石蕗屋の看板娘②

「おい、ちょっと待て。おい、何だこれ」


 ふるふると震える白狼丸の指を、髪の束ごと那彦を胸の辺りで抱き締めるようにしてかわす。それにもまた嫉妬心を募らせるが、それどころではない。幻覚だとばかり思っていた『一寸の侍』が目の前にいるのだ。


「絶対に傷つけたりしないと約束出来るか?」

「ま、まぁ……そうだな。する、約束する」

「良かった。那彦殿、この男は俺の一番の友達の白狼丸だ。優しくて頼りになる良い男だから安心してくれ」

「うぐっ」


 最近はその角が多少丸くなったといってもまだまだ四角四面で、世辞という言葉を知ってはいても実際に吐くことは出来ない太郎のその言葉に、思わず喉が詰まる。優しくて頼りになるとまで言われてしまえば、この怪しさしかない一寸の侍にとてそれなりの態度で接さなければなるまい。


「太郎殿がそう言うのなら……。拙者は那彦でござる。髪路かみろより、武士を志してやって参った」

「髪路……隣の集落だな。ほうほう、ご苦労なこった」


 皮肉を込めてそう言うと、それを正しく受け取った那彦が、こめかみに、ぴきり、と血管を浮き上がらせた。けれど当然それは白狼丸にも太郎にも見えない。その上、太郎は白狼丸の皮肉にも気付かない様子である。


「どうやら、質の悪い輩に絡まれてしまったらしくてな。ほとぼりが冷めるまでここにいさせてほしい、というわけなんだ。今朝はその話を聞いていて、朝飯を食いはぐれては大変だと飛助が気を回してくれたというわけで」

「成る程、それで部屋で食ってたんだな。だったら最初からそう言えよな」


 ガリガリと頭を掻き、その手を、ぱん、と膝に下ろす。そして、うんと悪い笑みを浮かべて、いまだ太郎の手の中にいる那彦を見つめた。


「ただ、その、何だ。質の悪い輩、っつーのが気になるんだよなぁ、おれは」


 その言葉に那彦が、ぎくり、と全身を震わせる。太郎はそれを怯えと受け取った。つまりは、その『質の悪い輩』に絡まれた記憶であるとか、そういったものを思い出したからだと。だから、両手で優しく包むようにして、「白狼丸、そんな怖い顔をするなよ」と窘める。身体が小さいだけで恐らく年の頃は既に元服も終えた大人だろうに、太郎の方ではすっかり庇護欲が芽生えてしまったようである。


「いやいや、別におっかねぇ顔なんてしてねぇよ。たださぁ、解せねぇな、って」

「解せないとは?」

「だって考えてもみろよ。この大きさだぞ? 何をどうして絡まれるに至ったんだよ」

「言われてみれば……」

「こんなのが往来を歩いてたってな、普通は視界にも入らねぇよ。むしろ存在に気付かずうっかり踏んづけちまう方だろ」

「確かに、そこにいると知らなければ、知らず知らずのうちに踏みつぶしてしまうかもしれないな。那彦殿、よくぞ無事でここまで」

「いや、感心すんのそこじゃねぇからな? つまりだ」


 そう言って、太郎の手をとんとん、と突く。あくまでも優しくだ。何せ『優しくて頼りになる良い男』と紹介されたばかりである。


「その話が本当だっつぅんなら、お前から吹っ掛けたってことになるよな?」

「――んなっ?! 何を言うか。拙者の身体を見ろ。この身体で吹っ掛けるなど――」

「ほーぉ、詳しいじゃねぇか。お前、その身体で何で相手の背丈が五尺七寸もあるってわかるんだよ」

「そ、それは……」


 ずいずいと顔を近付ける度にどんどん背を丸め、小さな身体をさらに小さく折り畳む那彦を、太郎が「落ち着いてくれ、白狼丸。那彦殿が怯えている」と庇う。それがまた白狼丸は面白くない。むしろ太郎がそんな態度をとるからこそ、詰め寄りたくもなるというものだ。


 ふん、と鼻息を吹いて「まぁそれは一旦置いとくとしてもだ」と仕切り直す。


「とりあえず、旦那にゃ黙っとけ。面倒くせぇことになるから、絶対。そんで、もうすぐ姐御が来るから、そっちにも相談してみりゃ良いだろ」


 そう提案すると、那彦は『姐御』なる新たな人物に警戒するような素振りを見せたが、「大丈夫、俺の仲間だ」と太郎が優しく笑うので、ほんの少し安堵した。


 まぁ、白狼丸の方では、「姐御が一番質わりぃんだけどな」と笑みを噛み殺していたが。


 そこから一刻もせぬうちに、件の『姐御』こと青衣がやって来た。平八はというと、相変わらずへこへこと低姿勢で「それでは何卒」などと言い、そそくさと引っ込んで行ってしまった。平八に見つかっては厄介だと再び髪の中に隠れていた那彦が恐る恐る顔を出し、「ほぁぁ!」と声をあげる。


「なっ、何とこれは美しき女人であろうか!」

「那彦殿、まだ青衣に説明もしていないのに」

「おや、随分と妙なものを隠し持ってるじゃァないか」


 さすがは青衣である。

 何の説明もなしに飛び出した一寸ほどの侍にも動じることはない。何せ、人に姿に化ける鶴やら地蔵やら狐やらを見知っているのだし、磐海凪ばんかいなぎではしゃべる海亀にだって会っている。ならば小さな人間がいたとて驚くほどのものではない。


 そしてその『少々小さな人間』はというと、あっという間に太郎の髪から抜け出し、ふんすふんすと鼻息荒く青衣の膝元に駆け寄っては、聞かれてもいないのに「拙者、那彦でござる!」と名乗っている。


「ほっほ。随分と積極的なお侍さんじゃァござんせんか。なァ、犬っころ。これはどういうことだい?」


 にこりと笑って白狼丸を見る。違う。目の奥が笑っていない。

 

 どういうことだ、というのはつまり、こんなどこの馬の骨とも――いや、馬の骨では大きすぎるのだが――しれぬ男がなぜ太郎の髪の中から出て来たのか、ということだろう。


「おれだってな、いま紹介されたばかりなんだよ。よくわかんねぇけど、とにかくこいつは、髪路から遠路はるばるやって来て、そんで、質の悪い輩から逃げてここに来たんだってよ」

「質の悪い、輩だァ?」


 片眉のみをうんと吊り上げ、素頓狂な声を出す。


「ああもう、わかるわかる。姐御が言いてぇことは全部な」


 大方、何をどうしたらって話だろ、と『質の悪い輩』の部分を伏せつつもそれをほのめかせば、青衣は口元を袖で隠して、にぃ、と笑った。


「ふん、駄犬の割にゃァ察しが良いじゃないか」

「わからいでか。どれだけ一緒にいると思ってんだ」

「言うほどの付き合いでもないだろ」


 そんなやりとりをしていると、太郎が何やら感心したように、ほう、と口を開けて二人を見つめていることに気が付いた。


「おい、どうした太郎。そんな間抜け面して」

「間抜け面なわけがないだろ、この馬鹿犬。何て幼気で可愛らしいんだろうねェ。にしても、どうしたんだい、坊?」

「いや、なんていうか……二人はもうそれだけで通じ合ってしまうんだな。俺は、そこまで至れていないから、羨ましいな、って」


 思ってさ、と照れ臭そうに鼻を掻く。肩を竦めて、きゅ、と小首を傾げれば、青衣に負けず劣らずの色っぽさである。

 その表情と表情に、青衣は「ぐぅっ」と短く叫んで胸を押さえ、白狼丸は両目を覆って天を仰いだ。


「ど、どうしたんだ二人共!」

「くっそ、何でもねぇよ」

「まったく、坊の可愛さは毎回胸に来るねェ。困ったもんだ」


 ああ、『東地蔵あずまじぞう一の小町娘』こと『石蕗つわぶき屋の看板娘』の恐ろしさよ。

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