打ち出の小槌③

「やっぱりわっちの目に狂いはなかったねェ」


 ふんす、と鼻息を吹いて、青衣は上機嫌である。

 東地蔵の馴染みの髪結い処に寄り、道具と場所を借りると、熟練の髪結い師も「ほぉ」と唸るほどの手際の良さで、あっという間に紗雨ささめを変身させたのであった。

 

 といっても、顔の産毛を剃って白粉を叩き、眉を整えて薄く頬と唇に紅を差しただけではあるのだが。ついでに髪を丁寧にいて香油を塗ってやれば、青衣のような婀娜っぽさはないにしても、十分に人目を引く美人に仕上がっている。


 自分の作り上げたににこにこと頬を緩ませて歩くが、当の本人はというと――、


「何だか顔がちくちくして変な感じです」


 そう言って、背中をきゅっと丸め、もじもじと自信なさげに小股で歩いている。


「しゃんとおしよ、良い女が台無しじゃァないか」

「良い女なんて、あたしなんかが」

「卑下するんじゃァないよ。いまのアンタはね、あのお侍さんだって鼻の下を伸ばしちまうくらいの良い女だよ」


 と、那彦の話題を出せば、薄桃色の紅を差した頬が真っ赤になる。


「那彦様、あたしのこと好きになってくれるでしょうか」


 その赤い顔で、青衣を見下ろす。

 青衣の身の丈は五尺と三寸である。まぁ上背がある方だが、それでも紗雨は拳二つ分ほど大きい。


「自信を持ちな。あのお侍さんはね、言うほどアンタのこと悪くは思っちゃァいないよ。ただ、まァ色々あんのさ、ね」


 どうせ大方、自分よりデカいだの、力が強いだのと、その辺が気に入らないってところだろう、と青衣はアタリをつけている。正解である。何ならいまのこの別行動にせよ、最後の悪あがきがしたいと太郎に泣きついたに違いない。確か上浅葱には子の成長にご利益があるとかいう神社があったはずだ。などと、そこまで読んでいた。


「あの、青衣様」

「何だい」

「青衣様はとっても物知りでいらっしゃるので、もし、わかるのであれば教えていただきたいのですが」

「何だい。わっちにわかることなら」


 さっきよりも幾分か元気になったらしい紗雨がいつも通りの大股で歩くものだから、青衣は多少早足になりながらそう返した。


「あの、『キムスメ』とは何でしょうか」

「――うっ。そう来たか」

「この小槌、あたしの家では、あたししか使えないんです。あたしには三つ上の姉がいるのですが、父の話では衣晴いはる――、あっ、姉は衣晴というのですが、衣晴では使えない、と」

「成る程……。ちなみに、お姉さんはまだ独り身かえ?」

「そうです。あぁ、でも、近々お婿さんが来るんです。隣町の米問屋の次男で、左門様とおっしゃる方です」

「へェ。婿を取るのかい」

「はい。ウチは二人姉妹ですので、どちらかが婿を――まぁ、あたしに婿入りしてくれるような殿方なんておりませんから。それで無理やり那彦様を……」


 しゃきしゃき歩いていたはずの足がぴたりと止まる。「だから、あたしのせいで那彦様はあんな小さく」と、ぐす、と鼻を啜る音が聞こえて、たまらずその頭をぽんぽんと軽く叩く。


「泣くんじゃァないよ。せっかくの化粧が落ちちまうだろ。きっかけはそうだったかもしれないがね、だったら、それで良かったってあのお侍さんが思うほど惚れさせてやりゃァ良いんだよ」


 いまのアンタなら大丈夫、そんな言葉を付け加えると、紗雨は下唇を噛んだまま顔を上げて大きく頷いた。


「あとまァ……そうだねェ。その『キムスメ』ってェのは、だ。つまり、『まだ誰のものにもなっていない娘』ってことさ。衣晴さんにはもうお相手がいるんだろう? つまりそういうこった」

「成る程、そうだったんですね。ということは、あたしが那彦様のお嫁さんになったら、もう使えなくなるってことですか?」

「そうなんじゃないのかえ? でも、その時にはもうお侍さんも元の大きさに戻ってるんだろうし、もう使う必要もないだろ」

「そうか。そうですね」



 その後は年頃の娘らしく、肌の手入れがどうだの、所作がどうだのといった話題になり、気付けばあっという間に髪路である。


「ありがとうございました」

「何の、これくらい。お侍さんも直に戻るだろ。うまくおやり」

「はい。本当に、その、ありがとうございました。それと、本当に申し訳ありませんでした」


 石を投げてしまって、とうつむき加減でぽつりと言えば、青衣は、「何、あんなの可愛いもんさ」と笑い飛ばす。あれくらいの石、忍び時代なら日常茶飯事だ。何ならもっと厄介なものだって飛んできたこともある。


「それじゃァね」


 そう告げて、くるりと踵を返す。このまま来た道を辿れば太郎と会えるだろうか。そんなことを考え、青衣は東地蔵の扇子屋へ向かったが、違う道を使ったか、太郎と会うことはなかった。

 

 少しばかり残念な気持ちで扇子屋に着き、軒先で足を洗っていると――、


「青衣」


 疲れたのか、少々青い顔をした太郎がやって来た。


「どうしたんだい、坊? なんだか顔色が悪いじゃァないか。大丈夫かえ?」

「俺は大丈夫だ」

「そうは見えないけどねェ。お侍さんは?」

「那彦殿は髪路に送ってきた。それで、その……」

「どうしたんだい。どれ、少し落ち着きな。茶を飲んでく時間くらいはあるだろゥ?」

「あぁ。店には夕飯時までに戻れば良いことになってるから」

「それなら休んでいきな。ほら、座って。――おさちさァん、済まないけど、茶を淹れてもらえるかい?」


 店の奥にいたお幸にそう言えば、どうやら一部始終は見ていたらしく、「はいはい、いま淹れてますから」とパタパタと草履を鳴らす音が聞こえる。


 まず、座りな、と長椅子の隣を勧めると、太郎は大人しくそれに従った。お幸が運んできた茶を一口啜って、彼はぽつりと語り出した。


「紗雨殿は、那彦殿のことが嫌いになってしまったのだろうか」

「……はァ?」

「紗雨殿がな、米問屋の長男のところに嫁いでしまったのだ」

「……はァ? そんなわけないだろ。あの子はさっきわっちが送って――」

「そうなんだが」


 太郎の話によると、紗雨は青衣と別れてすぐ、たまたま訪れていた米問屋の長男に見初められて、あれよあれよという間に連れて行かれてしまったらしい、とのことであった。

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