海亀の緑六③

「これはすげぇや」


 城門の前で緑六の背から降りる。

 それはどうやら巨大な気泡の中に建てられているらしく、その中に入ってしまえば彼の背から降りても平気らしい。

 

 なるべく茜の方は見ないようにと心がけ、貝や珊瑚で飾り付けられた門を見上げて、へあぁ、と気の抜けた声を出す飛助である。


「それでは私についてきてください」


 のそのそと歩く緑六は、やはり陸は不得手と見えて、先ほどの優雅な泳ぎぶりと比べると実に鈍い。けれどもまぁ亀だしな、などと思っていると、その門をくぐり抜けた瞬間に、彼は人の姿に変わった。しゃんと背の伸びた、精悍な若者である。年の頃は十九、二十といったところだろうか。


「緑六殿、その姿は……」

「ああ、この城の中では、こうなるんです。お気になさらず」

「いやいや、気になるよ。なぁんだ、おいらてっきり緑六さんってもっと爺さんなのかと思ってたのに」

「ははは。驚かれましたか。亀は万年生きますが、私はまだ千年ちょっとしか生きておりません。亀の中ではまだまだわっぱも良いところです」

「千年も生きてたら十分爺さんだよ」


 若者らしくしゃんしゃんと歩くその後につくと、向こうから歩いて来るのは美しい着物を着た女人達である。彼女らは皆、髪を奇妙な形に結い上げている。水の中という感覚はないものの、それは確かに存在しているらしく、二つに分けた髪の束をくるりと輪のようにして後ろで固定したそれは、波に乗ってゆらりと揺れていた。

 着物や髪こそ美しかったが、顔の作りについては、お世辞にも美女とは言い難い。もしや彼女らも元々は人ではなく、蛸や魚なのではないかと思わせるような特徴的な顔つきをしている。


「これはこれはりょく殿。また新しい婿殿ですか?」

「毎日毎日熱心ですこと」

「けれどそちらの方は殿方ではございませんね」

「乙姫様がお気を悪くなさらないかしら」


 飛助と茜の顔を舐めるように見、何やらくすくすと笑いながら、その、蛸だか魚だかといった顔つきの女人達は去って行った。


「……なーんかヤな感じ。そう思わない、茜ちゃん?」


 茜の顔を見ないよう、明後日の方を向きながら、そう尋ねる。

 けれど返って来たのは、何が何やらといった風のきょとんとした声である。


「そうか?」

「……成る程。性別が違うだけでほぼほぼタロちゃんと同じなんだな」


 そんなことをぽつりと呟く。


「なぁ緑六さん。その婿さん達はどこにいるの? ここに来たからって強制的に婿入りなんてことはないよね?」

「緑六殿、白狼丸は俺の夫なんだ。それは困る。だけどもし、あいつが心変わりをして、どうしてもその乙姫様と添い遂げたいと言うなら……その時は……」


 そこまで言うと、茜は、ぐぅ、と喉を詰まらせた。ぐす、と鼻を啜る音が聞こえてくる。


「茜ちゃん、白ちゃんだよ? その乙姫様がどれだけの美女かは知らないけどさ、あんなに茜ちゃんにべた惚れの白ちゃんだよ? 心変わりなんかあるもんか」

「俺だってそう思いたいさ。だけど、白狼丸は七日も戻って来なかったんだ。毎日のように俺の部屋に通って来ていたあの白狼丸が。もしかしたら、俺に飽きたのかもしれない」

「飽きるだなんて、そんな。戻って来なかったのは、ここから出られなかったからかもしれないじゃん! 白ちゃんの意思とは限らないだろ!?」

「そうだろうか。なぁ、緑六殿。白狼丸はここに来て、帰りたいとか、そういうことは言ってなかったか?」


 その声色から、茜の必死さが伺える。心変わりをしたなら、などと身を引きそうな態度をとっていたが、もちろん簡単に諦めきれるものではないのだろう。けれど緑六は、「あ――……」と言って気まずそうに視線を泳がせた後、「まだ、そういう言葉は聞いてませんね」と首を振った。と同時に、茜の身体がぐらりと傾ぐ。


「わぁ、危ない!」


 思わずその身体を支え、彼女が体勢を立て直したのを見て、ゆっくり手を離す。


「ごめんよ茜ちゃん。触らないって約束したばっかりなのに」

「良いんだ。支えてくれてありがとう、飛助」


 ぶかぶかの太郎の着物を纏った茜は飛助の想像よりも遥かに華奢だった。手を離す直前、その身体が震えていたことに気付いたが、まさか抱き締めてやるわけにもいかない。


 きっとここは陸にはない珍しいものがたくさんあるからさ。

 それに目を奪われちゃってるだけなんだよ。

 茜ちゃんのことを忘れてるなんて、まさかそんな。


 いや、どんな言葉を並べても、駄目だ。


 むしろ言葉を重ねるほど、白狼丸がここを気に入り、彼の意思でここに残ろうとしていると認めたように思えてしまう。


 とにかく、本人に会わなければ。

 弁明にしろ何にしろ、いずれにしても、本人の口から聞かないことには。


「茜ちゃん、ここで考えても仕方ないよ。まずはさ、白ちゃんに会おう? 本人から直接聞いてみないと」

「そ、そう……だな」


 ふらふらと頼りなげに歩く茜を支えたいと思うものの、傷心のところにつけ込むようで居心地が悪い。


「緑六さん、白ちゃんに、婿さん達には会えるかい? さっきも聞いたけど、ここに来たら絶対に婿入りしないといけないとか、ないよね? ね?」

「もちろんですとも。自分の意思でここを出た方もちゃんとおります。帰りたいとおっしゃって下されば、私がすぐに陸へお戻ししますから」


 婿入り確定ではない、自らの意思でここを出たものもいる、という返答に安心しかけたが、だとすると、やはり帰って来なかったのは彼の意思ということになってしまう。いよいよまともに歩けなくなった茜の肩を支える。


「茜ちゃん、ごめんね。嫌かもしれないけど許してくれ。絶対に下心なんてないからね」

「わかってる。わかってるよ」

「白ちゃんに会ったらさ、おいらは茜ちゃんがどんなに止めたって一発殴らせてもらうからね。どんな理由があるのか知らないけど、茜ちゃんをこんなに悲しませたんだ。それくらいしたって良いだろ」


 ふん、と鼻息を吹いて歯を食いしばる。

 飛助は茜の肩を支えてはいる。だけど彼は前だけを見て、決して彼女の顔を見ようとはしなかった。


「それでも俺は止めるだろうな」

「何でさ、あんなやつ……!」

「飛助はそう思うかもしれないけど、俺にとっては大事な夫なんだ」

「ああもう、何でこんな健気な子を……」


 あの野郎、やっぱり八つ裂きだ、とそれだけは心の中で呟いた。


 とりあえず――、


「緑六さん、お願いがあるんだ。おいら達が白ちゃん――この茜ちゃんの旦那と合流出来たらさ、おいらの仲間を連れて来てくれないかな。たぶんもう浜に着いてると思う。向こうが緑六さんのことわかるはずだから。出来れば急ぎ目で」


 そう言うと、緑六はにこりと笑って「かしこまりました」と頭を下げた。


 よし、これで白ちゃんあの馬鹿のお仕置きは確定だな。

 そんなことを考えながら長い廊下を歩いた。

 

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