一寸法師と怪力娘①
「しかし、米問屋の長男、ってェのはもしかして――」
そう青衣が呟くと、「
「おや、お侍さん。アンタ、実家に戻ったんじゃないのかえ?」
「那彦殿!? 確かに送り届けたと思ったのに」
呆れ顔の青衣とは対照的に目をまん丸くして驚いている太郎に向かって、「ぐふふ、甘いぞ太郎殿」と笑い、その一寸の侍はちょこんと肩の上に座った。
「せっかく元の姿に戻る覚悟を決めたというのに、こんなことになってしまったのでな。拙者としても正直どうしたら良いのやらと思って」
頬杖をつき、はあぁ、と小さいながらも大きなため息をつく。
「小槌を使えるのは紗雨だけらしいし、それに、恐らくは、拙者を大きくするのだって、紗雨を娶るのが条件だっただろうしな。だけど、他所に嫁いでしまったわけだし」
「那彦殿はそれで良いのか」
湯呑を肩の位置まで持ち上げると、かたじけない、と言いつつ、ゆっくりと顔を近付けて一口飲む。
「何、いままでこの大きさだったのだ。特に不便というわけでは――」
「そうじゃなくて。紗雨殿が他所に嫁いでしまったのだぞ」
「まぁ……。正直複雑な気持ちではある。何せほんの数刻前まで許嫁だったわけだしな。わっはっは」
何がおかしいやら、天を仰いで大きく笑う。そして、そのままの姿勢で、だけど、と言って、ぱん、と両膝を打った。
「小さな町の縫製屋に嫁ぐより、米問屋の女房になった方が、あいつだって幸せだろう。あいつはどうしようもない馬鹿だが、純粋だし、一途でまっすぐで良いやつなんだ。拙者と一緒になるより、ずっと良いだろう」
「那彦殿……」
泣き笑いのような顔でそう言う那彦に、どんな言葉を書ければ良いのやらと、ただその名を呼ぶことしか出来ない太郎の隣で、青衣が、「いいや」と割り込んでくる。
「女房になれるとは限らないんじゃないのかえ?」
「むむ? どういうことだ?」
「いや、そのままの意味さ。だって次男の婿入りが決まってるってェことは、だ。長男の嫁なんてとっくのとうに決まってるはずじゃァないか。ああいうところは序列にうるさいからねェ。だから、本妻は本妻で既にいて、妾として囲うつもりかもしれないってェことよ」
「な、何だと!」
「何だい、妾なんて珍しい話でもないだろ。それにこう言っちゃァなんだが、あのお嬢ちゃんは米問屋の女将に収まっていられるような器じゃァないだろ。アンタだって言ってたじゃないさ。馬鹿だ、って」
「そ、それは、確かに」
「ただまァ、あのお嬢ちゃんがこうなっちまったのはわっちのせいでもあるからね、もしお侍さんがどうしても取り戻したいってェんなら、力を貸すけど――」
「ちょっと待て、青衣殿のせいとは、どういうことだ」
食い気味に問い掛けてくる様を見れば、やはり紗雨のことは気になるらしい。それが単なる『幼馴染み』の幸せを案じてなのか、それとも――。
「何、ちょいと化粧をして、髪を整えてやっただけさね」
「……それだけでござるか? たったそれだけのことで?」
「女ってェのはね、いっくらでも化けるんだよゥ。それにお侍さんは気付いてなかったかもしれないけど、ありゃァ、磨けば光る玉だよ。道行く人がみぃんな振り返ったもんさ。――ま、そのうちの半分はわっちかもしれないけど」
ほっほ、と艶っぽく笑うが、那彦はというと、まだ納得のいっていない様子である。半分どころかほぼすべて青衣殿に目を奪われていただけではないのか、あの芋臭い紗雨が、等とぶつぶつ言いながら腕を組んでいる。
「まァ、信じるかどうかは任せるけどね。帰り道はずゥっとアンタの話ばかりをしていたよ」
「むぅ」
「お侍さんも見惚れちまうくらいの別嬪に仕上がったって言ったら、真っ赤に茹っちまって、可愛いったらなかったねェ」
「そ、そんなにでござるか」
「わっちとは系統が違うけどね。あのおぼこっぽいのがまた堪らんと思う男はわんさといるだろうさ。それこそ、その米問屋の長男みたいにね」
流し目をして、にや、と笑う。太郎は何が何やらといった顔で肩の上の那彦と隣に座る青衣を交互に見つめていたが、那彦の方では青衣の言わんとすることに気付いたらしい。世の中にはとにかく初物に目がない者がいるのだ。それでも、手を付けた後も可愛がってくれるならまだ良い。ただ、そこに価値を見出している者は、大抵の場合、用済みだといって捨ててしまう。
「どうするね、お侍さん。アンタが決めな。アンタの嫁だろ」
「まだ拙者の嫁というわけでは」
「那彦殿」
「たっ、ただ、その、み、未来の嫁ではある、かもしれんからな」
「那彦殿、ならば」
「力を貸してもらえるだろうか」
そう言って、肩の上の侍は、居住まいを正して頭を下げた。
さて、件の米問屋、
あれよあれよという間に連れてこられた紗雨は呆然としていた。
あんなに那彦との婚姻を望んでいた両親は、ころりと手のひらを返して「あんな寂れた縫製屋より、姉妹共々楔舘さんのお世話になった方が良いに決まっている。荷物は後で届けさせるから、楔舘さんの気が変わらないうちに」とそう言って、着替えも何もさせずに、そのまま、だらしない笑みを浮かべている中年男に紗雨を押し付けてしまったのであった。
楔舘の長男、右近には
なので、当然――というのか、二人の間には子どもがいなかった。妻の方では年齢もあって焦っている様子なのだが、元々好いて一緒になった仲でもなく、床でも主導権をがっちりと握られては右近の方でも正直奮い立たないものがある。
そこへ現れたのが、多少身の丈はあるものの、若く美しい女である。大店の跡取り息子である自分にすっかり委縮しているのか、自信なさげにおどおどと視線を這わせている様子がまたいじらしいではないか。よし、連れて帰ろう。どうせ弟が婿入りする家なのだし、金さえ払えば良いだろう。
それで、あっさりと話はついた。
その瞬間に紗雨は右近の妾ということになった。
ただ、呆然としていた紗雨には『妾』という言葉は届いていなかった。
最も、そもそもその言葉を知ってるかも疑わしい娘ではあるのだが。
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