第1話 ⑤

 儀式の流れを雅之や信代と確認しているうちに、喪主の和彦やその妻である淳子を始め、親族一同が集まってきた。和彦も交えて再度、段取りの確認をし、岸本はとりあえず大広間を出た。

 午後四時半から始まるという親族たちの会食に立ち入るわけにはいかない。とはいえ、野辺送り前の清めが始まるまであと三時間半もあるのだ。清めが始まってしまえば、明け方近くまではトイレなどの小用以外に自由時間はない。ゆえに早めの夕食はあか地区で唯一のコンビニエンスストアで済ませるつもりだ。そして、支所に戻ってフォーマルスーツに着替え、霊柩車に乗り換えて、再度、芹沢本家宅を訪れる。

 その前に、やるべきことがあった。山神の広場の位置を確認することと、火葬担当の状況確認だ。場所の確認は現地まで出向かなければならないが、火葬担当の状況確認は念のためにするものであり、電話一本で済む。

 朱地区にあるその火葬場は旧朱村によって管理されていたいたが、今では金盛市の管轄下だ。ゆえに火葬担当は現在も旧朱村時代も自治体の職員である――というより、旧朱村のときから同じ職員たちによって引き続き運営されているらしい。

 岸本はビジネスバッグを片手に提げて砂利の駐車場に移動した。そして白いコンパクトカーの助手席のドアを開け、バッグをシートの上にほうる。ドアを閉じる勢いまでが投げやりだった。

「本当に、この仕事をするのが……それだけがペナルティなのかよ」

 上着のポケットからスマートフォンを出しつつ、岸本は独りごちた。

 この儀式に則った前回の葬式は一年前だったという。それまでの立ち会い担当は朱地区出身のこんどうという支所職員であり、岸本とは二、三回程度、顔を合わせていた。その近藤が定年を二年後に控えて市民生活部のこの担当から外され、代わって本所財政部の岸本が新たに支所職員としてその任務に抜擢されたのである。

 この立ち会いは、必要書類を準備してから報告書を提出するまでを含めると、ほぼ二十四時間勤務である。それでもこれを担当する者は、これ以外の職務に携わることは年間を通じてほとんどない。職場の隅でネットサーフィンでもして一日を過ごせるのだ。すなわち、事実上は、山神の儀式があるときのみの年に数回あるかないかの実務ということになる。そんな楽な職務なのに、定年間際の近藤は支所の市民課に回されてしまった。

 そもそも、金盛市の街で育った岸本にとって、旧朱村に残されていた「山神の儀式」など知る由もない風習なのだ。しかもこの儀式はこれで最後だという。最後ならではの特別な儀式が火葬祭に挿入されるらしいが、そんな職務によりによって自分が選ばれたことが、岸本は腑に落ちなかった。処分を科されて当然な自分が任されるのならば、ただの奇習ではないはずだ――そう思わずにはいられない。加えて、山神の儀式がなくなるのだから、当然、せっかくの容易な職務も廃止となるわけだ。それとともに担当者が用済みとなるのなら、それが岸本に科せられたペナルティなのだろう。

 もう一つの懸念があった。山神の儀式を取り仕切る斎主が葛城勝義からその長女である綾に代わったことだ。彼女とは面識があるくらいで交流はないが、同じ金盛市の職員なのだ。弱り目に祟り目である。

 暗澹とした気分を払拭できないまま、岸本はスマートフォンで火葬担当のざわという男に電話をかけた。一面識もない男だ。その木沢はすぐに電話に出た。

 挨拶もそこそこに、岸本は確認を取る。

「葬場祭は予定どおりに済みました。山神様の儀式も、予定どおりに執りおこなわれると思います。木沢さんのほうは問題ありませんか?」

「今は非番で自宅待機中だけど、今晩の早いうちに火葬場に入りますよ」

 五十絡みと思われる声は、飄々とした口調だった。

「よろしくお願いします」

「はいはい」

 慣れているのかやる気がないのか、木沢は二度返事をした。

 火葬担当にやる気があろうとなかろうと、職務が全うできれば問題はない。職務上の繫がり以外に接点がないうえ、面識もないのだ。そんな男を煩わしいと思う余裕さえないほど、神経は張り詰めていた。

 通話を切った岸本はスマートフォンをポケットに戻すと、運転席側に回り、ドアを開けようとした。

「あんた、儀式の立会人だろう?」

 背後で男の声がした。

 振り向くと、眼鏡をかけた若い男が立っていた。ナイロンジャケットに黒いスラックス、という出で立ちだ。

「えーと、あなたは……」

 芹沢本家宅の大広間では見ていない顔だ。とはいえ遺族か参列者か、いずれにせよ神葬祭にかかわる者であるようだ。岸本は気を改めて自己紹介しようとするが、それより早く男が口を開いた。

「芹沢啓太の孫の仁志だよ」

「ああ、仁志さんでしたか」

 この男が、玄関先で聞こえた声の主に違いない。喪主の弟の雅之でさえ嫌忌する様子を見せていたのだ。用心すべき相手なのだろう。

 とりあえず、「おじい様が亡くなられて大変でした」と無難な挨拶をしておいた。

「大変といえば大変だけど、重荷が減ったほうが大きいかな」

 雅之から「卑屈な正確」と聞いていたが、この放胆な言いように岸本は毒気を抜かれた。

「そうなんですか」

 その程度の言葉しか思いつかず、岸本はへつらいの笑みを作った。

 それでも仁志は表情を変えずに続ける。

「芹沢本家の家督を継ぐのは長男の和彦、そして次に控えているのはその息子であるこのおれだ。なのにじいさんは、次男の娘である梨花ばかりをかわいがっていた」

 梨花とはショートボブの女子高生だ。自分が啓太の立場だったらやはりこの偏屈より梨花をかわいがってしまうだろう――そんな感慨はおくびにも出さず、岸本は「それはおつらいですね」と返した。

「そんなことはどうでもいいんだ」仁志はうっすらと笑みを浮かべた。「あんた……岸本さん、って言ったっけ?」

「はい。名前、知っていたんですね?」

「葬場祭が始まる前に、おやじから聞いていたんでね」

「ああ、なるほど」

 いくら不精者でも知ってい当然である。見くびっていたようだ。

「で、岸本さんに訊きたいんだけど」

 そう切り出された岸本は、「はい」と相手を促しつつも胸の内で身構えた。同時に、名刺を出していなかったことに気づくが、こんな男に対するビジネスマナーなど意味がない、と思えてしまい、あえて、名刺は取り出さずにおいた。

「山神の斎場でおこなわれる火葬祭、ってどんな儀式なの?」

 単刀直入に尋ねられたが、岸本は二の句が継げなかった。

「そんなに難しい顔をすることないじゃん。立会人なら、知っているはずだよ」

 仁志は訴えた。しかし、以前の担当である近藤が知っていたとしても、岸本には当てはまらない。

「いえ、知らないんです」

 それ以外の言葉は見つからなかった。

「だって岸本さんは立会人なんだよね?」

 仁志は訝しそうに食い下がった。

「そうですけど、儀式の詳細までは聞かされていないんです。とにかくお清めが済んだら、わたしは霊柩車を山神様の広場まで移動させ、野辺送りがそこに到着したところで葬列の皆さんとともに儀式の場へと赴き、儀式を見届ける。そして、ご遺体を霊柩車に乗せ、参加者の皆さんとともに火葬場へ行って、ご遺体が火葬されるのを確認し、埋葬祭を経て、埋葬を確認したところで上司に報告する。そういうことです」

 うそ偽りのない答えだ。うそを口にする意味がなければ、うそを言って損することはあっても得することはない。

「そうなの?」仁志は首を傾げた。「以前の立会人は、儀式の内容とか、いろいろと知っていたらしいけど」

「そのようですね」

 だからどうだというのだろうか――岸本はいら立ちをこらえた。

「十カ月前に朱村と金盛市が合併してから、事情を知る市職員は右往左往しているらしいよね」仁志は言った。「朱の風習について……つまり、山神の儀式の中にある火葬祭、についてだよ」

「はあ……」と首肯して見せたものの、もう話を切り上げたかった。

「これで最後だし、岸本さんはその詳細を知らなくていい、ということなのかな。それとも……」

「それとも?」

 切り上げたいのは山々だが、面倒な事態だけは避けたいがために、岸本は先を促した。

「岸本さんって朱の出身じゃないよね?」

「はい」

「つまり、朱出身ではない者には知られたくない儀式、ということなのかもしれない」

「市役所が……というか、一部の職員が一集落の風習を隠している、と?」

 それこそ考えにくい局面だ。自分の気持ちを表に出さないように意識するのが難儀だった。

「そうだよ」仁志は頷いた。「市役所が表沙汰にできない風習ってどんなんだか、気になって当然だろう?」

 気にならない、と言えばうそである。だが今の岸本にとっては俎上に載せる問題ではない。

「異様ではありますね。でも、立ち会ってしまえば、知りたくなくても知ってしまうわけですよ」

 煮えきらない答えと知りつつ、岸本は口にするが、一方の仁志は、そんな岸本の態度などおかまいなしといった様子だ。

「そりゃそうだ」仁志は肩をすくめた。「まあ、それはそうと、頼みがあるんだけど」

「頼み?」

 嫌な予感がした。岸本は思わず眉を寄せる。

「火葬祭がどんなのか、見たまんまでいいから、あとでおれに教えてよ」

 さすがにこれには首を立てに振るわけにはいかない。火葬祭の儀式の内容を公言してはならない、という業務命令が下されているのだ。報告書にも、それだけは記載してはならないとう。岸本がこれに就任する以前からの取り決めであり、儀式の場に居合わせた者以外は知ってはならないことなのだ。こと岸本に至っては、この命令を犯せば人生の破滅を招くという危惧もある。

「申し訳ございませんが、お受け致しかねます」

 岸本が慇懃に伝えると、仁志は顔をしかめた。

「なんでさ? ほかに漏らさなきゃいいじゃん」

 岸本が漏らさずともこの男が漏洩の源となる可能性はある。認めるわけにはいかない。

「だめなんです」

 やや強めに突き返し、仁志の顔を睥睨した。

「想像以上の堅物だな」

 そう言って舌を鳴らした仁志が、芹沢本家宅に向かって歩き出した。

 仁志という青年は執拗な性格かもしれない。油断はできないだろう。

 面倒な事態が起きないことを願いながら、岸本は運転席に着いた。

 面倒な事態は、自分が起こした事件だけで十分なのだから。

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