一寸法師と怪力娘③
「いやいや、ですからね?」
「何かよくわからねぇけどよぅ、おれ達の知り合いの娘さんがここに嫁いだって聞いたもんでな?」
「それで、祝いの品を持って来たんですが」
一体何が起こったのだろう、と
「太郎様? どうしてこちらに?」
集まった使用人のうち、主に女中達から浴びせられる黄色い声を全く気にも留めず、ただただ木偶のように突っ立っていた太郎は、紗雨の姿を認めると、「ああ紗雨殿」と、やっとふわりと笑った。不意の笑みに近くに立っていた女中の何人かが眩暈を起こしてその場に倒れたのを、「いやぁタロちゃんはさすがだなぁ」「さすがだなぁじゃねぇだろ。おい、ここにゃお抱えの医者はいねぇのか」と感心するやら呆れるやらの犬猿である。
「紗雨殿がこちらに嫁いだとの話を聞いたものでな。紗雨殿とは今日知り合ったばかりではあるが、袖振り合うも他生の縁とはよく言ったものだし、何か祝いの品を贈った方が良い、と青衣に教えてもらったんだ」
「青衣様が? 青衣様ならさっきここに――」
と、振り向いてみたが、そこに青衣の姿はない。確かにこの家の女中の着物を着て後ろにいたと思ったのだが、と首を傾げる。
「というわけで」
受け取ってもらえるだろうか、と言いながら、外に出て、入口に置いてあった大きな――それは太郎の身長を優に超える大きさの――酒樽を持ち上げた。ちゃぷ、という音がしたから、間違いなく空ではない。
「……は?」
目の前の細身の美丈夫が顔色一つ変えずに己よりも一回りも大きな樽を持ち上げたことに、右近はいよいよ腰を抜かした。壁に背をつけたまま、ずるずるぺたんと尻をつき、わなわなと震えている。
「タロちゃんタロちゃん、それだけじゃないでしょ。もー、うっかりさんなんだから」
「おう、ほら、こっちの魚と餅も忘れるなよ」
そんなことを言って、ずい、と魚やら餅やらを太郎の前に差し出す。使用人達が「両手が塞がってるのに持てるわけがない」「こいつらが持てば良いのではないか」「そもそもあんな細身の男がなぜあんな大樽を持てるのか」とざわつく中、太郎はやはり涼しい顔をして「すっかり忘れてた」などと言いながら、両手で抱えていた酒樽を横に倒して肩の上に乗せ、それらを受け取ってみせた。「ば、化け物」と右近は失禁し、威勢の良かった男衆の数人が泡を吹いて倒れる。
とそこへ、まだぎりぎり正気を保っていた数名にとどめを刺したのは――、
「こんなにいただいてよろしいのでしょうか。あの、旦那様。こちら、どこに運べばよろしいですか?」
と、それらを軽々と受け取った紗雨であった。
紗雨、返品である。
腰を抜かしたままの状態で、濡れた着物を掛布で隠してもらいつつ、それでも右近は声だけは立派に張って紗雨を追い出した。紗雨の方では、何が何やらわからぬうちにここに連れて来られ、そしてまたわけのわからぬうちに追い出された形である。日はまだ沈みかけたばかり。異例の速さの三下り半――といっても、彼女はただの妾だったわけだが。
「相変わらず、姐御の指示はわけわかんないよねぇ」
そんなことを言いながら、太郎の隣を歩く飛助である。
「まずこいつがどこの誰なのかも知らねぇしな」
こちらもこちらで太郎の隣を歩く白狼丸が、その後ろをとぼとぼと歩く紗雨に視線をやる。
「こちらは那彦殿の許嫁の紗雨殿だ」
白狼丸と飛助に挟まれた太郎がそれに答える。先ほどの『祝いの品』については「向こうにくれてやったもんなんだから、万が一断られても店の前に置いときゃァ良い」との指示があったので、その通りにしてある。魚と餅は本物だが、樽の中は川の水だ。
「那彦殿……? あぁ! あのちっちゃいお侍さんか! なぁんだよぅ、こんな可愛い許嫁がいるってのに、あんにゃろう!」
「てめぇの嫁がいるってのに他の女に現をぬかしやがって……!」
飛助は紗雨の手前だからだろう、表向きの笑みを貼り付けた状態で、白狼丸は怒りも隠そうとせずに牙を剥いて、それぞれびきびきとこめかみのあたりに血管を浮き上がらせている。
許嫁だの嫁だのという言葉に、紗雨がぴくりと反応する。五尺七寸の身体をきゅうと丸めて、「違います」と項垂れた。
「あたしはもう那彦様の許嫁ではありません。一度は
そう言うや、うぐうぐべそべそと泣き出し、その場に丸まってしまった紗雨に白狼丸が慌て出す。
「おい、泣くなよ嬢ちゃん。おい馬鹿猿、お前なんか芸の一つでも見せてやれ。笑わせんのは
「十八番も十八番に決まってんだろ、おいら芸人だぞ?! だけど、白ちゃんからの頼みっつーのがなぁ。タロちゃんが上目遣いにお願いしてくれたら二つ返事でなぁーんでもやっちゃうんだけどなぁ~?」
太郎の腕を取り、彼より大きな背を丸め、むしろ飛助の方が上目遣いになって甘えた声を出すと、「頼む、飛助」との言葉が口をつくより早く、その胸元から那彦がぴょんと飛び出した。
「おわ、出た!」
「何とかしろ、亭主」
「やはり紗雨殿には那彦殿だな」
三人がそれぞれの言葉を並べる中、あっという間に紗雨の頭の上に乗った那彦は、いつものようにその場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「えっ、あのお侍さん女の子の頭踏んづけて何してんの?!」
「おい、そりゃあねぇだろ!」
「二人共落ち着いて。最初は俺もびっくりしたけど、あれはあれで正しいんだ」
「正しいって……」
「そうは見えないけどよぅ」
けれど、太郎の言葉が間違いではない証拠に、紗雨はすぐに泣き止んだし、彼女に笑顔が戻るや否や、頭上の侍は「仕方ないからこれからも拙者が面倒をみてやる」とまんざらでもない顔をして呆れたように笑ったのであった。
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