた。それは彼女の草履の鼻緒であったが、全く気にも留めていないようである。
「あ、あらららららら……ふぎゃぁ!」
けれどやはり切れた鼻緒では止まりきることが出来ず、ぐらりと体勢を崩して、両手を高く上げたまま、顔からべしゃりと転倒した。
「紗雨殿!」
「おい、嬢ちゃん大丈夫かよ」
「うっわぁ、痛そう。ちゃんと手をつかなくちゃ駄目だよぅ」
土まみれの着物も、軽くすりむいてしまった鼻の頭も全く気にする素振りもなく、紗雨はその場に座り直して、ゆっくりと両手を開いた。中にいたのは呆れ顔の那彦である。
「那彦様、お怪我はありませんか?」
「拙者より自分の心配をせいよ。まったく、若い女が顔に傷をつけおって」
「これくらい平気です。すぐ治りますし、身体だけは昔っから丈夫なんですから」
「それはわかっとるが……。あのな、拙者はもうちょっと淑やかな
「そ、そんなぁ、那彦様ぁ」
那彦の言葉に紗雨が、じわぁ、と涙を浮かべると、「お前、助けてもらっといてそりゃあねぇだろ」と白狼丸が隣にしゃがんで割って入る。「そうだよ、お侍さん。こんなに健気な子、なかなかいないよ?」と飛助もまた腰を落とした。が、こういう時に真っ先に口を挟みそうな太郎だけは、何かを察して黙っていた。白狼丸と飛助の肩に手を置いて、ふるふる、と首を振る。そこに何の言葉もなかったが、恐らくは、少し黙れであるとか、そういった意味だろうと理解した二人が、へいへい、だの、わかったよ、だのと言いながら立ち上がる。それを見計らって、那彦が小さく咳払いをした。
「だからな、その。お前がもう少し淑やかになればだな、その、娶ってやらんこともない、と言っておるのだ」
「……ふぇ?」
「別にお前が怪力でも構わぬ。そん所そこらの女人よりも多少デカくとも問題はない」
「で、でもあたしは出戻りで」
「ふん、あんなもの、嫁いだうちに入らんわ。それとも何だ、拙者の妻になる気はないのか」
「あ、ありますぅっ!」
辺りに響き渡るほどの大声でそう叫ぶと、那彦はたまらず両耳を押さえ「ええい、うるさい」とそれをたしなめる。一寸の侍に叱られて、しゅんと背中を丸める五尺七寸の娘は、思い出したように懐から小槌を取り出した。
「……那彦様、もし、あれが嫁いだうちに入らぬのなら、これはまだあたしに使えるでしょうか」
そう言って、おずおずとそれを月にかざす。
「試してみれば良いだろう」
「だけどもし、戻らなかったら」
「何、これまでずっとこの大きさだったのだ。拙者はこのままでも何も問題はない。一寸法師の縫製屋というのも話題になって良いではないか。おまけに妻は三国一の怪力娘だ。わっはっはこりゃあ良い」
だから、気にするな、振ってみよ。
その言葉に背中を押され、紗雨は地面に那彦を置いて、えいや、と小槌を振った。
すると、小槌から蝶の鱗粉のようなものがはらはらと降り注ぎ――、
那彦の身体はどんどんどんどん大きくなった。
「おお、戻れた」
胡坐をかいたまま、ふむ、と自身の手のひらを見る。ご丁寧に服の方でも身体に合わせて大きくなってくれたようだが、縫い針の刀だけはそのままであった。腰に差されているそれを麦藁の鞘ごと引き抜く。手にしてみれば、ごく普通の縫い針だ。彼が生まれた時、父親が立派な職人になるようにと特別に作らせたものらしい。腰に差して刀の代わりにしていたが、仕事をする時にはちゃんと針として使っていたものである。刀としてのお役は御免と相成ったが、これからも生涯の相棒として共に歩んでくれるだろう。
それを懐におさめて顔を上げれば、頬を赤く染め、瞳を潤ませた紗雨が彼の向かいにちょこんと座り、こちらをじっと見つめていることに気が付いた。デカいデカいと思っていたが、こうして見ると、そう大きくも感じられない。
「おい、紗雨。ちょっと立ってみろ」
「へ? あ、はい」
促されるままに立ち上がる。その後で、那彦もまた、よいせ、と腰を上げてみれば、その姿を見た白狼丸と飛助が、ぎょ、と目を剥く。
「うぉ! 何だよ、でっけぇなお前!」
「なぁんだよぅ、おいら達よりでっけぇとか聞いてないぞ!」
「那彦殿、立派になられて……」
軽く涙ぐみ、子の成長を喜ぶ母のような台詞をしみじみと吐く太郎に、犬猿が声を揃えて「それは違くね?」と突っ込んだが、彼は一向に意に介さない様子である。と、そこへ青衣が音もなく背後から現れて、「おおよしよし、坊は感受性が豊かなんだよねェ」と言って彼の頭を撫でる。
「あっ、姐御いまごろのこのこ現れやがって! タロちゃんから離れろ!」
「おれらあと一歩で
「なってないじゃァないか」
「お帰り青衣。この通り、万事うまくいった」
「そうだろゥ、そうだろゥ」
「そうだろう、じゃねぇよ!」
「結果としてはそうかもだけどさぁ!」
「ほっほ、本当に危ない時は助けに入るつもりだったさ」
そう言って、懐から、どう使うのかもさっぱりわからぬような、それでいて、はっきりと殺傷能力だけは抜群に高そうだと確信出来る暗器の類をじゃらり、と取り出してみせる。
「お……おう、出番がなくて何よりだったわ……」
「ほんとだ……姐御、来なくて良かった……」
「だろゥ?」
打ち出の小槌の力によって、指に足りない一寸法師は、あれよあれよと六尺の大男になった。紗雨との差はわずか三寸ばかりではあるものの、一寸でも二寸でもデカいものはデカい。片手で抱き寄せてみれば、『三国一の怪力娘』の身体は、思っていたよりもずっと華奢で柔らかい。この身体のどこにそんな力が隠れているのかと、新たな疑問が浮上することにはなったが、それはまぁ良いとして。
「うむ、問題ないな」
「ほ、ほわあぁぁぁ」
ぎゅ、ぎゅ、と軽く力を入れると、腕の中の紗雨は破裂せんばかりに顔を赤くして、ほわぁ、だの、おわぁ、だのと、ぽかんと開けた口から気の抜けた声を吐き出す。
「よし、祝言を挙げよう」
「ほ、ほんとでしゅかぁ」
「拙者の妻になるならしゃきっとせんか」
「ふ、ふぁいぃ」
がはは、もう何も恐れるに足らず! と大口を開けて天を仰ぎ、丸い月に向かって吠える。
そこへ、飛助が後ろから、ちょいちょいとその肩をつついた。
「何だ」
「いや、まぁおいら達にはもう関係ないんだけどさ、大丈夫なの?」
「何がだ」
「さっきのだよ。親戚になるんだろ? それに米を売らないとか言ってたじゃん。新婚だってのに、大丈夫なのかよぅ」
「確かにな。さっき宛があるとか言ってたけど、はったりじゃねぇだろうな」
「こちらに非がないとはいえ、米を売ってもらえないのは困るな。俺が一つ話をつけて――」
「どうしてもって言うなら、わっちが出張ってやろうかえ?」
「姐御、頼むから血生臭くねぇ方法でな」
「死ななきゃ良いってもんでもないしね」
もう関係ないとは言いつつも、結局この四人はつい首を突っ込んでしまう質だったりする。
けれど、揃って心配そうに眉を寄せる四人に向かって、余裕たっぷりに、にや、と笑うと、大きくなった一寸法師は「案ずるな」と言って、再び、がはは、と笑った。
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