夜が明けて②

「それで、那彦なひこ殿は何ゆえに俺の部屋にいたんだ?」


 こうなると何となく身の上やら何やらも聞かねばならぬような気になって、太郎はその一寸ほどの侍――那彦に尋ねた。飛助はというと、「こんなのにかまってたら飯食いそびれちゃうよ」と太郎の袖を引いたが、こうなればてこでも動かないのが彼である。仕方ないから握り飯でももらってくるよ、と食堂へ走っていった。


 二人きりになると、那彦は、少しでも目線を合わせようと思ったのか、太郎の文机の上に座り、


「拙者、立派な侍になるために家を出たのでござる」


 と、語り出した。


 彼は、東地蔵あずまじぞうに隣接する髪路かみろという集落の生まれらしい。かつては職人が多く住み、名前の通り、髪のように細い路地ばかりの町だったらしいのだが、家々が密集していたことが災いし、数十年前の大火事でそのほとんどが焼け落ちてしまったところである。いまではかつての面影もなく、町として栄えていたことが嘘のように侘びしい集落となってしまっている。


 那彦は、その髪路の腕の良い縫製職人の一人息子らしい。職人の家の子、しかもたった一人の跡継ぎ息子が武士を志すとは、ご両親がよく許したものだ、と太郎が言うと、


「いいやもちろん、反対はされた。けれど、そう簡単に諦められるものではない。太郎殿もわかってくれるだろう?」

「わか……いや、すまない、よくわからない」


 きっとこういう時、飛助なら「わかるわかる、そういうのあるよねぇ」と言うのだろう。そしてたぶん、そうした方が相手の気も少しは晴れるのだということだってわかる。だけれども、偽ることは出来ない。


「太郎殿は正直だな。いや、良いんだ。無理に合わせてくれなくても」


 それで、だ、と那彦は言った。


髪路あそこにいてはこの夢は叶わぬ。いや、両親の仕事を否定するわけではないが、男として生まれたからには、己の腕を試してみたいのだ」

「己の、腕を……」


 と、細い彼の腕を見る。脇に差されているのは麦藁むぎわらの鞘に収められた縫い針の刀。成る程、縫製職人の家の子だから、針の刀なのか、と得心する。


「そう思い、都を目指していたのだが――、少々質の悪い輩に目を付けられてしまってな。どうにか逃げ回っていたところ、ちょうどここの窓がわずかに開いていたもので」

「成る程。しかし、目を付けられるなんて、一体何があったんだ。もしも那彦殿にも非があるのならば――」

「ないない、断じてそんなことは。太郎殿、よく見てくだされ、拙者のこの身体を。仮に拙者が何か吹っ掛けたとて、蚊に刺されたようなものよ」


 蚊程度であれば、確かに大したことはない。あれは後々にかゆくなるから刺されたとわかるのであって、それがなければ刺されたことにも気付かないようなものなのである。それに体格差を考えれば、那彦がその『質の悪い輩』とやらに喧嘩を吹っ掛けるとは考えられなかった。どう考えても無謀すぎる。


 ではなぜ、目を付けられてしまったのか。


 ここに飛助がいたなら、すかさずそこに突っ込んだだろう。そもそも、視界に入るような大きさではないのだ。その件の輩が寝転んででもいなければ、目の高さだって合うわけがない。


 けれども、太郎はそこまで考えなかった。ただただ、その小さな侍を気の毒に思った。いくら彼の剣の腕が確かでも、その大きさでは、例え相手が小柄だったとて――何ならはなを垂らしたよちよちのわっぱでも踏みつけられれば終いなのである。


 せっかく武士を志して家を出たのに、それは忍びない。


 そう思っていると、


「それで、その、こんなことを言うのは武士として情けない限りなのだが……」


 しょぼ、と肩を落とし、ちらり、と上目遣いに太郎を見上げる。


「もしよければ、しばらくの間、匿ってもらえないだろうか」

「ここで? しかし……」

「頼む、太郎殿。そなただけが頼りなのだ。あの手の輩は、時間が経てばきれいさっぱり忘れるものなのだ。だから、どうかどうか」


 ひょい、と文机を降り、てとてと、と畳の上を歩いて太郎の膝に縋る。そして尚も、どうかどうか、と額を擦り付けられれば断れるわけもない。


 と、そこへ握り飯をもらってきた飛助が戻って来た。


「あーっ! まぁーたお前は! 離れて離れて! もう! 油断も隙もないんだからー!」


 大股で二歩、あっという間に距離を詰めると、ひょいと那彦を摘まみ上げる。


「うわっ、何だ、離せ離せぇ!」

「へぇ〜? いぃ〜のぉ〜? そぉ〜んなこと言ってさぁ〜。いまおいらが指離したら頭から真っ逆さまよ?」

「うぐっ! そ、そうであった……」

「飛助、もうその辺で」

「タロちゃんがそう言うなら仕方ないなぁ。とりあえず、お前、無闇やたらとタロちゃんに触るんじゃないよ。あのね、おいらなんてぜーんぜん優しい方なんだからね?」


 このタロちゃんにはね、怖い怖い番犬と、怖い怖いがついてんだから、と言いながら、布団の上に那彦を下ろす。


「おい、誰が番犬だって?」


 などと言いながら、開けっぱなしの戸から白狼丸が顔を出した。身仕度を済ませ、食堂に向かうところだったらしい。慌てて那彦を袖の中に隠し「おお、番犬。これから飯?」と何食わぬ顔で返す。


「まぁな。おい、太郎。お前まだそんな恰好してんのかよ。とっとと着替えろって。って何でここに飯があるんだ」

「えぇー? それはさ? タロちゃんがおいらと二人っきりで食いたいって言うからさぁ〜」


 くねくねと身を捩らせると、馬鹿正直な太郎は、「そんなことは言ってないが」ときっぱり訂正したが、頭に血が上りやすい白狼丸には届いていないようである。


「んなっ、なぁんだとぉっ!? おい、太郎! アレか!? 昨日おれが飲み会アッチを優先させたからか!? 拗ねちまったのか!? おい! おいっ!」


 太郎の両肩を掴み前後にガクガクと揺すれば、「ち、違、ちょ、落ち、落ち着け、は、はは、はくろ、まる」と彼の目も回る。

 

 白狼丸の必死な姿を見て、腹を抱えて大笑いする飛助であったが、そう笑ってもいられない。太郎が困っているし、そろそろ飯も食わねばだし、そもそも太郎はまだ寝間着姿なのだ。


「はいはい、落ち着きなよ。これだから待ても出来ない駄犬はさぁ」

「あァん!? だぁれが待ても出来ない犬だってぇ!?」

「犬なんて白ちゃんしかいないだろぉ〜? おいらは身軽なお猿さん、白ちゃんはタロちゃんに尻尾ぶんぶんなワンちゃん! あっはっは!」


 飛助の安い挑発にしっかりと乗っかる白狼丸が、ぶん、と拳を振るう。が、腐っても軽業師。うひゃひゃ、と笑いながら、狭い部屋の中をひょいひょいと逃げ回る。その姿は正しく『猿』であった。


「こら、飛助も白狼丸もよさないか。あれ、那彦殿? 那彦殿はどこに。もしかして踏んづけてしまったとか……? 那彦殿!? 那彦殿ー!」


 飛助が彼を袖の中に隠したことを知らぬ太郎は、布団を捲り上げたり、枕を持ち上げたり、握り飯の乗った盆に顔を近付けたりして那彦を探した。その異様な様子に白狼丸がぴたりと止まる。


「……おい太郎。何してんだ?」

「大変なんだ白狼丸。実はさっきまで一寸ほどの侍殿がいて――」


 ああもうせっかくおいらが内緒にしてやったのにー、と飛助が割って入ろうとしたところで。


「なぁーに言ってんだ。まだ寝ぼけてんのかよ。とにかくとっとと着替えて飯食っちまえ。おれは先に行くからな」


 人に化ける狐や地蔵、海亀については信じるくせに、一寸の侍については存在するものだと思わなかったらしい白狼丸が、ガリガリと頭を掻いて「遅れんなよ」と部屋を出る。その声に、ほんの少し棘がある。


 何とかバレずに済んだぞ、と飛助が胸を撫で下ろす。そして袖の中から那彦を取り出して盆の上に置いた。


「とりあえず、白ちゃんの言うことも最もだよ。このままじゃおいら達、朝飯抜きで働くことになっちゃう。食べよ食べよ」


 握り飯を勧めながらそう言うが、太郎は白狼丸が出ていった方をじぃっと見つめたまま動かない。


「白狼丸、怒っただろうか。除け者にするつもりはなかったんだが……」


 しょぼんと肩を落とす太郎に無理やり握り飯を持たせる。


「あとでちゃんと言えばわかってくれるって。まずは腹ごしらえと身仕度! ね?」


 その言葉に力なく頷き、太郎は冷えた飯を食んだ。

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