石蕗屋の看板娘①

「那彦殿、申し訳ないが仕事中は気にかけてやる余裕がない」


 接客というのはどうにもまだ不慣れで、と肩の上の那彦にそう囁く。すると彼は、ふるふるとかぶりを振った。


「何、心配はいらぬ。拙者はただ、安全なところで身を隠すことが出来れば良いのだ」

「しかし、肩の上では危険なのではないか? 客引きといっても、棒立ちというわけにはいかないし、菓子を勧める際には店の中に入って一緒に品物を見ることだってある」

「大丈夫大丈夫」


 そう言いながら、那彦はよいしょよいしょと首を上って耳の上に立ち、ぐいぐいと髪の中に足を突っ込んだ。少々狭そうにしているので、きっちりと結い上げた髷の根元を少し解してやれば、「すまぬ」と小さく詫びて、その身をするりと滑り込ませる。


「太郎殿の髪が豊かで助かった。ほら、このようにこの中に入れば問題ない」 

「成る程。それに仕事中は上から頭巾も被るしな。那彦殿、くれぐれも落ちないように頼む」

「あいわかった」


 そのような経緯で、太郎は頭巾の下、自身の髪の中に那彦を隠して店先に立つことになった。



「やぁ太郎。これからいつもの会合なんだが、また手土産を見繕ってもらえないかな」

「佐竹様、いつもありがとうございます。それでは、御隠居様がお好きだとおっしゃっていた石蕗つわぶき焼きと――、それから、唐芋からいも饅頭はいかがでしょうか。新商品ですが、石蕗焼きがお好きな方ならきっと気に入るかと」

「うむ、太郎がそういうのならそれにしよう」



「太郎さん、先日勧めていただいた、薄衣うすごろも餅ですけれど、あれ、十箱ほどいただけるかしら」

「かしこまりました、梅子様。すぐにご用意いたしますので、どうぞ中でお茶でも」

「ありがとう。太郎さんがお相手してくださるなら、どれだけ時間がかかってもかまいませんのよ」

「申し訳ありません。仕事がありますので」



「ん゛っ、おっほん、あ、あ――……そこのお前。ちょ、ちょっと菓子を選んでくれまいか。い、いや! 女子どもでもあるまいし、それがしは甘味などそんな浮ついたものは好まぬのだが、そ、そう! 女! 女にな! いや、女といっても、別にそういう関係ではなくてだなっ! えっと、その、そう! 恩師の娘だ! それはそれはもう世話になった恩師であるからして! やはり礼は尽くさねばならんしな!」

「成る程。それでは、その恩師の方へはよろしいのですか? 娘様の方だけで?」

「えっ――と……うん、だ、大丈夫! 恩師はいつも礼とかそういうのを受け取らないというか!? けれどもそれでは某の気が済まないというか?!」

「そうことでしたか。それでは、その娘様へということでお勧めさせていただきますね」

「そ、それで頼む。ち、ちなみにだが、貴殿はどれが好みなのだ?」

「……私ですか?」

「そうだ! 貴殿の好みのものをもらおう!」

「若い女性が好むものでなくてよろしいのでしょうか」

「か、構わぬ! それを二つもらおう! 一つは貴殿への礼だ! 遠慮せず受け取るが良い!」


 

「……太郎殿。さっきの侍はあれ、最初から太郎殿の好みを知りたかっただけなのではなかろうか」

「そうだろうか」


 そんなことをひそひそ話していると――、


「おい、太郎!」


 かなり焦った様子の白狼丸が店内を突っ切って店先へと駆け込んで来た。


「どうした白狼丸。もう休憩をもらったのか? 昼飯にはまだかなり早いと思うが。というか、さすがに俺はこの時間は抜けられな――」

「昼飯じゃねぇよ!」


 そう被せ、両肩をがしりと掴む。何だ何だと訝しんでいると、肩を掴んだまま、様々な角度から太郎を検分するかのようにまじまじと見つめてくる。もしや那彦のことがバレたのでは、と冷や汗をかいたが、よくよく考えれてみれば、先にその名を出したのは自分の方ではなかっただろうか、と朝のやりとりを思い出す。あの時は特に追及してこなかったが、きっと後から気になったのだろう。そういうことはよくある。


「大丈夫なのか、お前?」

「はぁ?」

「どこか悪いんじゃないのか?!」

「どこも悪くないが」

「だってお前、朝飯を飛助に運ばせてたじゃないか」

「あぁ、それは――」


 と、経緯を説明しようとしたところで、「うぉっほん」という派手な咳払いが聞こえて来た。声の主は、ここの主人、平八である。


「げぇ、見つかった」

「お前はこんなところで何をしとるんだ白狼丸」

 

 じとり、と白狼丸だけを睨みつける。何も聞かないうちに彼の方ばかりを責めるのは――、などと思う者はここにはいない。何せ真面目な太郎である。いくら一番の友だからといっても、仕事中にわざわざ白狼丸をここに呼ぶわけがないからだ。


「旦那様、白狼丸は私の身体を心配してくれただけで」


 そう太郎が前に出ると、「んな?!」と平八は慌てて彼の元に駆け寄った。そして、太郎の肩に乗っていた白狼丸の手を無理やりに剥がすと、二の腕やら頬やらをぺたぺたと触り「どうした、太郎。どこか悪いのか」と彼の顔を覗き込む。いえ、別に、と返そうとしたのを、白狼丸が「悪い!」と割り込んだ。


「こいつはな、朝飯を食いに食堂に行くことも出来ねぇほどだったんだぞ」

「何だと。それは本当か、太郎」

「確かに飯は部屋に運んでもらいましたが」

「それにな、起き抜けには一寸の侍がどうとかってな、幻覚まで見える始末だ」

「げ、幻覚だと!? 大変だ! お、おい、誰か薬師様を呼びに行け!」

「いえ、ですからその」

「良いんだ、無理をするな、太郎。真面目なお前のことだ。不調を隠して客引きをしてたんだろう。とにかく部屋で休め、な?」

「そうだぞ太郎。客引きなら八重やえ姉さんと五月さつき姉さんに任せろ」


 そう言いながら、店の奥で馴染みの客に愛想を振りまいていた八重と五月をちらりと見れば、同時にこくりと頷いて、駄目押しとばかりに片目まで瞑ってみせた。


 かくして太郎は、白狼丸と平八に担ぎ込まれるような形で自室へ戻された。あれよあれよという間に頭巾を剥がされ、寝間着に着替えさせられ、布団に寝かされる。髪紐を解かれた際には那彦が落っこちるのではないかと肝を冷やしたが、つん、と引っ張られるような感覚があり、どうやら落ちまいと毛束にしがみついていることがわかり安堵した。なるべく強く揺すらぬように用心しながら胸の方に髪を垂らして、ゆっくりと枕に頭を沈める。


 薬師様――青衣を出迎えねばと平八が部屋を出ると、部屋には太郎と白狼丸の二人きりである。厳密には那彦もいるので三人なのだが。


「何だか大ごとになってしまったな」


 天井を見上げて太郎がぽつりと呟く。


「大ごとだろ。だってお前、幻覚が見えるって相当だぞ」

「いや、それなんだが、白狼丸」

「何だ」

「幻覚じゃないんだ」

「は?」

「本当にいるんだ」

「本当にいるって、何だよ。一寸の侍か? おいおい、幻覚どころじゃなくて頭がイカれちまったってことか……?」

「俺の頭は正常だよ。たぶん」

「たぶん、なんじゃねぇかよぉ」


 はあぁぁぁぁぁぁぁ、と白狼丸が肺の中の酸素をすべて吐きつくすようなため息をつき、がく、と頭を垂れると、太郎は「白狼丸!?」と起き上がった。そうしてから、髪の中の那彦を思い出し、ふわりと自身の髪に手を添える。


「白狼丸、大丈夫か? ちゃんと息を吸え」

「吸ってるって。吸わなきゃ死ぬんだから」

「いま俺はお前が死んだと思ったんだぞ」

「そう簡単に死ぬかよ。いまはお前の方が重症だろ」

「だから、幻覚でもないし、頭も正常なんだって。信じてくれ、白狼丸。いつだってお前は俺のことを信じてくれただろ」

「そりゃ信じてぇけどよ。だけど、普通に考えて一寸の大きさの侍なんて――」


 苛立たし気にそういう白狼丸の眼前に、す、と自身の髪の束を突きつける。それをゆっくりと掻き分ければ、中から、ひょこりと那彦が顔を出した。


「い、いた……」

「な、いただろう?」

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