打ち出の小槌②
平八の遣いは、拍子抜けするほど簡単に終わってしまった。何せ、予め頼んであった足袋を受け取るのと、前々から話をつけていた帯を正式に注文するだけなのだ。元々、平八が散歩がてら済ませようと思っていたようなものである。わざわざ遣いを立てるほどのことでもない。
ただ、目の覚めるような美丈夫が、それに釣り合う美女と――まぁもう一人はお世辞にも美女とは評し難い田舎娘を伴ってやって来たことに、
「さて、どこかで昼飯でも食べて、帰ろうかねェ」
と、青衣が石蕗屋のある地蔵大通りに向けて歩き出そうとした時。
「青衣、済まないが」
そう言って、太郎がぴたりと立ち止まった。そして、懐からひょこりと顔を出している那彦とちらりと視線を合わせる。
「紗雨殿を
「それは良いけど……坊はどうするんだい?」
「俺は、もう一箇所だけ寄りたいところがあるんだ。頼む」
青衣の目を真っ直ぐ見つめる太郎は、それ以上を言わなかった。どこに行くのか、何の用があるのかも、である。きっとこれ以上は言えないのだ。何せ、馬鹿がつくほど正直な太郎である。適当なことを言って誤魔化すなんて出来ないだろうし、恐らくはその『寄りたい場所』とやらを告げるだけでも、敏い青衣には何もかもバレてしまうと思ったのだろう。
もう何も言えん、とばかりに口を固く結び、懇願するような視線を向けられれば、青衣が断れるはずもない。わかったよゥ、と渋々了承した。
「ただし、あんまり遅くならないようにねェ」
「青衣、俺は子どもじゃないんだから」
「わかっちゃァいるけど、心配なのさ」
わかっておくれな、と科を作れば、それに反応したのは太郎ではなく那彦であった。
「ふぬぅ、やはり嫁にするなら青衣殿のような色気のある方が……」
などと零すと、それを聞いた紗雨が、わっ、と泣き出す。そして自身の胸をぎゅうと掴んでわしわしと揉んでは、「これですか!? 那彦様、乳が大きくなれば良いですか!?」と喚く。その必死な様子に青衣が堪らず吹き出した。
「ほっほ、
にや、と口の端を上げ、乱雑に結んだだけの紗雨の髪を一房取る。それに、ちゅ、と口づけると、紗雨は頬を真っ赤に染めた。
「へ、へえぇ?」
「女ってェのはね、いっくらでも化けるこたァ出来るんだ。アンタは原石なんだよ。磨きゃァいくらでも光るさね」
「そ、そうでしょうか……」
「ほっほ、わっちに任せな。なァ、坊。わっちらは女同士で仲良く飯でも食って、ちょいとその辺を流してから髪路に行くよ。良いだろ?」
「女同士って……。まぁそれは構わないが。くれぐれも気を付けて」
「心配いらんさ。――わっちだよ?」
「わかってるけど。青衣もさっき俺のことを心配してくれたじゃないか。俺だって友の身を案じても良いだろ」
青衣が元忍びで、大抵の荒事には対処出来ることは太郎にだってわかっている。だが、それでも心配なものは心配だ。これが白狼丸だろうと飛助だろうと、彼は同じことを言うだろう。拗ねたように、つん、と口を尖らせている太郎は、どこからどう見ても元服を迎えた立派な男であるのに、可愛らしくて仕方がない。たまらずにその腕を取って甘えるように頬を寄せる。上目遣いに太郎を見ると、「何だ、今日は随分と甘えて来るんだな」と太郎もまんざらではない様子である。年上の青衣に頼られるのが嬉しいのだろう。
さて、そのような流れで、太郎は那彦と共に上浅葱にある
「那彦殿、そんなところを歩いては危ない。懐か、それかもしくは髪の中にでもいてくれないか」
「ならぬ。少しでも身体を動かした方が背も伸びるかもしれんしな!」
「それはそうかもしれないが。そうだ、俺が那彦殿の足を引っ張ってみるのはどうだろう」
「成る程! しかし、力加減を間違えたら胴が泣き別れになるのではないか? まぁ、紗雨ほどの怪力でもなければそんなことはないか」
では、頼もうか、と那彦が肩の上で足を投げ出すと、太郎は、ぐ、と喉を詰まらせて立ち止まった。
「ぬぅ? 太郎殿、如何なされた」
「い、いや、その。やっぱり止そう。万が一のことがあってはいけない」
「そうか? 太郎殿なら大丈夫だと思ったんだが」
「別に隠しているわけでもないから教えるが、実は俺も紗雨殿に負けないくらいの怪力なんだ」
「なんと!? そんな細腕でか?!」
「そんなに細いだろうか」
「細い! 太郎殿は、なんというか、こう、柳の化身のようになよやかであるからな。――あっ! これは決して馬鹿にしておるわけではないぞ。柳というのは、そのしなやかさがゆえに雪の重みにも耐えると言われているからな! 何事もただただ剛直であれば強いというものではないのだ」
だからつまり、太郎殿も、そういう強さがあるということを拙者は言いたかったのだ、と『柳の化身』だの『なよやか』だのと、恐らく成人男性にとっては嬉しくはないだろう言葉に肩を落としている太郎に向かって、那彦は焦って弁明した。
「太郎殿が腹に一本芯の通った強い男であることは、短い付き合いの拙者でもよくわかっておる。ええい、だからそうしょげるな!」
「あ、ありがとう、那彦殿」
小さな手で頬をぱちんと叩かれ、虫に喰われるよりはいくらか痛いような気がするその強さに、太郎はゆるりと笑った。
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