『姫』のお供でお遣いへ

五尺七寸の追手①

「外の空気を、と言われましてもなぁ」


 青衣の向かいに座る平八が、顎を擦りながら何やら気の抜けた声を出す。


「外の空気ならほんの一月前に散々吸ってきたはずですが」


 と、一月前の『磐海凪ばんかいなぎ神隠し事件』を思い出すように視線を天井の辺りに向けて目を細めた。


「馬ッ鹿なことをお言いでないよ。旦那、葉蔵さんから何も聞いてないのかえ? なァにがの空気だい」

「い、いえ! ちゃあんと聞きましたとも!」


 ぎろり、と睨まれ、ぶるり、と震えあがる。の――特にこの薬師の睨みは心臓に悪い、と平八は思った。


「確かにね、稼ぎ頭に二月も休まれたんだ。その分を取り返したいってェ旦那の気持ちもわかる。だけど――」


 アンタ、この一月、休みっていう休みも取らせてないみたいじゃァないか、と広げていた扇子をぱちり、と閉じる。そして、つぅ、と目を細めれば、やはり平八は「ひぃ」と短く叫んで身体を震わせた。


「そ――、それは、その、太郎が働かせてほしい、って言うから」

「そりゃァ言うだろうさ。太郎だよ? アンタ、あの子を潰したいのかえ?」

「そんな! 滅相もない! た、ただワシだって声はかけたんですよぅ。一日と言わず、半日でも良いから、少しは休んだらどうだ、と。だけど――」


「私のことはお気になさらず。働かせてください、旦那様。二月も休んでしまって、本当に申し訳ありませんでした」


 頑なに、休もうとしない。


 平八とて、太郎を使い潰すつもりなど毛頭ない。だから、せめて多少早めに上がってはどうだ、と提案した。売り場の従業員をも巻き込んで皆で説得し、やっとのことで太郎が折れ、定時より一刻ほど早く上がるようになったのがここ数日のことである。


「あの子にね、頭ごなしに休め休めって言ったって、駄目なんだよゥ。何か適当な遣いでも言いつけて、一日のんびり外出でもさせてやりゃァ良いのさ」


 この度の体調不良の原因は『過労』である、というのが、診断結果である。


 もちろん、太郎の方ではどこも悪いところなどないし、『一寸ほどの侍の幻覚』とやらも、単なる事実であったわけなのだが、そういう経緯で、太郎はその翌日、平八から、遣いを頼まれることになった。

 


「それで? どんな遣いを頼まれたんだい?」

下蔓しもかずらの履物屋に預けている旦那様の足袋を受け取るのと、上浅葱かみあさぎの呉服屋に奥様の帯を注文しに行く」

「下蔓に上浅葱、か。ふぅん、遣いの内容もまァちょうど良いねェ」

「ちょうど良い。何がだ?」


 早朝、太郎が石蕗つわぶき屋の従業員長屋を出ると、それを待ち構えるようにして立っていたのは、余所行きの着物に身を包んだ青衣であった。わっちも一緒に良いだろう? と言われれば、断る理由もない。


「坊の息抜きだよゥ」


 青地に真っ赤な椿の花が咲いている派手な着物を着た青衣が、にや、と笑う。この場に白狼丸と飛助がいたなら「いや、絶対にそれだけじゃないだろ!」と横やりを入れそうな笑みであったが、太郎に伝わるわけもない。


「俺の息抜き? このお遣いがか?」


 案の定、何もわからぬ、と言った表情で、きょとんと首を傾げる。


「まァ良いさ。のんびり行こうじゃァないか」


 広げた扇子で口元を隠し、


「今日はあのうるさい馬鹿共犬猿がいなくて良いねェ」


 そんなことを言い、ほっほ、と品よく笑ってから、彼の胸元からちらりと顔を出す一寸の侍を見て、「あァ、アンタがいたんだっけねェ」と肩を落とす。けれども、今回の遣いのを考えれば、こいつはこいつでいてもらわねば困る。


「青衣殿、青衣殿」


 太郎の着物の襟元から上半身をすっかりと出し、「太郎殿の懐も温かくて良いが、出来れば、その、青衣殿の方が――」と小さな腕をばたつかせている。


「那彦殿、そんなに身を乗り出せば危ない」

「むぅ、止めてくれるな太郎殿。拙者は青衣殿の懐に収まりたいのでござる!」

「まァ、お侍さんたら、助平だねェ。わっちの懐が良いだなんて」


 いくら外見上は女性でも、青衣はれっきとした男性である。もちろん胸にも詰め物くらいはしているのだろうが、恐らく、触れればバレてしまうだろう。


には触れるのも我慢したってェのに、わっちのことは大事にしてくれないのかえ?」


 科を作ってそう返すと、ふほっ、と大きく鼻息を吹いて、「だっ、大事にするでござるぅ」と再び首まですっぽりと埋もれる好色侍であった。


 青衣が同行する理由は一つ、である。太郎という男は、さすが鬼の子だけあって、身体は頑丈には出来ているし、力も強い。けれど、戦闘経験がない。こちらに対し明確な殺意を持って向かってくる相手とまともにやり合ったことがないのである。それでもまだ那彦を石蕗屋あそこに置いておくなら、そんな心配もなかったのだが、太郎の性格から考えて、一寸の侍をたった一人で留守番させるとも考えられない。


 そして案の定、彼の懐にはその侍がいるのである。


 となれば、彼を狙っている『質の悪い輩』とやらが二人を襲撃しないとも限らない。そのための護衛であった。


 予想に反して太郎が一人ならばそれで良し、輩が既に諦めてくれていればそれでも良し。邪魔者那彦はいるが、太郎とのお出掛けとあって、多少気も頬も緩む。


 文月も終わりに差し掛かった晴れた日。日中の日差しは厄介だろうが早朝の風は心地よい。絶好のお遣い日和である。


 何事もなけりゃ良い。

 それで、この侍をどこか適当な武家屋敷の前に捨ててしまえば良いのだ。都合よく、下葛にも上浅葱にもあったはずである。それがもう一つの目的だ。


 本当に武士を志しているのなら、願ったり叶ったりだろう。それでもし、何だかんだと理由をつけて拒むようなら、武士になるなんてのは真っ赤な嘘だ。そしてたぶん、恐らく、否、確実に嘘だ。こいつはとにかく怪しすぎる。


「さて、どうなるものやら」


 日除け笠を目深に被り、青衣は小さくため息をついた。

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