いざ磐海凪③

「どういうことだ?」

「最初に話したろ、きれいな箱を持った謎の男さ」


 その男の亡骸は、潮に乗って浜辺に流れ着いた。帯にうまいこと引っ掛かったか、はたまたその箱に強い意思でもあったか、それも一緒に流れ着いたから、すぐにその男だとわかったらしい。


 けれど、その男は――、


「しわくちゃの老人だったんだ」


 再び飛助が、ごく、と喉を鳴らす。


「し――、しわくちゃ、の? いや、だって最初若者って」

「そうだ。しかも、その時のお医者が診たところ、どうやらそいつは海に落ちて死んだんじゃァないみたいでね」

「違うのか?」

「溺れたんじゃないの?」


 若いやつだって溺れるんだし、しわくちゃの爺さんならなおさら、と飛助が言う。


「奴さんの肺には海水がほとんど入ってなかった。水を飲んでないんだ。つまりは、海で死んだんじゃァない。落ちたのさ」

「死んでから? そんなまさか」

「いやいやだってさ、その直前まで漁師の家を一軒一軒回ってたんだろ?」


 ああでも、それは若者の話なんだっけ? だけど老人で? と混乱している飛助に「ちょいとお黙り」と言って、青衣は、だからね、と続けた。


「家々を回ってる時は若者だった。これは間違いない。目撃情報も腐るほどある。だけど、それからほんの数刻の後に、その若者は寿命が尽きるほどの老人になっちまったってェわけよ」

「っはあぁ? そんな御伽噺みたいな話ある?」


 馬っ鹿らしい、と小馬鹿にしたような声を上げる飛助に、「そんじゃァ狐がてめェの知り合いに化けただの、地蔵がしゃべっただのってェのはどうなるのかえ?」と目を眇める。


「そりゃァわっちだって耳を疑ったさ。だけどそのお医者はその町一番の名医らしいし、その場にいた誰もがその爺の亡骸を見てるんだ」

「別人の可能性はないのか?」

「それも考えたんだけどねェ。その若者がふらふらと崖の上に向かうのを見てたやつもいるし、浜に打ち上げられた爺も同じ着物を着てたんだ。それで箱も持ってたとなりゃァ」

「着物まではまだわかるとしても、箱まで持ってるとなりゃあなぁ」

「そういうこと」


 そこまで言うと、青衣は、むむ、と眉を寄せて唸った。


「それで、だ」

 

 その言葉に、同じく眉を寄せ、何やら考え込んでいた太郎と飛助が顔を上げる。


「もし海の中がここと時間の流れ方が違うのだとすると、だねェ」

「う、うん」

、厄介なんだ」

? どういうこと?」

「もしここの時間よりも速いとすると――、海の中ではもう何年も経っているかもしれない、ということか?」

「その通り」


 海の中が陸よりも時の流れが速いと仮定すると、だ。

 海から上がったという彼が若者の状態で現れたことから考えると、海の中では身体に影響は出ないものと思われる。出るのは、陸に上がった時。海の中で過ごした数十年分の『老い』が一気に襲ってくるのではないか、と。


「成る程。考えられるな」

「あっという間におじいちゃんになったんだもんなぁ。確かになぁ。うん、わかるわかる」

「だけど、逆も考えられるわけよ」

「逆?」

「もし海の中が陸よりも時の流れが遅いとすると、そこで過ごした本人の中ではほんの数日でも、陸の方では数年、数十年経っているわけだ。――で、陸に上がると、陸での時の流れに戻る。数十年分のツケを一気に払うっていうのかねェ。それで、やっぱりその若者はしわくちゃの老人になっちまった、ってェわけよ」

「成る程」

「ううん、だけどさ、少なくとも白ちゃんはまだ消えて七日だろ? だったら明日陸に上がっても八日分しか年は取らないってことだよな?」

「もちろん。ただ、それは明日本当にあの犬っころを陸に引っ張り上げられたら、って話だ。いずれにしてもわっちが危惧してるのはそこさ。まだあの犬っころが消えて数日だが――、果たして海の中では何日経っているのか、それともほんの数刻なのか」


 

 そんな話を聞かされて、である。

 

 まずそもそもその老人になった若者が、海の中で一体どれくらいの時を過ごしていたのか、という話ではあるのだが、もう飛助の中では、海から上がった白狼丸がしわしわの老人になる想像しか出来ない。だって、海から上がった男は、しわしわの老人になって死んだのだ。


 恐らく白狼丸もまた、その亀に出会ったのだろう。

 少女の目撃情報によれば、いじめている亀を助けると、そのまま海に連れて行かれるそうだから、きっと彼もそうしたのだ。


 ああもう、白ちゃんの馬鹿野郎。

 いじめられてる亀を助けるなんて柄にもねぇことするからだぞ。

 おいらよりも姐御よりも年上になっちまうのかお前は。

 よぼよぼの爺さんになっても茜ちゃんのこと抱けるのかよ。

 ほんとに馬鹿だ。大馬鹿だ。


 けれども、それを口にも顔にも出さず、努めて明るく「いざいざ」と声を張り上げた。自分が馬鹿みたいに明るくしていないといけないのだ。太郎は気丈にも「白狼丸が戻って来てくれるなら、例えしわくちゃのお爺さんでも構わない」と言っていたが、妻である茜はどう思うだろう。余計なことを考えさせてはいけない。とにかく笑わせて、元気づけてやらないと。


 ただひたすら底抜けに明るく声を張り上げてとっておきの小咄やら歌を歌いながら、飛助はやはりまだ少しふらついている太郎の手を取って磐海凪へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る