消えた白狼丸③

 けれどやはり太郎と飛助は店を休むわけにはいかない。次に休みが取れるのは七日後、もちろんその日まで白狼丸が戻って来なければ、という話である。


 休みが明けても戻って来ない白狼丸に、従業員達はざわついた。もしや金を持ち逃げしたのではあるまいな、と金庫番が慌てて確認しに行ったが、「あいつがそんなことをするわけがない!」と一喝したのは太郎でもなく飛助でもなく、平八である。


「うへぇー、意外。旦那様は真っ先にそこ疑うと思ったのに」


 一同が集められた広間で飛助がそう呟くと、しんと静まり返っていたために、その声はしっかりと彼に届いていたようで、「お前の時とは違うわ馬鹿たれ」と怒鳴られる始末。


「ワシもな、あいつの働きぶりは評価しとるし、人となりというものもまぁある程度はわかっとるつもりだ。何よりも――」


 そう言って、太郎を見る。


「万が一、逃げるのならば太郎も連れて行くはずだし、後から一緒に逃げる手はずだとしても、そうなればこの太郎が隠せるはずがない」


 しゃんと背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見つめる太郎の様を見れば、彼が夜逃げの共犯であるとは到底思えない。そしてその太郎はというと、皆の前で堂々と、「白狼丸は磐海凪ばんかいなぎで神隠しに遭ったのです。どうか探しに行かせてください」と言い放つのである。神隠し云々が真実かはさておいて、彼がそう信じているのは疑いようもなかった。


「まぁ落ち着きなさい、太郎。仕事に関しては案外真面目な白狼丸が戻って来ないというのは確かに妙だ。何か事件に巻き込まれたのかもしれない。あいつは、なんというか……、こう……、揉め事に巻き込まれやすい質だとは思うしな、うん」


 と太郎のために一生懸命言葉を選んでいるが、心の中では「巻き込まれたのではなく、あいつこそが揉め事を起こして磐海凪の役場に捕まっているに違いない」辺りのことを考えていた。


「ただ、ワシもあいつのことが心配だから、一人遣いの者をやることにする。そうだな――おい、葉蔵」


 遣いの者、という言葉に、ならば私がと身を乗り出した太郎だったが、彼は大事な看板である。昨日店を閉めてしまった分も稼がなくてはならないと考えれば、彼を遣いに出すわけにはいかない。


 そんなわけで葉蔵が白狼丸捜索のために磐海凪へ向かうこととなった。



「葉蔵兄さん、お気をつけて」


 石蕗つわぶき屋を発つ時、太郎は葉蔵の手を取って、何度も何度も気をつけてと繰り返した。彼もまた、白狼丸には及ばないものの『良い男(太郎基準)』なのである。年もぎりぎり十九、狙われないとは言い切れない。


 真っ直ぐに見つめられ、何度も身を案じられれば、やはりまだ脈はあるのではと期待してしまう葉蔵である。


「大丈夫だ。必ず戻って来る、お、お前のために!」


 と一世一代の気持ちで手を握り返し、そう言うと、返って来たのは「お願いします。必ず白狼丸を連れて帰って来てください」という言葉で、彼はがくりと肩を落とした。

  

 けれどやはり、葉蔵も戻って来なかった。


 その後、腕に覚えのある男衆を何人かやったが、それは大した収穫もなしにあっさりと翌日戻ってきた。見目は悪くないものもいたが、そのほとんどは腹の出た中年だったし、神隠しが真実ならば、その『神』のお眼鏡に叶わなかったのだろう。


 そうして、数日が経った。

 相変わらず白狼丸も葉蔵も戻って来ない。非情なことを言えば、だ。葉蔵くらいならば、まだ代わりがいる。もちろん勤めてまだ浅くとも同じ釜の飯を食った仲間であるわけだし、そう簡単に切り捨てられるものではないが、同じくらいの能力の人間を、と考えれば、という話である。


 けれど白狼丸は代わりがいない。あの鼻を失うのは正直痛い。

 白狼丸がいないことで、入荷した豆やら麦の粉についても、業者の目の前で中身をすべて出し、検分しなくてはならなくなり、効率もかなり落ちてしまった。早速障りが出ている。もしや、彼の鼻に目をつけた同業者の仕業なのではあるまいか。


 それに、さらに深刻なのは――、


「いらっしゃいませ……ごゆっくりどうぞ……」


 太郎が枯れた花のようになってしまったのである。

 食事もほとんど摂らず、目にも力がない。飛助が甲斐甲斐しく身の回りの世話を焼いているのだが、か細い声で一言二言礼を言うだけで、仕事が終わっても店の前から動こうとしない。白狼丸が戻って来るかもしれない、疲れて帰って来るだろうから、一番に出迎えてやらないと、と、長屋の門に凭れて亡霊のように佇んでいるのである。


 そんな弱りきった姿でも「これはこれでそそるものがある」と熱心な信者は店に通い詰めるものの、このままでは身体を壊してしまうだろう。いや、既に壊しているかもしれない。


 見かねた平八が予定よりも早く休みをくれてやろうとしたが、生来の生真面目さが裏目に出て、「七日とのお約束です」と譲らない。ならばせめて床で休んでくれと懇願しても、皆が働いているのに自分だけ休むわけにはいかないと首を縦に振らない。おいらがついていますから、と飛助が夜通しそばについているのだが、恐らく、ほとんど寝ていないだろう。


「タロちゃん……今日はやめようよ」

「良いんだ、飛助。頼む」

「だけどさ、こんな弱ってるタロちゃんにこんなこと」

「後生だ、飛助。一思いにやってくれ」

「だけど」

「良いんだ。茜もそれを望んでる」

「茜ちゃんが言うなら……ええい! ごめんよ、タロちゃん!」


 従業員長屋の門の前で、せめてこれだけはと渡された薄い布団に包まり二人並んで白狼丸を待つ。神隠しに遭ったかもしれないが、それでもひょこりと戻ってくる可能性はある。それを信じて、二人は今日もそこにいた。


「うううう……」

「あぁタロちゃぁん、やっぱり辛いんじゃん。今日くらいはおいらが代わりになるのに。ていうか、おいらとしてはむしろそっちの方が良いというか」


 息も絶え絶えにぐったりと壁に凭れている太郎の背中を擦ってやると、彼はぜえぜえと肩で息をしながら「俺は大丈夫だから」とちっとも大丈夫ではない顔で笑うのである。


 白狼丸が戻らなくなって数日、太郎は毎晩桃を食べている。

 食べている、というか、厳密には、が正しい。傍から見れば、桃を食べさせてもらっている、というのは何とも微笑ましい構図ではある。ただ、それがちっともそう見えないのは、二人は初々しい新婚夫婦でもなければ、仲睦まじい恋人同士でもないという点と、それから、その部分に目を瞑ったとしても、そこに流れているべき甘やかな空気というものが一切存在しない点である。


 何せこの太郎、桃から生まれたという珍妙な経歴を持つくせに、桃が大嫌いなのである。それこそ『嫌い』の一言で片づけられないほどに。


 だからその夜も、吐き戻しそうになりながらも、それを必死に堪えて忌々しきその果実をごくりと飲み下す太郎である。

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