安堵の帰宅②

「太郎! た~ろ~う~! よくぞ、よくぞ戻って来てくれたぁぁぁぁぁ!」


 石蕗つわぶき屋の門をくぐると待っていたのは、店主である平八の熱烈なお出迎えであった。太郎の身体をひしと抱き締め、薄い胸に顔をこすりつけておんおんと泣く。


「だ、旦那様? 帰りが遅くなりまして大変申し訳ございません。あの、話せば長くなりまして――」

「良い、良い。もう葉蔵からすべて聞いた。良かった、本当に戻って来てくれて! お前がいないこの二月、店がどれほど大変だったか……!」

「あの、旦那様、ええと、その」


 と、太郎が後ろにいる白狼丸と飛助に助けを求める。仕方ねぇなぁ、と白狼丸が「おい旦那」と手を伸ばしたところで、今度は「白狼丸!」と野太い声が聞こえてきた。しかも、恐ろしいのは、それが一人ではなく、かなりの人数だったことである。


「げぇ、倉庫の兄さん達じゃねぇか。何だよ、仕事戻れよ」

「大変だったなぁ、お前」

「よく戻って来てくれたなこの野郎!」

「お前がいない間、俺達がどれだけ大変だったか!」

「お前の有難みを嫌というほど思い知らされたよ!」

「さぁ、早速だが、仕事だ。豆の選別はお前じゃないと無理なんだ、やっぱり」

「え、ちょ、ちょっとおい。た、太郎――!」

「白狼丸――!」


 さぁさぁさぁ、と男衆に担がれるようにして、白狼丸はあっという間にその場から連れ去られてしまった。やれやれ仕方ないなぁやっぱりお姫様タロちゃんを助けるのはおいらだよね、と飛助が「はいはい旦那様」とその肩に手を伸ばした時である。


「飛助!」


 怒気を孕んだ高い声で、飛助は思わずその手を引っ込めた。恐る恐るその声の方を見てみれば、顔を真っ赤にした雛乃が仁王立ちで彼を射殺さんばかりに睨んでいる。


「お、お嬢様……。えっと、ただいま戻りました……」

「なぜわたくしのところに一番に顔を出さないのです!」

「いや、一番にも何も、いまおいら帰って来たばっかりだし、まだここ玄関……」

「お黙りなさい!」

「は、はいぃ」

「この二月、わ、わたくしがどれだけ、しっ、心配したかぁ……っ! う、うわぁぁぁん!」

「え? ちょ、お嬢様?! 何で泣くんですか? おいらちゃんと帰ってきましたよぅ? ちゃあんと足もありますって」

飛助どびずげがぁ、がえっでだぁぁぁぁぁ!」

「か、帰って来ました! 帰って来ましたってばぁ! 泣かないでくださいよぅ! だ、誰かぁ! 姉さーん!」


 けれど、頼みの綱の姉さん連中は何かしらを感じ取ったか、誰一人として助けには来ず、結局、飛助が「おおよしよし」と袖で彼女の涙を拭いてやるはめになったのであった。



 一方その頃扇子屋では――、


「あら、青衣ちゃん、お帰りなさい」

「お姉さんは無事にお産を済ませられたかい?」

「急に休みをもらって悪かったねェ。でも、お陰様で母子共に無事だよ。玉のような女の子だったさ」


 こうなることを見越して「姉のお産の手伝いに行ってくる。何、もう三人も産んでるんだから心配いらないよ」と予め扇子屋の弥一やいちとおさちに告げていたのである。もちろん嘘だ。


「女の子かぁ、可愛いだろうね。お姉さんは青衣ちゃんと似ているのかい? だったら別嬪に育つだろうなぁ」

「あんまり別嬪で、あちこちで取り合いになるかもねぇ」


 客がいないのを良いことに弥一がいそいそと茶を淹れ、お幸が「とっておきのがあるのよ」と言いながら、『松木世まつきよ』のきんつばを勧める。それを「どォれ」と一口齧って、優しい甘さに目を細めた。


「あんまり別嬪すぎても困りもんだよ。何せ、変なやつに捕まっちまったらおしまいだ」


 そんなことをぽつりと呟いて、渋めの茶を啜った。


 深い深い海の底で一生飼い殺しとか、洒落にならないからねェ、と。


 

 

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