紗雨と那彦③

 と、そんな茶番を挟んだものの、話は例の小槌こづちに戻る。


「これは、我が家に伝わる家宝の小槌でして」


 ぽつり、とそう言って、先刻からずっと握り締めていた小槌を膝の上に乗せた。大岩を持ち上げるほどの怪力娘が握っていたにしては、持ち手も歪んでおらず、古ぼけている以外はただの小槌である。


「家宝の小槌なんか持ち出しちまって、叱られたりしないのかえ?」


 そう問うと、紗雨ささめは、ぎくり、と身を震わせた。その反応を見れば、勝手に持ち出したらしいことは明白だ。


「叱られ――るとは思いますが、ですけど、どうしても」

「どうしても?」


 ぐ、と下唇を噛んで、しばらくの間黙っていた紗雨は、やがて小さく震え出した。それが、涙をこらえているからだということは、青衣と那彦にはわかった。ただ、太郎だけは「紗雨殿、寒いのか?」とそれを心配していた。文月も終わりのこの季節に凍えるはずもない。


「落ち着いて。泣いても良いから、話して御覧な。わっち達に出来ることなら、いくらでも力を貸してやるよゥ。そうだろう、坊?」

「もちろんだ」


 そんな優しい声をかけると、ぽろ、と一粒こぼれたのを皮切りに、ぼたぼた、ぼたぼたと大粒の涙を流した。


「那彦様がそのお身体になったのは、あたしのせいなのです」


 やっとの思いでそう言うと、驚いたのは那彦である。


「な、それはまことか! どういうことだ、紗雨! 拙者は質の悪い感冒のせいだと聞いておったのに!」


 ぷりぷりと怒り、彼女の膝の上でたすたすと足を踏み鳴らす。恐らく、痛いということはないのだろうが、落ち着くんだ那彦殿、と太郎がそれをなだめる。


「那彦様がそのお身体になられたのは、三つの時分です。あたしはその時二つになったばかりで、やれ米俵を担いだだの、牛と相撲をとって勝ったなどと言われている頃でございました」

「ちなみにそれは本当の話なのかえ?」


 そう青衣が割って入ると、紗雨は恥ずかしそうにこくりと頷いた。

 

「両親はそんなあたしを見て、このままでは嫁の貰い手がない、染物屋に行き遅れがいるなんて知られたら、縁起物の注文が入らなくなってしまう、と」

「それで、お侍さんを小さくしたってのかい? どうやって」

「この小槌を使って、です。これはそういう不思議な力を持つ小槌らしくて、それで、たまたま感冒で臥せっているところを狙ったのだと。それで、再び元の姿に戻すのには、やはりこの小槌を使わなくてはなりませんから」


 ふぅん、と青衣が鼻を鳴らした。目を閉じ、ふんふん、と頷きながらしばし何やら考え、ぱちり、と瞳を開く。


「娘さんがそれを知ったのはいつのことだい?」

「数日前です。那彦様が元服を迎えられ、そろそろ祝言を、という段になりまして。両親に呼び出されたのです」


 父曰く、隣に住む縫製職人の倅があの身体になったのは我が家に伝わる家宝・打ち出の小槌によるものだという。

 これを使えるのはお前だけだ。彼を小さくした時も、何もわからぬお前にこれを持たせて、小さくなれ、と振らせたのだ、と。


「これを使えるのが、紗雨だけ、とな?」

「はい、よくわからないのですが、にしか使えぬものだと」


 何でしょうね、と首を傾げると、太郎もまた、同じ角度に首を曲げ「『娘』というからには、女人ではあるのだろうが」と眉を寄せた。この二人にはわからないだろうな、と青衣は思った。


「そ、それで。拙者の身体は元に戻るのか!?」

「はい。父の話では、大きくなれ、と念じながらこれを振れば良いのだそうで」

「ということは」

「もしかして」


 太郎と青衣が同時に那彦を見る。それがあまりにぴったりと揃っているものだから、那彦は多少気圧されて「な、なんじゃ二人して」と数歩後ずさった。


「紗雨殿が那彦殿の部屋に来たのは――」

「あの、布団に何度も打ち付けてたってェのは――」

「はい。やっとこの小槌の隠し場所を見つけたものですから、一刻も早く那彦様にお詫びして、元の大きさに戻して差し上げねばと思い」

「だったら、そう言え! 殺されるかと思ったわ! というか、振るだけで良いのなら、なぜ打ち付ける必要がある! 元に戻る前に死ぬわ!」

「だ、だって暗くて加減が――」

「だったら拙者に声をかけて起こせば良いだろう!」

「だ、だって、那彦様、あたしを見たら逃げるからぁ」

「うぐっ、そ、それはお前の普段の行いがだな……」


 一寸の那彦に叱られて、めそめそと泣く五尺七寸の紗雨である。ぼたぼたと落ちる、涙の粒を右へ左へと必死にかわしながら、「ええい、もう泣くな、泣くな!」と声をかけると、紗雨はぐすぐすと鼻を鳴らしながらもとりあえず泣き止んだ。


「まァ、なんにせよ、戻れるんなら、良かったじゃァないか」

「そ、そうでござるな」

「それじゃあ、早速、戻してもらってはどうか」

「う、ううむ」


 正直なところ何が何やらではあるが、これにて落着だろう、という雰囲気である。那彦が元の大きさに戻ってしまえば、この奇妙な一寸の侍はいなくなるわけだし、彼を追っていた『質の悪い輩』なるものも、蓋を開けてみれば多少愛情表現と腕力が強すぎるただの幼馴染み兼許嫁である。彼らの結婚に関してはまだまだ揉めそうではあるが、それは太郎にも青衣にも関係がない。当人同士の問題である。


 のだが。


「ええと、まぁ、そう、だな。その、大きくなるのは、まぁ、追々でも、というか」


 どういうわけだか、那彦はそれに難色を示した。

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