第7話 ⑥

 騒乱のあとのどさくさの中で、岸本は仁志によって大広間から連れ出された。手を貸してほしいとのことだったが、ほかの者に気づかれぬように誘われたのだから、岸本が訝っても当然だ。もっとも、山神信仰反対派との死闘を見せた仁志が、今さら敵陣に寝返ることはないだろう。岸本にしても、痛い目に遭わせてくれた山神信仰反対派には、一泡吹かせてやりたい思いがある。いずれにしても、仁志の企みは意表を突く手段であっても仲間を裏切るものではない、と思われた。

 岸本は仁志に導かれて玄関を出た。庭先には石塚沙織と喜久夫、花江、木村三砂都ら四人の姿があったが、彼らにも気取られることなく、ガレージの横を通って屋敷の裏へと回った。

 木製の角材で叩かれた左膝がわずかに痛むが、足の引きずりはそれほど大きくなく、小走りなら平気と思われた。仁志の歩みに着いていく程度なら問題ない。

 裏庭に物置らしきプレハブの建物があった。表にあるガレージよりわずかに大きい。西に向いた面に出入り口らしき引き戸がある。

 引き戸の前に立った仁志が、ワイドパンツの後ろポケットからキーリングでまとめられた鍵束を取り出した。

「ここに入るのは久しぶりだな」

 仁志は独りごちると、一本の鍵を引き戸の鍵穴に差し込み、解錠した。

 引き戸を開けて中に入った仁志に続き、岸本も足を踏み入れる。二人とも土足だ。

 引き戸のある面以外はそれぞれ窓ガラスがあり、外の光は必要十分な程度に取り入れられていた。もっとも、その光も山神の作った妖光であるのだから、ありがたみは半減する。

 据えたにおいに顔をしかめつつ、岸本はそれらを見やった。

 農耕具の類いは別に保管されているのかここには見当たらない。だが、提灯や提灯の台など山神の儀式に使う道具や、段ボール箱、予備の日用品などが積み重なっていた。

 そんな一角に、高さが一メートル半はあろうかという細長い金庫があった。鍵束を手にしたままの仁志が、その金庫の正面に立つ。

「岸本さん。あんた、驚くよ」

 岸本に見せた横顔に不適な笑みが浮かんだ。

 動物の死体でも入っているのだろうか。動物ならまだしも、人の死体はもう見たくない。

 鍵束の中から迷わずに選んだ一本を金庫の鍵穴に差し込み、仁志はその両開きの扉をゆっくりと開いた。

「これさ」

 鍵束をワイドパンツの後ろポケットに戻した仁志が、脇にのいた。

 岸本は目を見張る。

 金庫の内側に据えられたスタンドに立てかけられていたのは、銃身の長い銃だった。三丁ある。ショットガンかライフルだろう。三丁ともスコープが装着されていた。

「猟銃か?」

 それらを見つめたまま、岸本は尋ねた。

「そうさ」仁志は頷いた。「ライフルが一丁に、ショットガンが二丁。どれもじいちゃんのものさ。たまにおやじも使っていたけど。弾もあるよ。ライフル弾と散弾、どっちも結構な数がある」

 見れば、金庫の床面に一目でそれとわかる小箱がいくつも重なっていた。

「これで、どうするんだ?」

 なんとなく想像はできた。二つのパターンだ。マシなパターンなら山神信仰反対派が襲ってきた場合の威嚇に使う。だが、仁志は母を山神信仰反対派に殺されたのだから、恨みつらみはあって当然だ。しかも、岸本は話に聞いただけだが、仁志は目の前で父を食い殺されたのである。短期間に両親を殺害され、やけになっている可能性は否めない。

「人殺しには使わないよ」

 岸本の懸念を見透かしたように仁志は言った。

「つまり」岸本は仁志に視線を移した。「あいつらが次に襲ってきたときは、これで脅して追い払うわけだな?」

「そう」

 仁志は首肯した。しかし――。

「手伝え……って、おれに猟銃を持て、ってか? 脅しとはいえ、空に向けて撃ったりするんだろう?」

 それ以外にはあるまい。しかし、岸本は銃を撃った経験などなかった。

「そう、威嚇射撃くらいはするさ。でも、おれもやるよ。二人で一丁ずつ構えるんだ」

 そう唱えられても、経験値が上がるわけではない。岸本は逡巡した。

「おれに撃てるかな……」

「まあ、資格も経験もないんだろう?」

 答えるまでもないが、口元をゆがめて小さく頷いてやる。

「おれも資格はないんだけど」言いながら、仁志は一番手前の銃を取り出した。「撃ったことはあるんだ。もちろん、内緒でだけど」

「ばれなかったのか?」

「ばれないわけないよ。弾が減るからね」

 手にした銃を眺めながら仁志は失笑した。

「だろうな」呆れるあまり、ほほえむことさえできなかった。「それにしても、どうしておれに声をかけたんだ?」

「ほかの人じゃ話に乗ってくれそうもないし」

「それだけ?」

「それだけ」

 簡単に返してくれた。消去法で選んでくれたのだろうか。もしくは、犯罪に手を染めた身だから、という理由は考えられる。ならば山神の儀式で岸本を生け贄にしようとした者たちも犯罪者に違いないが、何度も自分の頭の中で繰り返したそれは、単なる水かけ論だ。

「とにかく二人でやれば、威嚇にしたって効果は倍だよ」

 仁志の言葉に間違いはないだろう。岸本は「だな」と返した。

「これはライフルだ」手にした銃を掲げて、仁志は岸本を見た。「そっちの二本のショットガンも同じだけど、自動装填銃だから、装填したぶんの弾は連射できる。しかも三丁とも単身だ。初心者には向いているんじゃないかな。薬莢が自動で右横に飛び出るからそれは注意しないといけないけど」

「そうなのか」概ねは理解できた。だが取り扱いを知ったわけではない。「詳しい使い方を教えてくれ」

 その気になったのは確かだ。自分の気が変わらないうちに、高揚した気分を本物にしたかった。

「もちろんさ。でも忘れないでほしいけど、そうなれば、おれたちは後発班になるんだぜ。生き延びる確率は下がる、と思う。銃刀法を犯すことにもなるし」

「かまわないよ」

 岸本は即答した。仮に生き残ることができたとしても、罪を暴かれる可能性におびえながら孤独な人生を送るより、罪を背負った者同士という仲間がいるだけで気分は楽になれそうだ。

「仲間」岸本は言った。「おれは勝手にあんた……いや、あんたらを、そうとらえることにする。悪く思わないでくれ」

 仁志が銃刀法違反なら、山神の儀式に参加した者たちは、殺人未遂だ。岸本自身も含めて、皆が犯罪者である。

「いいじゃん。おれもそういうの、ほしかったんだ」

 繕ったわけではないらしい。しかし言われてみれば、仁志に抱いた最初のイメージは、間違っていなかったというわけだ。友達は少ないだろう――という印象が、である。

「わたしも仲間に入れてもらえるかしら」

 突然の声に岸本と仁志は振り向いた。

 開けたままの出入り口の外に、石塚沙織が立っていた。

「つけてきたのか?」

 仁志が沙織を睨んだ。

「大丈夫よ」沙織は無表情だった。「ほかの人には気づかれていないから」

「そういう問題じゃない。あんたには関係がないことだ。みんなのところへ戻ってくれ」

 鼻息を荒らげて、仁志は告げた。

「ばらしちゃうかもよ」

 無表情のまま、沙織はそう返した。

「聞いていたのか?」

 岸本が問うた。

「そう。全部ね」

 抑揚のない返事だった。

「準備ができればこっちのものだ。先発班を無事に行かせるのが目的なんだから、この企てを知れば、むしろ、誰も邪魔はしないはずだ」

 仁志は言い募った。

「ふーん」沙織は金庫のほうに視線を送った。「でも、銃は三丁あるじゃない。大勢を相手に威嚇するんだったら、二人よりは三人のほうがいいわ」

「あんた、威嚇が目的じゃないんだろ――」

「あなたも同じ」沙織は仁志の言葉にかぶせた。「仁志さん……だったわね。あなたも両親を殺された。しかもお母さんはあの人たちに殺されたわ」

「でもおれは、人殺しはしない」

「それに」沙織は仁志の言葉を無視して岸本を見た。「岸本さん、あなたは犯罪者だったわね」

 一連の流れを俊康から聞かされた沙織は、当然、岸本の事情も知っている。

「だから……なんだっていうんだ?」

 この期に及んで弱みなどとは思っていない。だが、そう指摘されて平然としていられないのも事実だ。

「わたしが犯罪者になったところで、文句はないでしょう?」

「文句はないけど……」

 確かに、返す言葉はない。だが、自らが殺人を犯す可能性を、沙織は示唆したわけである。それを見過ごすのは、岸本にさえ負い目があった。

「仲間にしてくれなかったら、ほかの人が邪魔しなくたって、わたしがあなたたち二人の邪魔をするわよ」沙織は言った。「それに、わたしが銃で反対派の人たちを撃ち殺したとしたら、仁志さんに代わって仇討ちしたことにもなるでしょう。あなたたち二人の威嚇射撃に紛れてわたしが何人かでも射殺できれば、いいじゃない。いわゆる助太刀よね」

 仁志は絶句していた。邪魔をされるのが困るのか、仇討ちの代役をしてくれるのが嬉しいのか怖いのか――それは岸本にもわからない。

 岸本も仁志も、沙織に反駁できなかった。


 スポーツバッグを肩にかけた梨花は、真っ先に玄関を出た。そして、ふと気づく。スズメやカラスなど、鳥の類いが一羽も見当たらないのだ。山神の光におののいて息を潜めているのか、もしくは山神に食い尽くされてしまったのか。

 雅之や信代を待ちながらやけ気味に鳥の姿を探していると、門の外から喜久夫が駆け寄ってきた。

「梨花、石塚さんを見なかったか?」

「石塚さんって満里奈ちゃんのお母さん?」

 不意に名字を出されてもすぐには思い出せず、梨花は問い返した。

「そうだよ。さっきまで一緒にいたんだが、ちょっと目を離した隙に、いなくなっちゃったんだ」

 喜久夫が説明している間にも、ガレージの裏から花江が、庭の奥からは三砂都が、庭先へとやってきた。

「車庫の周りにはいないわね」と花江が告げると、「庭の奥にも……」と三砂都が繫いだ。

「わたしは見ていないよ」

 梨花はそう伝えた。大広間にはいなかったはずだ。

「どうしたんだ?」

 玄関から出てきた雅之が尋ねた。

「満里奈ちゃんのお母さんがいなくなっちゃったんだって」

 梨花が喜久夫に代わって答えた。

「今度は石塚さんなの?」

 雅之の横に並んだ信代が眉を寄せた。彼女に肩を支えられている綾は、無反応であり、会話に加わる気配はない。

「今度……とは?」と訝しそうに声を忍ばせる喜久夫に、雅之が仁志と岸本の姿が見えないことを伝えた。

 全員が玄関を出たのを見やった雅之は、今度は沙織の行方がわからなくなってしまったことを口にした。

「満里奈ちゃんのところにいるかもしれない」

 賢人が言うと、時子が首を横に振った。

「今、確認したばかりだけど、亡くなった三人以外は誰もいなかったわ」

「広い屋敷だから、ほかの部屋にいるかもしれない」

 信代のその意見に時子は頷く。

「トイレかもしれない。わたし、ちょっと見てくるわ」

「いや」俊康が制した。「おれが捜しておく。出発は遅らせないほうがいい」

「でも……」

 不安げなまなざしで、時子は玄関の中や廊下のほうを見た。

「おれも後発班に入りますよ」言ったのは木沢だ。「岸本についている役目なんで、残ってやつを捜します」

「そうか。なら、頼むよ」

 俊康は首肯した。

「じゃあ、急ごう」

 雅之が皆を促した。

 後発班は四人となったが、うち、喜久夫だけが見送りとして門の外へと一行とともに出た。

 門の外に出た梨花は、道沿いの雰囲気が変わっていることに気づいた。道沿いに並ぶ車両が十台ほどに減っている。多くの者が出かけたのだから当然である、と得心した。

 雅之のミニバンには雅之本人と梨花、信代、綾、賢人が乗ることになっていた。紀夫のSUVには時子と良子、花江が割り当てられている。梨花が把握しているのはそこまでであり、ほかの者の割り当てまでは覚えていない。

 いずれにしても自分が乗るべき車に急がなければならなかった。門の前に立つ喜久夫に手を振り、梨花は雅之のミニバンを目指して、雅之や信代、綾、賢人ともに道を西へと歩きかけた。

「殺すぞ!」

 綾が叫んだ。

 梨花や雅之たちだけでなく、それぞれの車に向かおうとしていた全員が立ち止まった。

「おまえたち全員を今から殺す! この里にいる者を残らず殺す! 今すぐにだ!」

 うつろな目で正面――西のほうを見つめたままだが、綾の声は殺気に満ちていた。

「山神様が……来るの?」

 声を震わせて、梨花は周囲に視線を走らせた。

 空を覆う光の幕は、揺らめきが激しくなっているようだ。一方、山並みにへばりつく光に変化はないように見えたが、よく見れば、家々や木立の間に垣間見える遠くの平地に、発光する不定形の何かがのたくっているのだった。それは少なくとも、東と南には存在が確認できた。

「早く」と告げたそばから、雅之が立ちすくんだ。

 雅之だけではなく、梨花も含め、誰もが顔をこわばらせた。

 東西に延びる道の両側、そして南に広がる畑のあちこちから、何十人という者たちが姿を現したのだ。

「反対派の連中だ」

 紀夫が言った。

「いかん、急げ!」

 俊康は叫ぶが、西から歩み寄る十人前後は、すでに雅之のミニバンの横に差しかかっていた。東を見れば、一番遠くに停まっている車両よりも手前に、やはり十人前後の姿がある。畑から来るのは五十人近くの数だ。どの方向の者も、男だけでなく女や小学生程度の子供まで含まれていた。ほとんどの者が、棒やシャベルなどを手にしている。

「山神が迫っていることに気づいていないのか?」

 つぶやいたのは木村だ。

 だが、山神信仰反対派の者たちも気づいているに違いない。周囲の状況を見れば気づかないわけがない。だからこそ、彼らはまたしてもここを襲撃するのだろう。ここを襲撃して山神の信者を皆殺しにすれば自分たちは助かるに違いない――そう信じているのだ。

 梨花は死を覚悟した。山神ではなく自分と同じ人間に殺されるのだ。もしかすると、山神はあの連中を利用して山神信仰の者たちを殺害しようとしているのだろうか。そしてこちら側を全滅させたあとで、連中に殺し合いをさせる。そんな可能性も考えられるが、改めて見れば、山神信仰反対派の面々の多くは、狂気さえ浮かべているものの、自分の意思で動いているようだ。ならばこれは、人の憎悪と恐怖がもたらす悲しいあえぎである。

 不意に、梨花の目の前を誰かが走った。東と西と南、それぞれの方角に一人ずつの、三人だ。

「おい、君たち!」

 声を上げた紀夫だが、彼の足は固まっているらしい。

 梨花は無論のこと、雅之や賢人、喜久夫――誰一人として、彼ら三人に近寄ろうとする者はいなかった。

 東に立つのは仁志、西に立つのは岸本、畑の手前に立つのは沙織だった。三人はそれぞれ、銃身の長い銃を構え、銃口を山神信仰反対派の面々に向けている。

「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」

 そう叫んだ仁志が、銃口を空に向けた。とたんにすさまじい銃声が鳴り、迫りつつあった山神信仰反対派の足が、ふと止まった。

 再度、仁志は銃口を東の先にいる連中に向けた。

「おやじが持っていた猟銃だ」

 雅之が言った。

 息を吞み、梨花は沙織の背中を見た。仁志と岸本が銃を構えているだけでも驚異だが、沙織がどうしてその二人とともに行動しているのか、わからなかった。しかし、満里奈を目の前で殺害された彼女の心境を思えば、おのずと答えは見えてくる。

「だめ……」と声を出したが、沙織に届くはずもない小さな響きだった。そして思い直し、口を結ぶ。満里奈の悲惨な姿が脳裏に浮かんだのもあるが、自分たちが生き延びるための道を開いてくれるかもしれないのだ。姑息である、と自戒したが、現状を見る限り、ほかに手立てはないだろう。

 雅之もそう思ったのか、歯を食い縛ったまま、三方向の様子に目を配り続けていた。

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