箱は、一つ③

「おい、それじゃ、あいつが島太郎を殺したってことじゃねぇか!」

「まァねェ。そうなんだろうけどさ。だけど、手元にそんなおっかない箱があるんだ。結果は同じことだったかもしれないけどねェ」


 好奇心に駆られて自ら開けるか、それとも、何らかの事故で開いてしまうか。いずれにしても、百年歪ませた時間がそこにはあるのだ。


 それに――、


「その時は誰も知らなかったんだ。まさか百年も経っているなんて。あの亀もね」

「そうみたいだけど」

「それに人の寿命ってやつもねェ」


 亀は万年というだろう? と言って、青衣は目を眇めた。


「自分達が万年生きられるんだ、人間の寿命はそれより短いとはわかっていても、まさか百年も生きられないとは思わなかったんだろ。多少シワが増える程度だとでも思ってたんだろうさ」


 とにもかくにも、島太郎は死んでしまった。

 乙姫に報告をした緑六は、大した罰も受けなかった。

 ただ、姫はそれから、人が変わったようになってしまった。


「陸の男を連れて来なさい。若い男を」


 婿候補として、である。

 島太郎がいなくなってしまったのだから、連れて来るしかない。今度こそ、生涯を共にしてくれる婿を取らねばならぬ。彼と出会うまでは、男なぞ必要なかった。けれど姫は男を知ってしまった。

 

 そういう経緯の神隠しであった。

 緑六は、命じられるがまま、若い男を運び続けた。これこそが自分に課せられた罰なのだと思いながら。


 けれど、このままではいけないともずっと思っていた。思ってはいても、どうすることも出来ない。島太郎は死んでしまったし、自分が殺してしまったのである。乙姫は彼の喪失を別の男で満たしているに過ぎない。叶うなら、自分がそこを埋めてやりたいと思うものの、自分は海亀であり、姫は人間だ。


「とまァ、海に潜る前にそんなことをねェ」

「今回もよくもまぁぺらぺらとしゃべらせたもんだ」

「こっわ。ほんと敵に回したくないよね、姐御は。何、その薬、亀にも効くわけ?」


 ぶるる、と大袈裟に身を震わせる飛助の背を、「寒いのか?」と太郎が擦る。むしろ暑いくらいの季節である。そんなわけはないというのに。


「それで、だ。あの亀、どうやら乙姫さんのことが好きらしいからさァ」


 その言葉で飛助は、ああ、と言った。


「自分がそこを埋めてやりたいって、そういうことか」


 と手を叩く。


「ま、そういうことさねェ。苦しいだろうさ、惚れた女の婿を運ぶなんて役回りは。それこそが罰なんだと言い聞かせていたみたいだけど」


 だけど、悲しいじゃァないか、と青衣は言った。


「好きな女の相手を探して、運んで、だよ。そんで昼夜問わず睦み合ってんのを――って、危ない危ない、お前達、よくやった」


 太郎が目の前にいるというのに、ついつい余計なところまでしゃべってしまったと慌てて口に扇子をあてれば、さすが話の先が読めていたらしい犬猿二人が、阿吽の呼吸で彼の耳を塞いでいる。器用にも、片方ずつを。


「何だ? どうしていきなり俺の耳を塞ぐんだ? 白狼丸も、飛助も」

「いや、まぁ、何となくなぁ」

「そうそう、何となくだよねぇ」


 とにもかくにも、と咳払いを一つして、可哀相じゃァないか、と言う。


「確かに結果として島太郎を殺しちまったのはあの亀かもしれないけど、あいつだって海に戻る気なんざなかったんだ。もう二度と会えないんなら、乙姫さんにしてみりゃァ、生きてようが死んでようが同じことだろう?」

「そう……かもしれねぇけど、なぁ」

「それに、何も知らずに連れてこられた若者の方も気の毒だ。ついうっかり長居でもしてご覧な。島太郎の二の舞だよ」

「確かに」

「だったら、あの亀のためにも、ここいらの若い男のためにも、そろそろやめさせた方が良いだろ。そう思ってね」


 それで、なんて書いてたんだ、あの手紙には、と白狼丸が身を乗り出す。

 おいらも知りたい知りたい、と飛助がそれに続き、出遅れた太郎が、恐らく何もわかっていない顔をして、それに倣った。




 愛しい姫よ


 陸での用を済ませたらすぐにそちらに帰ろう。

 少しだけ時間がかかるかもしれないが、

 必ず戻ると約束しよう。

 

 ああ、愛しい姫よ。

 そなただけを生涯愛すと誓おう。

 だから、ずっと私だけを見ていてほしい。



「――だったかねェ」

「……随分と熱烈だな」

「えー、おいらもこんな文もらいたいなぁ」


 タロちゃん、今度書いてよぉ~、と太郎の腕を取って、ぶんぶんと振ると、その反対側の腕を白狼丸が取り、「書かんでいいっ!」と叫ぶ。


「とりあえず、だ。死人に口なしたァよく言ったもんだけど、まさにそれよ。これで島太郎さんは、真実、不幸な事故死だ。あの乙姫さんが過去の男ってェ割り切ってるかどうかは正直一か八かだったけど、亀の話じゃァ余程入れ込んでたみたいだから」


 まァ、うまくいって良かったよ、と言って、はたはたと扇子を扇ぐ。


「だけどこれじゃ結局緑六は救われてねぇじゃねぇか」

「そうだよ。お婿さんを運ばなくて良くなったかもしれないけどさ。結局乙姫様の心は島太郎さんにあるんだろ?」

「それはそうだけどねェ。あいつはそれで良いって言ったんだ。わっちはもっとねェ、あいつの方を好きになるように誘導すりゃァ良いって言ったんだけど――」


 良いのです。これで良いのです。


 緑六はそう言った。

 私は海亀です。たとえどんなに思いを募らせても、叶わぬことなのです。


 だから、あの方も一生叶わぬ恋に身を焦がせば良い。


 緑六の言葉を思い出し、うすら寒さを覚えて思わず肩を擦る。

 

 あいつは案外食わせもんだ。

 自分のものにならないのなら、誰のものにもしないつもりなんだろう。どこにもいない死人を思っていれば良い、と。

 

 あそこに居続ける限りごく緩やかにしか年を取らない姫と、それより確実に長く――万年生きる海亀は、命が尽きるまでずっと一緒に暮らすのだ。あの城は、檻だ。


 だけどその気持ちもわからないでもない。青衣はそう思った。何せ自分が欲しい太郎ものだって、絶対に手に入らない。


 だから――、


「まだ罪の意識でもあんだろ。さて、そろそろ宿でも探そうかね。せっかくだし、ちょっと良いトコにでも泊まろうじゃァないか」


 と、話を畳む。


「箱の蓋、開けるんなら宿の部屋でやろうじゃないさ。どうせたった二月なんだ。髭が伸びる程度だろ」


 そう言うと、なぁなぁ、と飛助がとぼけた声を出した。


「やっぱ姐御もさ、二月経てば髭って伸びるもんなの?」


 あァん? と振り返りざまに睨みつければ「ひええ」と悲鳴を上げて太郎の後ろに隠れる。彼を盾にされてはいつまでも睨むわけにもいかず、くね、と科を作ってにこりと微笑む。


「そんなに知りたきゃァ、今夜、床で暴いてみるんだね」


 などと言って、ちらりと項を見せる。男だとわかっていても、その匂い立つ色気にやられてしまいそうになり、飛助はぶんぶんと頭を振った。だいたい、この元忍びの床に潜り込むなんて命がいくつあったって足りないのだ。


 その必死な様に、青衣は、あっはっはと笑い、「だからお前は一言余計なんだよ」と白狼丸に呆れられ、太郎はというと――、


「俺、生えるかな」


 と自身の顎を擦っていた。

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