二人の夜②
さて――、
「あの、お嬢様? またですか?」
「そうです。またです」
飛助が
「毎晩毎晩、何か面白い話を、って言われましてもねぇ」
彼女の枕元に胡坐をかいて、ううん、と唸る。
「あら、飛助は芸人なのでしょう? 面白い話の一つや二つ――」
「もちろんありますよぅ。ありますけどぉ」
あるのだ、もちろん。ネタはそれほど腐るだけある。ただそれらの大半は、汚れなき乙女に聞かせられる類のものではないだけで。これが酒の席で、赤ら顔の酔っ払いに披露するのなら、抜群にウケる自信はある。
「困ったなぁ。――あぁ、そうだ。それなら、こういうのはどうですかね。おいらの親指よりももっと小さい法師の話です」
「なんですの、それ?」
「まぁ、単なる与太話ですよ。ささ、目を瞑って」
それは、指に足りない一寸法師のお話。
剣と裁縫の腕は確かだけれど、どうしようもない女好きである一寸法師は、傷んだ着物を着た女の尻を追いかけては、それをさささと直し、腕に惚れ込んだその女が店にやってくれば、鼻の下を伸ばして針を動かす。
そこへ現れたのは、隣に住む許嫁の怪力娘。彼女が持っていた打ち出の小槌の力によって、六尺の大男となった一寸法師は、彼女を娶って末永く幸せに暮らしましたとさ。
「めでたし、めでたし、と」
お嬢様、寝ましたか……? 目を瞑ったままの雛乃に向かってそぅっと声をかける。応えがないのに安堵して、こっそり四つん這いの姿勢で去ろうとすると、着物の裾を、つい、と引かれた。
「……まーだ起きてらしたんですかぁ」
恐る恐る振り向けば、雛乃は、閉じていたはずの瞼をしっかりと持ち上げて、彼の方をじっと見ていた。
「飛助」
「何でしょう」
「いまのは、作り話?」
「えっと、まぁ……そうですね。概ね」
――は本当ですけど、というのは心の中で呟く。
「打ち出の小槌も、ありませんの?」
「ない、ということにしていただけると。どうしたんですか?」
「それがあったら、わたくしもいますぐ大人になれるんじゃないかって思って」
「そんな焦って大人になったって、良いことなんかありませんって。
掴んだままの裾を力任せに引っ張られ、不意を突かれた飛助は体勢を大きく崩して雛乃の布団の端に顔から落ちた。
「
「子どもなんて楽しくもなんともありません!」
「お嬢様?」
「飛助は、いつも年上のお姉さまが良いって言うじゃありませんかぁ」
うわぁん、と声を上げ、布団を頭まですっぽりとかぶる。
「わたくしがどんなに大きくなっても、年の差は埋まらないのに! いつもいつも年上のお姉さまって!」
「うへぇ……」
「打ち出の小槌があったら、あっという間に飛助の年を追い越せますのに!」
わかってはいるのだ。
雛乃が自分に好意を寄せていることについては。
けれども、彼女は雇い主の一人娘なのである。向こうが好いてくれるからといって、おいそれと手を出して良い相手ではない。平八も反対するだろうし、そもそも、いまのところ、自分にその気もない。と思う。そのはずである。
「弱ったなぁ」
ぽつりとそう呟いて、中で泣いているのだろう、こんもりと丸くなっている布団をぽんぽんと叩く。
「お嬢様。あのですね、聞いてくれます?」
「な、何ですの」
「おいら別にね、絶対に年上じゃなくちゃ駄目ってわけじゃないんですよぅ?」
「ほ、本当……?」
恐々と、雛乃が顔を出す。
「本当ですって。じゃなかったら、ここの姉さん連中片っ端から口説いてるでしょ。皆おいらより年上なんですから」
「それは……確かに」
「たまたま魅力的に見えた女性がおいらより年上だったことが多かったってだけですから。だからね? 本当は年齢なんて関係ないんですって」
「それなら……」
そう言って、雛乃は再び布団をかぶった。
「あっ、お嬢様? まぁーた! ちょっと、もう! 窒息しますよ?」
こんもりと亀のように丸くなっているその布団をぽすぽすと優しく叩く。すると、その隙間から、「飛助」と彼の名を呼ぶ声が聞こえて来た。
「何ですかぁ?」
「それならわたくしにもまだ望みはありますわね?」
「えっと……」
「ありますわね?」
「そう……ですね、はい、まぁ」
「わたくし、頑張りますわ」
十の少女が一体何を頑張るつもりなのか。
せいぜいめいっぱいめかしこむ程度だろうか。それで、たぶん、飯くらいは一緒に食おうと誘ってくるかな。でも、
そう考えると何だかいじらしく思えて、ついつい、
「それじゃ、頑張って、おいらのこと落としてくださいね」
などと口が滑る。
さて、すっかり大人しくなった雛乃――もとい布団の塊に向かって、まずは早めに寝ないと、お肌荒れちゃいますからね? とあやすようにそれを叩くと、ふはぁ、と真っ赤な顔が飛び出してきた。
「ああもうほら、顔真っ赤じゃないですかぁ。のぼせますよぅ」
お水汲んできましょうか、とその顔を覗き込んだところで。
くい、と襟を引かれた。
「おわっ」
完全に油断していたとはいえ、二度も布団に顔から落ちてたまるかと、肘をついてどうにか持ちこたえる。ふぅ、と安堵の息を吐いたのも束の間、彼女の小さな鼻があと数寸で触れる位置にあることに気付いて背中に嫌な汗が流れた。
違うんですよ、これはね、と慌てて離れようとするも、彼女の小さな手は彼の襟をしっかと掴んだままだ。
わかっているのだ。
違うも何も、この状態に持ち込んだのは雛乃であって、彼自身にはそう非がないことも。それから、いま彼女が望んでいるであろうことも。そして、それには絶対に流されてはいけない、ということも。
何かしらの思いを乗せた視線が痛い。たかだか十の童であるのに、その十の童から目が離せない。七つも下だぞ、と何度も言い聞かせなくてはならない程度には、気になる存在ではある。可愛い妹分としても、恐らくは、それ以外でも。
「……駄目ですよ、お嬢様」
「なぜです」
「まだおいら落ちてないでしょ。こういうのはね、男から仕掛けないと」
「そういうものなんですの?」
「そういうものなんです」
そうとは限らないこともある。それもわかってる。実際のところ、年上好きを公言する飛助としては、手玉に取られるのだって悪くないと思っている。だけれども、そういうことにしなくては、何かと突っ走る性分の雛乃のことだ、願ってもない好機だと、彼の唇を奪いにかかるだろう。
「いつになったら飛助は私に落ちてくださるかしら」
ぱっ、と手を離し、つん、と口を尖らせて、なるべく早い方が良いんですけど、などと呟く。この辺を素直に口に出せるのがやはり子どもだ。
「相手を落とすまでを楽しむのが『恋』ってやつなんですよ、お嬢様」
意地悪くそう言ってやると、恋の醍醐味もわからぬ子ども扱いされたのではと、頬を膨らませるのがまた子どもらしくて可愛らしい。一生懸命背伸びをしつつも、慣れないつま先立ちにぐらついている様子の雛乃を微笑ましく思う。それを『可愛い妹分』と笑っていられるうちは良いが、恐らくは、そう遠くない未来、笑っていられなくもなるんだろうな、と、そこに気付きそうなのが怖い。
それじゃ、おやすみなさい、と軽く言って、灯りを吹き消し、そそくさと部屋を出る。
七つも下だぞ。
雇い主の一人娘で。
おいらが安易に手を出して良い娘じゃない。
それを弁えているうちに。
どうか彼女が、彼女自身に見合った男を好きになりますようにと、飛助は願わずにいられなかった。
桃嫌いの桃太郎と少し不思議な物語達 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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