竜宮城①
「白狼丸殿、
「いや、いらねぇ」
笑みを貼り付けた、妙な顔つきの女人達が白狼丸を取り囲み、しきりに酒を勧めて来る。ここに着いた時、
だけどきっとこの世界では美女の部類なのだろうな、などと思いつつ、豪奢な椅子に胡坐をかいて、ぶすくれた顔のまま、帰りてぇ帰りてぇと呟いているのである。
「なぁ、マジで酒はいらねぇからさ、おれはそろそろ帰りてぇんだが。さっきの亀は――
「もうお帰りなのですか? まだ乙姫様にもお会いしておりませんのに」
ヒラメのような顔をした女人が、ふふ、と笑う。
「別に会う気はねぇよ。おれは緑六がどうしてもっつぅから来ただけでな? 第一、会ってどうするんだ。てめぇんとこの亀を助けたから礼を寄越せとでも言えば良いのかよ」
「んまぁ、何と下品な」
「このような方、乙姫様が気に入るかしら」
「わからないわよ? いつだったか乙姫様が気に入った方も同じような話し方をなさっていたもの」
「あの方は残念だったわね。太郎さんとおっしゃったかしら」
「島……太郎じゃなかったかしら」
「そうね、島太郎さんだったわね」
ヒラメやら鯛やら、何となく元の姿の想像がつく女人達は、そんなことを言い、くすくすと笑っている。
「緑六からも言われてるんだ。帰りたければいつでも言ってくれ、ってな。そんなわけだからおれはもう帰る。大事な用があるんだ」
懐には、可愛い妻のために買った貝の髪飾りがある。ここの女人達が髪に差しているものに比べたら随分安っぽく見える代物ではあるが、あの美しい髪が何よりの宝石なのだ。これでも十分すぎるくらいである。
「まぁそんな焦らずとも良いではありませんか」
「ほら、もうじき乙姫様もいらっしゃいますし」
「だからよぉ、そのオトヒメサマと会ってどうするんだよ。おれには会う理由なんてねぇんだっつぅの」
誰が見てもわかるほど、心底うんざりしたような顔をして、んべぇ、と舌を出す。
さっきから二言目には乙姫様乙姫様とその名を出す女人達は、彼のそんな態度に眉を顰めたが、そんなの知ったこっちゃねぇ、ともののついでに屁までこいてやった。
「乙姫様の美しさと来たら、この竜宮城も、海の景色すらも、何もかもが霞んで見えてしまうほどなのですよ」
「ああそうかい」
「わたくし達が束になっても、到底敵わぬほどの美しさなのですよ」
「だろうな」
ついつい口を滑らせてしまうと、女人達は、「んまぁ!」と気分を害したようだったが、そもそも己が発したことである。彼はそれに同意しただけだ。
「あのな、その乙姫様とやらがどんだけの美女かは知らねぇけどな。おれにはそれ以上に美しい妻がいるんだ」
ふふん、と得意気にそう返してやるも、女人達は、ほほほ、またまた、と笑い飛ばすのみである。
「ああ、ほら、噂をすれば――」
そう言って、蛸のような顔の女人が顔を上げた。その言葉で、女人達が一斉に一歩下がり、恭しく
「乙姫様、お待ちしておりました」
はっ、何が乙姫だ。
茜以上の女がこの世にいるものか。
そう思って、それでも一応、礼は尽くさねばと、胡坐の姿勢のままではあるが頭を下げた。もうそろそろ良いかと、緩慢にそれを上げると――、
「あ、茜……?」
茜にそっくりの女がいた。
見慣れぬ着物を纏い、長い髪を奇妙な形に結い上げてはいたが、顔は茜そのものである。
「ほほほ、やはり見とれておられる」
「乙姫様の美しさは、この海で一等、いいや、陸の世界を含めても一等でございますわ」
勝ち誇ったような女人達の声が腹立たしいが、けれど、認めざるを得ない。白狼丸にとって、この世で最も美しいと思う女と瓜二つとなれば、その美しさを否定することは出来ない。
「本当に茜じゃないのか?」
彼女に視線を固定したまま、ゆっくりと椅子から降りる。恐る恐る手を伸ばしてみれば、「何と無礼な」などという女人の声も聞こえたが、姫の方はそれを拒みもしなかった。口元に品よく笑みを浮かべて、その手を取り、頬へと導く。
ふに、と柔らかいそれは、ひんやりと冷えている。
「他人の空似か? なぁ、本当に茜じゃないのか?」
尚もそう問い掛けるが、茜によく似たその女は、それには答えず、ただ柔らかく笑っている。珊瑚色の唇が、誘うようにゆっくりと開いて、幻術にでもかかったか、ぴくりとも動けなくなってしまった白狼丸に、それが近付いていく。
「ここにずっといてくれますか」
少し低めの声もまた、茜によく似ている。
その声で紡がれた言葉に思わず頷いてしまいそうになる。
既に、目の前の女は、白狼丸の中で茜になっていた。
茜とずっと一緒にいられたら、どれだけ幸せだろう。
だけれども、そうなったら太郎はどうなる。
きっとあいつのことだから、それが、おれと茜の幸せだと思えば、喜んでその身を差し出すのだろうが。
「わたくしと、一緒にいてくれますね」
確認のように再度重ねられたその言葉に、ああ、と応じようとして、はた、と気付く。
違う。
こいつは茜じゃない。
茜は『わたくし』などと言わない。
あいつはいつまでたっても男言葉が抜けねぇんだ。そこもまた可愛いところではあるのだが。
姫だろうが何だろうが関係ねぇ、とその手を振り払い、肩を強く押して距離を取る。乙姫様になんてことを、と慌てふためく女人達を「うるせぇ!」と怒鳴りつけた。
「何をなさるのです。わたくしがお嫌になったのですか」
「お嫌も何もねぇ。お前は茜じゃねぇ」
「同じ顔なのでしょう? ならば良いではありませんか」
「はっ、
そう威勢よく啖呵を切った瞬間、どぅ、と何かが白狼丸のみぞおちにぶつかり、彼は軽く二間ほど吹き飛ばされた。
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