消えた白狼丸①

 白狼丸が、帰って来ない。


 石蕗つわぶき屋の外装補修の前日から休みを取っていた彼は、その前の夕飯の席で「明日は磐海凪ばんかいなぎまで行ってみようと思う」と太郎に言った。


「磐海凪かぁ。ええと、確か港町だったか」

「そうだ。とはいっても、西郡沖にしごおりおきみたいにデカい船が着くようなところじゃねぇがな」

「そんなトコに行って、何すんだよぅ」


 いつの間にやらちゃっかりと太郎の隣に座っている飛助が割り込んでくる。うるせぇ、と突っかかりたいところではあるが、例えそれがじゃれ合い程度の喧嘩だとしても、本気で仲裁に入り、そして悲しむ友が目の前にいる。太郎こいつに免じて許してやらぁ、と心の中で呟いてから、「特にするこたぁねぇんだけどよ」と返す。


「ただ、おれの仕事は日がな一日あの陽の入らない狭い倉庫だからな。たまには思い切り外の世界ってやつを堪能したいわけよ」

「あー、それわかるかも。おいらもずーっと座ってちまちまちまちま手を動かすだけだからさぁ、一日働くと首も肩もすっかり凝っちゃって。それに部屋にこもりきりだから、息が詰まるっていうかさ」


 飛助が、こきこきと首を鳴らしながら、はぁ、とため息をつくと、きゅ、と眉を寄せた太郎が労わるようにそこに手を乗せる。女のように――とまではいかずとも、少し骨ばった華奢なその手はじんわりと温かい。


「大変だな、飛助も白狼丸も。俺の仕事と代わってやれたら良いんだが」


 太郎の仕事は店先に立っての客引きだ。店内まで案内して商品を勧めることもあるが、基本的にはほぼ外にいる。


「無理無理! おいらはともかく白ちゃんには絶対に無理だよ。こぉーんなやつが店の前にいたら、お客さんなんて一人も入らないんだから!」

「言ったなてめぇ! お前だって似たようなもんじゃねぇか!」

「え~? おいら芸人よ? 人を集めるのなんて得意中の得意だもぉ~ん」

「だったら集まるのはてめぇの芸目当てじゃねぇか!」

「良いんだよ、入り口は何だって」

「こら、よさないか二人共」


 白狼丸とて、飛助の方が客引きに向いていることくらいは知っている。そして、自分がその手の仕事に全く適性がないことも知っている。けれども――、


「第一、お前、未だにウチの商品の知識ねぇだろ」


 飛助が、ここを突かれれば弱いことも知っている。


「おれはな、お前と違ってその辺の知識がある。商品の種類から値段から、何ならどれくらい日持ちするか、ってぇこともな。何せ材料の管理を任されてるんだ」

「ぐぅぅ、くっそぉ」


 結局、いつもこのようにして引き分けとなるのだった。


「ほら、飛助も白狼丸も、いい加減にしろ。ああでも、俺がおかしなことを言ったせいだな。すまなかった。それによくよく考えてみたら、二人の仕事を代わったところで、俺の方がそっちじゃ役に立たないんだし。本当に、俺ってやつは何も出来なくて……」


 またしても悪い方悪い方へと考えてしまい、太郎の方がきゅう、と丸まっていく。このまま放置すれば、また「やっぱり店の前で突っ立っているだけの俺は木偶の坊だ」、「こんなに良くしてもらっているのに、何一つここに恩を返せていない」が始まってしまう、と焦った犬猿二人は、目配せをして声を張り上げた。


「そ、それで? 白ちゃん、お帰りはいつ頃になるのかなぁっ?!」

「っそぉーだなぁっ、もしかしたらそこで一泊するかもしれねぇが、昼までには戻る、かなぁ~っ?」

「あ、そうなの? そんじゃあさ、白ちゃんが戻って来たら三人で姐御のところに行かない? ね? そうしよ、タロちゃん?」

「そうだそうだ。それが良い! おい、太郎。良いよな? な?」


 明るい声でそう言い、飛助がとんとんと背中を優しく叩けば、太郎はゆっくりを顔を上げた。よし、女神様が天岩戸あまのいわとから顔を出したぞ、と二人が目配せをして小さく頷く。


「ねぇねぇタロちゃん、そういや姐御がさ、『松木世まつきよ』の新作きんつばが食べたいって言ってたんだ。白ちゃんが戻って来るまでにおいらと一緒に買いに行こうよ」

「うん、わかった」

「やったぁ! よし、白ちゃん、ゆっくり帰ってこいよ! ああもう何なら帰って来なくても良いよ!」

「くそが。何が何でも昼前には戻るっつぅの」


 

 そんなやりとりをした翌々日のことである。

 本日石蕗屋は年に一度の外装補修ということで、店を閉めている。従業員も、金庫番を除いては全員が休日だ。


 東地蔵あずまじぞうの外れにある、石蕗屋に勝るとも劣らない老舗の菓子屋『松木世』で件のきんつばやら饅頭やらを買い込んだ太郎と飛助は、長屋の濡縁に腰かけて、白狼丸を待っていた。


 けれど。


 正午を知らせる鐘が鳴っても彼は戻って来ない。

 何なら朝一で戻ってやる、くらいの剣幕だった癖に遅刻だぞ、などという飛助の軽口に最初は太郎も笑っていたが、徐々にその表情も翳る。


「ちょっと遅くないか」


 いつもなら「あんなやつのことはほっといて行っちゃおうか」くらいのことを返す飛助も、「さすがにおかしいかも」と首を傾げた。


「俺、いまからひとっ走りして――」

「待ってタロちゃん」


 勢いよく立ち上がった太郎の袖を掴んで、落ち着いて、と着席を促す。


「気持ちはわかるけど、一旦落ち着こ?」

「だけど」

「だって白ちゃんだよ? 大丈夫、絶対帰って来るよ」

「そうかもしれないけど……。でも、昼には帰って来るって言ったのに」


 あいつが約束を破ったことなんて一度もない、と拳を振って力説する太郎に「それもわかるけどさ」と、饅頭を一つ差し出す。彼は、大人しくそれを受け取ったが、すぐに口には運ばなかった。


「まず冷静にならないと、タロちゃん。白ちゃんのことだから、急に何もかも嫌になって逃げた――、何てことはないんだろうし、茜ちゃんもいるんだから、何が何でも絶対に帰って来るよ」

「うん」

「だからさ、それ食べたら、二人で姐御のところに行こう。白ちゃんを探しに行くとしても、おいら達、明日からまた仕事だし、今日店閉めた分、明日はきっと忙しいよ。そうなると動けるのはさ」

「……青衣か」


 そういうこと、と言って、ぱくりと饅頭にかぶりつき、視線で「タロちゃんも」と促してくる。それに無言で頷いて彼も饅頭を食べると、「よっし、行くよタロちゃん。あンの馬鹿犬、可愛いタロちゃんに心配かけやがって」


 帰って来たら八つ裂きだ、と言ってから、その『可愛いタロちゃん』が「八つ裂きなんて何もそこまで」と瞳を潤ませているのを見て、「う、嘘嘘! 冗談だよ、やだなぁ! お尻ぺんぺんで許してやるよ!」と慌てて訂正した飛助である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る