石蕗屋の看板娘③

「まァ、それは置いといて」


 こほん、と咳払いをして、青衣が仕切り直す。


「お侍さんは髪路から来たって言ったっけねェ」

「そうでござる」


 太郎の膝の上にちょんと座り、青衣を見上げて、那彦はでれでれと鼻の下を伸ばしている。


「あそこはほら、職人の町だろう? お侍さんは――」

「那彦でござる!」

「那彦殿の御実家は武家なのかえ?」

「いいや、拙者は縫製職人の家の生まれにござる」

「ほう。縫製職人のせがれが、なぜまた武士に」

「ぐふふ、よくぞ聞いてくださった」


 その後、胸をぴんと張って那彦が滔々と語ったのは、なんてことはない、単なる自己紹介ともいうべき彼の半生であり、その上、やれ、どこそこの団子屋の娘が可愛いだの、あそこの未亡人もなかなかだのといった関係のない話まで挟まれるものだから、かかった時間の割に得られた情報は少ない。剣の腕にはそこそこ自信があるらしいということと、大変な女好きであるらしい、ということのみである。


「拙者、立派な武士になって、きれいな姫を娶るのが夢なのでござる!」


 そんなことを宣言して、晴れやかに拳を握る。


 こいつ何言ってんだ。


 目を合わせた白狼丸と青衣は同時に思った。口に出さずとも、互いにそう思っているとわかったらしく、やれやれ、と首を振った。


「しかしいま!」


 そう叫ぶや太郎の膝から飛び降り、ててて、と小走りで青衣の膝に駆け寄ると、そこに両手をついて顔を上げた。


「運命のひとに出会った! 天女のような美しさであったが、手の届かぬお方であらせられるようだからな。諦めた。人生は短いからな、諦めも肝心だ。よって、青衣殿! そなたを拙者の妻に――」


 と早口で捲し立てたところで、白狼丸が動いた。

 こめかみに血管を浮き上がらせ、誰が見ても『ブチ切れている』とわかる形相で。


「いま何つったお前」


 童なら確実に小便を漏らすだろう、うんとドスの利いた声で。


「昨夜の姫って誰のことだ」


 ひょい、と那彦を摘まみ上げた。


「白狼丸! 下ろすんだ!」

「うるせぇ、太郎は黙ってろ。おれはこいつに聞いてんだ」

「ええい、離せ! 青衣殿ぉ~」


 じたばたと足をばたつかせ、小さな手をめいっぱい青衣の方へと伸ばす。


 が。


「お侍さん、残念だけれど、わっちにゃどうすることも出来ないんだよゥ」


 そんなことを言って口元を袖で隠し、よよよ、と身を捩らせる。白狼丸が、「どの口が」と小さく舌打ちすると、うんと潜めた声で「か弱いのは事実だろう?」と横目で返された。確かに腕力だけの話なら、四人の中では最弱ではある。ただ、それを補って余りある実戦経験と多少危険な知識があるだけで。


「でもまァ、わっちも気になるねェ。返答によっちゃァこの駄犬に加勢したって良い」


 目を眇め、「なァ、お侍さん。昨夜の姫ってェのは、どこの寝所におられた天女様だい?」と、口の端が裂けそうなくらいににんまりと笑う。瞼も柔らかく細められているものの、その奥の瞳がちぃとも笑っていない。


「名は知らぬ! 姫君だ!」

「……ほう」


 怒りで眉を吊り上げていた白狼丸が、すぅ、と真顔になる。


「緩く波打つ髪は上等な絹織物のようだったし、窓から差し込む月明かりに照らされた頬は陶器のように滑らかで、薄く開いた唇は熟れた果実のように紅かった! 確かに、その寝顔に見惚れていたけれども、拙者は断じて指一本彼女に触れてはおらぬ! ただ眠っただけでござる!」


 しゃべるうちに舌が乗って来たのか、そこに触れるのは夫婦となってからだからな! と摘まみ上げられた状態であるにもかかわらず、えへん、と得意気に胸を張る。


 さぁ、離せ、と着物の衿首を摘まんでいる白狼丸を見上げた那彦は、自身を冷たく見下ろす彼の目に「ひっ」と短く叫んだ。


「つまりお前、同衾したってことだな」

「つ、妻だと? 太郎殿、それは真か?! やんごとなき姫ではないのか?」

「別にやんごとないわけでは。ただ、彼女が白狼丸の妻なのは、まぁ、本当だ」

「犬っころ、許しておやりよ。お侍さんの話を信じるなら、あんたの可愛い奥方は指一本触れられてないんだからさ」


 怒りが振り切れたのか、いつもの彼らしからぬ落ち着いた物腰が逆に恐ろしい。こうなればさすがの青衣でさえ那彦に多少同情する気も湧くというものである。


「例え触れていなくても、だ。こいつは同じ枕で寝たんだぞ? しかも、おれしか知らないはずの寝顔までとっくりと堪能しやがった」

「まァ……言われてみればそうだァねェ……」

「白狼丸、那彦殿は知らなかったんだから。ここはどうか穏便に」


 白狼丸の怒りもわかる、と青衣があっさり離脱する中、太郎だけは何とか那彦を助けようと必死である。と、そこへ――、


「まぁまぁ白ちゃん、許してやんなよ」


 飛助である。

 太郎の一大事となれば、やはりこの男にも一応は声がかかることになっている。とはいえ、白狼丸がいるのだし、薬師も呼んでるということで、かなり後回しにされてはいたが。


 すそそ、とちゃっかり太郎の隣に陣取って、うきうきとその腕を取り、「まったく白ちゃんは狭量だよね~」と笑っている。


「ああん? おれが狭量だと?」

「そうだよ。そりゃあさ、可愛い可愛い奥さんの寝顔を見られたのは許せないだろうけどさ」


 だけど、ほんとのほんとに白ちゃんにしか見られない顔だってあるだろぉ? と、うんと悪い顔をすれば、白狼丸は、うぐ、と喉を詰まらせて黙った。その顔がみるみるうちに赤く染まり、やがてそれが指先にまでも伝わったか、那彦が「おい、何やら熱いぞ」と喚き出す。ふん、と口をへの字に曲げて那彦を摘まんでいた指を放すと、あわや床に衝突――というところで太郎がそれを両手で受け止めた。


「おわぁ! きゅ、急に手を離すやつがあるか!」

「うるせぇ」

「大丈夫か、那彦殿」

「ううむ、何のこれしき。……と言いたいところだが、出来れば太郎殿ではなく、青衣殿に受け止めてもらいたかったでござるなぁ」

「あーっ、お前、なんちゅうことを! この罰当たりめ! タロちゃん、こんなやつ、姐御に押し付けてやんなよ、もう!」


 ほらほら、と太郎の手首を掴み、那彦を乗せた両手をぐいぐいと青衣に近付ける。太郎の手の上で「青衣殿!」と興奮する那彦に対して一応の作り笑いを返してから、「仕方ないねェ」と彼を受け取った。


「にょほほほ、やはり柔らかいでござる!」


 などと言いながら、デレデレと鼻の下を伸ばし、すりすり、と青衣の手のひらに頬を擦りつける那彦の姿を見て、白狼丸と飛助が同時に吹き出す。


 そして――、


 お前、そいつ、だからな。


 その言葉を、やはり同時に飲み込んだ。


 その後で、「ええと、那彦殿、青衣は――ああでも、こういうのって俺から言っても良いものか」とおろおろしている太郎の口を「面白れぇからほっとけ」「当人が喜んでるんだから良いんじゃない?」と塞いだのは言うまでもない。 


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