小は大に勝るとも劣らず‐一寸法師‐
小さな身体に大きな野望
夜が明けて①
さて、
窓から差し込む陽の光の眩しさで、太郎はゆっくりと目を開けた。
そこに白狼丸の姿はなかった。
昨夜はここへ来なかったんだったか、と記憶を手繰り寄せる。
そうだ、昨夜は久しぶりに倉庫係の大部屋の方で宴会があるのだといって、抜けられなかったのだ。
そういう日もある。
別に毎晩同衾せねばならぬというものでもないし、太郎にしてみれば、多少そのぬくもりが恋しいだけなのだ。ただ、茜の方は寂しいかもしれないが。
そんなことを考えて、むにゃむにゃと瞼を擦って気が付いた。
枕元に、何かいる。
寝起きのぼんやりとした視界が、徐々にはっきりしてくると、太郎は――、
「まだ夢を見ているのだろうか」
と、今度は頬を強かに打ってみた。
パァン、という小気味よい音が部屋に響く。加減を知らぬせいで、頬はかなり痛かったが、それのお陰で頭もはっきりと覚醒した。
と、同時に知るのである。
目の前にいるそれが、夢や幻ではない、という事実に。
太郎が自身の頬を打った音に驚いたのだろう、それは、びくりと身体を震わせて起き上がった。
「おお、姫。目を覚まされましたか」
太郎の枕にきちんと座り直し、その、僅か一寸ほどの侍(身なりから太郎はそう判断した)はそう言った。
「ええと、俺は姫ではないんだが……」
太郎もまたきちんと正座をして、彼に向き合う。
「俺は太郎だ。それで、名は、何というんだ? どこから来た?」
「むむ。太郎とは何とも雄々しい名をお持ちの姫であろうか。いやいや、名などどうでも良いのです。いままでに出会ったどんな女人よりも美しき姫よ――……やや!? よく見れば、昨夜の姫ではないぞ?! 太郎と言ったか。昨夜の姫をどこへやった!」
その小さい侍は、勢いよく立ち上がって、蕎麦殻の枕の上で、たすたす、と足を踏み鳴らす。ええい、いますぐ姫を出せ、隠すのならば斬るぞ、などと物騒なことまで言って、腰に下げた刀を――それはただの縫い針だったのだが――抜いた。
まさか縫い針の刀で致命傷を負うことはないだろうし、多少斬られたり刺されるくらいは構わない。それよりも、下手に避けるなどすれば逆に彼が思わぬ怪我をするかもしれない。
そう思って、太郎はぴくりとも動かなかった。
「俺を斬りたいなら斬れば良い。刺してくれても構わない。ただ、信じてほしいんだが――」
蟻よりも小さな侍の目をじっと見つめてそう言えば、彼の方でも何かしらを感じ取ったか、抜いた刀を鞘へ収めた。
「隠したくて隠しているわけではないんだ。彼女は訳あって本来は人前に出られないというか」
「成る程。そう簡単にはお目通りが叶わぬほどのやんごとなき姫であったか。それは失礼致した。決して寝込みを襲おうとしたわけではないのだ。――この身体を見ればわかっていただけるとは思うが」
と、自身のつま先に視線を落とす。確かにこの大きさならば、寝首をかこうとしても返り討ちだろうしな、と『寝込みを襲う』の意味をそう捉えた太郎は思った。
そして、小さな侍はその場でがばりと土下座をすると、「太郎殿にも申し訳ないことをした。丸腰の相手にいきなり刀を抜くなど、武士の風上にも置けぬ振る舞い。本来ならば腹を切って詫びるところ――」とその姿勢のまま語り出した。
本来ならば腹を切って詫びるところ、ということであれば、今回は切らないのだろう。そうは思うけれども、万が一のことが頭をよぎり、太郎は大いに慌てた。目の前で人が――果たして『人』なのだろうか、という部分はさておくとして――腹を切るところなんて見たくはない。
「いや、あの、落ち着いて。
「いいや、上げられぬ」
「そんなことを言わずに。俺はもう気にしていないから」
「いやいや、太郎殿が気にせずとも、拙者の気が収まらんっ!」
「えぇ……」
一体どうしたら良いんだ、と辺りを見回すも、この場を収められるようなものは何もない。せめて白狼丸や飛助、青衣――はさすがにこんな朝早くは無理だろうけど――がいてくれたら、と考えた。
が。
ここに白狼丸がいたらどうなるだろう。
いまの自分はもちろん男であるわけだが、この侍は茜を知っているのだ。つまりは同衾したということである。それを知ったら、彼女の夫である彼はどう思うだろう。
「あァん? 誰の女と一緒に寝たってぇ? もっぺん言ってみろちび助」
恐らくは、そのようなことを言って、彼の胸倉を――掴むのは難しいだろうが、ひょいと摘まみ上げるくらいはするかもしれない。少々頭に血が上りやすい白狼丸のことである、本人にその気はないとしても、ついうっかり握りつぶしてしまうことだって考えられる。
駄目だ。
白狼丸を呼ぶのは駄目だ。
普段は一番に頼る男なのだが、茜が絡むと危険すぎる。
では、飛助ならどうだろう。
彼は茜の夫ではないわけだし、白狼丸ほどの嫉妬に駆られることはないだろう。それにきっと、彼は自分よりもしゃべりが数段達者だから、この状況も何とかしてくれるはずだ。
そう結論を出すと、いまだやけに芝居がかった口調で「本来ならばァ! ア、腹を切ってェ、詫ぁびるところをォ~」と繰り返している小さな侍に気付かれぬよう、そっと戸を開ける。そして、かなり潜めた声で「飛助」とその名を呼んだ。
作業部屋の鍵開け当番でなければ、彼は、そろそろこの部屋の前を通るのだ。そして、「あれぇ? タロちゃんもいま起きたの? 一緒に飯行こうよぅ」と白々しくもとぼけた声で誘ってくるのである。だからもしかしたら、近くまできているかもしれない。そうすれば、耳の良い飛助は確実に飛んで来るだろう。
という太郎の予測通りに「呼んだっ!? タロちゃん、いまおいらのこと呼んだよねっ?!」と声と息を弾ませて、廊下の角からひょこりと飛助が顔を出した。
で。
「うはぁ~、ちっちゃーい。えっ、何これ? 人形? 違うな、生きてんだ。へぇ~、おいら初めて見たよ!」
あっという間に侍に面を上げさせると、その小さな身体を手のひらの上に乗せて、ふんふんと鼻息荒く瞳を輝かせている。
「ねぇねぇ、面白いからちょっと借りて良い? 大丈夫大丈夫、悪いようにはしないって。おいらのタロちゃんに昨晩何してくれたか、ちょぉーっと聞くだけだからさ。剣山の上で聞こうか。それとも焼き網の上が良いかなぁふふふふふ」
にまー、と悪い笑みを浮かべ、ついつい、と人差し指で彼をコロコロと転がす。どうやら飛助を呼んだことも失敗だったらしいと悟り、慌てて侍を救出した。
「飛助、そんなことをしたら侍殿が怪我をしてしまう」
「えぇ〜? なぁーに言ってんの、タロちゃん。
「そう……だろうか」
「ううぅ、太郎殿ぉ〜」
太郎の、親指の付け根の盛り上がりにばふりと顔を埋め、楊枝のような腕でそこにしっかりとしがみついている侍を指さして、飛助が「あぁっ!」と声を上げる。
「さらに罪を重ねてる! こらちびっころ、おいらのタロちゃんだぞ!」
「無礼な! 拙者、決してちびというわけでは!」
顔を真っ赤にし、心外だとばかりに太郎の手のひらの上で拳をぶんぶんと振り上げる。
「飛助、身体的特徴を揶揄するのは良くない」
「だって名乗らないんだもん、仕方ないじゃん。おいお前、ちびっころが嫌なら名乗れよぅ!」
と、詰め寄られ、侍は、ふん! と大きく鼻を鳴らして立ち上がった。
「拙者、
「おうそうかい、那彦っつぅのか。おいらは飛助だ」
「俺は太郎だ」
さっきも名乗ったというのに、太郎は折り目正しくきちんと頭を下げて「よろしく」とまで言った。それを見て、仕方ないなぁ、と飛助は頭をかき「よろしく」と続いた。何がどう「よろしく」なのはわからなかったが。
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