いざ磐海凪①

「いざ、いざいざぁ〜!」


 そんな声を上げ、飛助はぶんぶんと拳を振り回して歩き出した。その斜め後ろを歩く太郎は、朝飯を無理やり詰め込んだ腹がきついと、帯の辺りをしきりに撫で擦っている。


「ほらぁ、タロちゃんも! いざぁ、磐海凪ばんかいなぎぃ!」

「い、いざぁ……」


 恥ずかしいのか顔を赤らめつつも飛助に倣って拳を上げれば、彼は「その調子その調子」とにんまり笑った。多少無理に気持ちを上げている節はある。その自覚はある。


 なぜなら、今回の神隠し騒動はやはり『人』の手によるものではなかったからである。


 まだ人さらいの類の方が良かった。もちろん、白狼丸が五体満足で生きている、という前提にはなるが。


 けれど相手がどうやらそうではないとわかると、正直なところ、何をどうすれば良いのかわからない。ただ、青衣の話では、白狼丸は恐らく無事なのだという。白狼丸だけではなく、葉蔵もである。


 ただ、時間がかかりすぎると危険かもしれない、とのことだった。だから白狼丸よりも先に失踪している若者達は果たして――、という。



 昨夜の青衣の話によればこうだ。


「亀だ」

「亀?」

「そう、亀。海亀だァねェ。それもうんとデカいやつさ。亀は万年、なんて言うけれど、一体何年生きているやら、ってくらいの亀だ」

「その亀がどうしたというんだ」


 もしや食われたのではあるまいか、と青ざめる太郎に、「違うよ、安心おし」と努めて優しく言う。


 が。


「海の中に引きずり込むのさ」


 と、きっぱりと言い放つと、いよいよ太郎は、ぷつりと糸が切れたように崩れてしまった。


「わ、わぁぁぁ! タロちゃぁん! タロちゃぁぁぁん! 酷いよ姐御ぉ! そういうのはもっとこう、遠回しに遠回しに言わないとぉ!」


 片腕で太郎を抱きとめつつ、もう片方の手で青衣の肩を揺する。いくらあの白狼丸が強靭な肉体を持っていたとしても、海に引きずり込まれて生きていられるわけがない。


「まァまァ、話は最後までお聞き。坊、坊? しっかりおし、犬っころはくたばっちゃァいないよ、恐らくね」

「ほ、本当か……?」

「おうとも。この青衣姐さんが坊に嘘をついたことなんて……うん、隠し事はあったけど、今回は大丈夫。うん、今回は大丈夫」


 そんなにも大丈夫大丈夫と重ねられれば逆に怪しいと飛助辺りは思うのだが、太郎はそれをまるっと信じた。


「わかった、信じる。すまない飛助。続けてくれ、青衣」


 

 様々な情報を繋ぎ合わせると、どうやら怪しいのは浜辺らしいことがわかった。

 いまから数ヶ月も前のこと、粗末な着物を着たずぶ濡れの若者が、その身なりにそぐわぬほどに美しい箱を持って浜辺を徘徊していたのだという。ここいらでは見かけない顔だから、よそ者だと思われた。嘘か真か、「自分はたったいま、海から上がって来た」などと言う妙な若者であったそうだ。

 そして彼は漁師の家を一軒一軒回っては「違う、違う」と繰り返し、やがて気でも触れたか大声であはははははと笑い出した挙句、箱を抱えて崖から身を投げたらしい。擦り切れた草履の横に、その箱に結び付けられていたらしい美しい紐が落ちていたから、恐らく中を開けたのだろうとは思ったが、住民の誰も、中に何が入っていたのかはわからないとのこと。


 謎の男に、美しい箱。

 もしやその中には人の気を狂わせるあやかしが潜んでいたのではないか、などという噂が流れたが、所詮は見ず知らずのよそ者の話である。いつの間にかそれも消えた。


 が。

 その噂が消えた頃、今度は磐海凪を訪れた旅行者が神隠しに遭うようになったのである。


「そ、それで?」


 飛助がごくり、と唾を飲む。太郎の肩を抱いたまま、気付けば、彼の方がしがみつくような姿勢になっていた。


「神隠しに遭った若者達は皆、最後に必ず浜辺に立ち寄ってるんだ。釣りがしたいと言って舟を借りに来たり、貝殻を恋人に贈るのだと言っていたらしくてね。だけどまさかそんなことが起こるなんて誰も思わない。漁師達は快く舟を貸してやり、貝ならあっちの方によく落ちていると教えてやったりしていたそうだ」


 いなくなっても所詮は旅行者、よそ者である。

 そもそも、いなくなったとて、気にする者はいない。もう帰ったのか、そう思うだけである。


 けれど、宿屋の主人は違った。

 今日も泊まると言っていた、まだ金をもらっていないし、荷物も置きっぱなしだという。


 けれどどこを探しても若者はいない。

 そのうちに、その若者の身内を名乗る者が、彼を探して訪ねて来たのである。ということはやはり彼は帰ってなどいないのだ。

 そういえば、と思い立ち、これまで磐海凪に来た旅行者で、妙な消え方をした者はいなかっただろうかと方々を回ってみたところ――、


「そういや、いつだったか舟を貸した若者は、礼も何もなしにいなくなったな」


 とある猟師が言ったのである。

 借りに来た時は随分礼儀正しい若者だと思ったのに、その船は海岸に寄せられてはいたものの、返却の礼の一つもなかったと。


 そして別の漁師も言うのである。


「貝を拾うと言って道具を借りに来たやつも、そういえば返しに来なかった。熊手は浜辺に打ち捨てられていた」


 昨今の若者はこれだから、などと思っていたが、と。


「それで、その漁師の家を一軒一軒回ってね、聞き込みをしたわけだ。アタシの恋人を知りませんか、って。そしたら」


 少女が見ていたのだ。

 大きな海亀に群がる少年達を。

 そして、それを止めに入った若者の姿を。


 それは一度だけではなかった。

 定期的にその亀は海から上がって来ては少年達に見つかり、取り囲まれて殴打される。

 そこへ若者がやって来て、止めるのだ。


 そして、何やら若者は亀と言葉を交わし――、


「いやいやいやいや、亀がしゃべるわけないじゃん!」

「そりゃァわっちも信じ難いし、それに、その嬢ちゃんが言うには、遠くから見てたから、本当に会話をしていたかなんてわからないらしい。だけど、そう見えたらしいんだよ。それにねェ――」


 アンタ、さんざん地蔵やら狐やらとくっちゃべっといて、亀は駄目ってどういう了見だい?


 そう言われれば、納得せざるを得ない飛助である。

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