開けて悔しき玉手箱

玉手箱①

「待たせたねェ、お前さん」


 緑六りょくろくに連れられて廊下の陰から現れたのは、青衣であった。男の恰好でもなければ、忍び装束でもない。そもそも、いくら手練れの忍びであってもさすがにここ海の中までは一人でたどり着けるわけがないのだから、忍びの恰好であるわけはないのだが。


 いつもより多少控えめではあるものの、しなやかな女人そのものである。


「ああん、待ってたよぉ、青衣さぁん」

「青衣、、だぁ?」

「知らなかった、飛助は青衣と恋仲だったのか」


 普段のような『姐御呼び』ではないことに、白狼丸は、ぞわり、と肩を震わせた。


「何だい、随分な別嬪を侍らせているじゃァないか、妬けちまうねェ」


 よよ、と袖で目元を隠して身をくねらせれば、飛助の方でも多少焦ったような声を出す。


「誤解! 誤解だよぅ、青衣さぁん! おいらが青衣さん一筋なの知ってるだろう?」


 いいやこいつはさっき、そこのお姫さんに求婚されてまんざらでもねぇ顔してたぞ、と腹では思うものの、何となくこの場では黙っていた方が良いような気がして、白狼丸は成り行きを見守ることにした。茜はというと、自分達以外にも想いを通わせた恋仲同士がいるのが嬉しいのか、両手を合わせてにこにこと微笑んでいる。口調は男でも、乙女らしい心はあるようである。


「申し訳ございません、乙姫様。そういうわけですので、ウチの人を返してもらえませんでしょうか。この人を持って行かれてしまったら、あたし、首を括るほかございません」


 哀れな女を装って、瞳を潤ませる。


 そんなタマかよ、と白狼丸は密かに思った。


「大切な人を失う辛さは、乙姫様もご存知でございましょう?」


 ちらりと流し目をやれば、乙姫はぴくりと反応した。肩を震わせて、頷くように視線を落とす。


「ええ……そうですわね」


 力なく乙姫がそう返すのを見て、白狼丸は思った。姐御の野郎、何を知ってやがる、と。


「それから、差し出がましいようですが――」


 そう言って、青衣は懐から文らしきものを取り出した。


「こちらの文、もしかしたら乙姫様宛ではないかと」

「わたくし宛?」

「ええ。実は随分前に磐海凪ばんかいなぎの浜辺に奇妙な男が現れまして」

「奇妙な、男?」


 乙姫が眉を顰める。一体それが何だというのか、というような表情であったが、青衣の次の言葉でそれを一変させた。


「ええ、その身なりには似つかわしくないほどのを持った男だったそうです」

「は……箱ですって」

「そうです。中に一体何が入っていたやら、とにかく、売れば一生遊んで暮らせそうなほど、美しい細工の施された箱だったそうで」

「そ、その箱を持った男が、この文を?」


 そうです、という青衣の返事を待たずに、乙姫は慌ててそれを開いた。そして、大きな目を潤ませながらそれを読み、ああ、ああ、と声を震わせた。


「島太郎様……」


 そう呟いて、がくりと膝を折る。ヒラメ女と鯛女が「乙姫様!」と駆け寄った。


「醜い陸の女め! 乙姫様に何を!」

「乙姫様、お気を確かに! この醜女しこめが! 乙姫様に何をした!」


 海の生き物の美的感覚によれば、どうやら青衣は『醜女』の部類らしい。まぁ、価値観なんて様々だしな、と飛助と白狼丸は思った。


「あたしは別に何もしてませんよゥ。ただ、文を渡しただけでございますからァ」


 しれっとそう答えると、乙姫もまたこくこくと頷いた。


左織さおりづ、良いのです。この方の言うとおり、文をいただいただけ。島太郎様の、島太郎様からの文を」


 そう言って、証拠だとでも言わんばかりに手の中の文を見せる。『左織』と『愛づ』という名らしい女人がそれを確認したのを見て、愛おしげに胸に抱いた。


「緑六、緑六は」

「私ならここに」


 名を呼ばれた海亀の緑六が、亀とは思えぬ速さで駆け寄り、膝を着く。


「婿候補達を全員陸へ戻します。どうしてもここに残りたいという者を除いて、全員陸に返しなさい」

「よろしいのですか、乙姫様」

「良いのです。わたくしが間違っておりました」


 それからは、あっという間だった。豪華な個室で魚女達に酌をされていた若者達は、緑六と、その仲間の海亀達の背に乗って、一斉に陸へと返されることになったのである。その若者達の中には葉蔵もいた。へべれけに酔って、ひっくり返ってはいたが。

 優先順位はもちろん、ここへ来た順であるため、太郎(茜)一行は一番最後ということになった。一刻も早く帰りたいが仕方ない。


 陸へと運搬出来るのは特別な力を持つ海亀に限られるらしく、また、身体の小さなわっぱとは違って乗せられるのはせいぜい二人が限度ということもあり、四人は緑六が戻るまでしばし待たされることとなった。

 後からやって来た青衣が案外早く到着したことから考えるに、移動中はさほどそう感じられなかったが、緑六達海亀はかなりの速度で泳ぐものと思われる。さらに、恐らく、人間が潜れる深さ辺りの時の流れは陸と同じであるはずなので、そこまで待たされることもないだろう、そんなことを話しながら。


 こうしている間にも、陸ではどれくらいの時間が、いや、日数が経っているのだろう。


 飛助がそんなことを呟く。


「ここを出たら、おいら達、しわしわの爺さん、なんてことはないよね?」


 緑六の甥っ子らしい『いわお』という名の海亀の青年にそう尋ねると、彼は、きちんと正座をしてぺこりと頭を下げ、「大丈夫ですよ」と言った。そして、こうも続けるのである。


「そのための『玉手箱』なのですから」と。

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