第8話 ①

 仁志と岸本が構えている銃はショットガンだ。沙織が手にするのはライフルである。啓太の猟銃にふれたことくらいはあるゆえ、雅之にはその程度の識別ができた。これら三丁の猟銃で威嚇射撃をするのはよしとして、構えがなっていなければ本人が負傷するかもしれないという実銃を沙織に渡すとは、いかなるいきさつがあったのだろう。しかも三丁ともスコープがつけられているのだ。嫌な予感が胸を走った。

「今の音は?」

 俊康だった。銃声が気になって出てきたのだろう。彼の後ろには近藤と木沢もいる。

「岸本が……」

 ショットガンを構える岸本を見て、木沢が目を丸くした。

「ただの脅しだ!」

 西のほうで山神信仰反対派の一人が怒鳴ったた。若い男だった。

 連中が再び歩き出した。

「修司さん!」

 銃を構えたまま、沙織が声を上げた。

 畑のほうから迫る一団の中央――その先頭を歩く男が、足を止めた。金属製らしき棒を右手に提げている。

「石塚――裏切り者か!」

 スウェットスーツのその男が声を上げると、東も西も南も、一同の足がまたしても止まった。

「どうして満里奈にあんなひどいことをしたの!」

 答えを聞いてもどうにもならないことは、沙織本人が心得ているはずだ。すなわち、許すつもりのない事実――それを表明したのである。

「裏切り者の一人が目の前にいただけだ!」

 叫んだその修司という男は、虚勢を張っているらしい。仁王立ちのまま、足が震えていた。

「満里奈はまだ子供だったのよ!」

 スコープを覗いたまま、沙織は声を上げた。今の彼女には、悲しみを凌駕する憎しみがあるに違いなかった。現にその声には、冷徹さが表れていた。

「そんなの関係ないだろう!」

 そう返す修司の横に、中学生らしき少年がいた。彼も何やら棒状のものを右手に提げているが、表情が萎えている。こちらと修司とを交互に見ていた。

 雅之は意図せずに「だめだ」とつぶやいた。

 その直後に、沙織の構えるライフルが銃声を伴って火を噴いた。

 薬莢が排出され、アスファルトに乾いた音を立てる。

 少年が頭部から何かを飛び散らせながら後ろに跳ね、背中から畑の土の上に倒れた。

「おれの子供をやりやがったなあ!」

 そう叫んだ修司が沙織に向かって走り出した矢先に、ライフルの二発目が放たれた。

 修司は左肩の肉を吹き飛ばされ、もんどり打って倒れた。

 ライフルの銃口はまだそちらに向いている。

 山神信仰反対派の面々が蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。

 それと同時に雅之も走っていた。

 四発の弾が装填できるライフルだ。フル装填ならば、あと二発は撃てる。

「自業自得よ」

 修司に向かってそう吐き捨てた沙織は、立ち上がれずにもがいている標的に銃口を向けたまま、スコープを覗いていた。

「もういいだろう」

 雅之は沙織の手からライフルをもぎ取った。

 抵抗はなかった。沙織はただ呆然と、畑のほうを見ている。肩を脱臼するなどの負傷はなかったようだが、無論、「筋がいい」などと褒めるつもりはなかった。

 仁志と岸本が銃口を下げてこちらの様子を窺っていた。

 ライフルを確認すると、残弾はなかった。装填されていたのは二発だけだったらしい。

「二発だけよ。それだけにして、ってあのお兄さんに頼んだの」

 沙織は言って、仁志のほうにほんの少しだけ顔を向けた。復讐を果たすために必要な弾数があれば、それでよかったのかもしれない。

「仕方がなかったんです」構えを解いた岸本が雅之に言った。「銃は脅しに使うはずだったけど、おれと仁志さんが彼女に脅されてしまった」

 そしていつの間にか来ていた時子が、沙織の左腕をつかんだ。

「雅之兄さん、石塚さんはうちの車に乗せるわ」

「頼むよ。とにかく、今のうちに出発しよう」

 そう告げて門のほうに向こうとした雅之だが、逃げ出したはずの暴徒の一部が、畑の先からこちらへと走ってくるのを目にした。仁志と岸本がショットガンを構える。

「また来るのか?」

 雅之はライフルを構えようとするが、残弾がないことを思い出し、それを諦めた。

「違うわ……見てよ、あれを」と訴えた時子が、畑の先を指さした。

 発光するアメーバ状の物質が、波打ちながらこちらへと広がってくるのだった。

 何本もの発光する触手がアメーバ状の物質から伸び上がった。それぞれが暴徒の何人かをとらえて高く持ち上げる。

「時子、急げ」

 雅之の言葉に「うん」と頷いた時子が、沙織を伴って道の東へと走った。紀夫のSUVはそちらに停めてあるらしい。

 山神信仰のほかの者も、それぞれの車両へと走った。仁志と岸本はどちらもショットガンを持ったまま、そろって裕次の軽トラックの荷台に上がった。

 紀夫と良子、花江が時子のあとを追った。もっとも花江は良子に強引に手を引かれており、門の前に立つ喜久夫に「あなたも来なさい!」と声を飛ばした。

「おれは俊康兄貴とすぐに行く! 先に行っていろ!」

 そう返した喜久夫に、雅之は言う。

「喜久夫おじさん、後発班はなしにしよう」そして雅之は、俊康を見た。「俊康おじさん、ほかを待っている場合じゃないよ」

 俊康は頷く。

「そうだな。岡野くんらは自分たちでどうにかしてもらうしかない。とりあえずおれは、喜久夫と近藤くんと木沢くん、この三人と一緒に行く、雅之も急いでくれ。自分の家族を守るんだ」

「わかった」

 雅之がそう返すと、俊康は喜久夫と近藤、木沢らとともに喜久夫のSUVへと向かった。「あなた、わたしたちも行きましょう」

 その声に振り向けば、信代が焦燥を呈していた。

「ああ、行こう」

 雅之が促すと、信代は綾を支えながら歩き出した。梨花と賢人がそれに続く。

 ライフルとスポーツバッグを持ったまま、雅之は小走りで四人を追い抜いた。そしてすぐにミニバンの運転席に着き、エンジンをかけ、左右のリアドアをリモコンスイッチで開ける。助手席にリュックを抱えた梨花が乗り込み、二列目の座席の右側に綾、左に信代、三列目の席に賢人が着いた。ライフルは賢人に、スポーツバッグは信代に持ってもらった。

 おのおのがドアを閉じたのを確認して、雅之はミニバンをその場で転回させた。外側のタイヤが畑に乗り上げ、車体が大きく揺れるが、強引に突破する。

 雅之はミニバンを西へと向かって加速させると、ほかの車が続々と動き出すのをドアミラーとルームミラーで確認した。

 ミニバンを走らせながら左のほう――南に目をやった。発光するアメーバがじりじりと北上している。シンメトリーの手を先端に有する無数の触手が、枯れ草のように揺れていた。その何本かは人をとらえているが、獲物の四肢や頭部をねじり取っている光景もあった。

 梨花が左に顔を向けていた。

「梨花、見るな」

 雅之の忠告を受けた梨花が、青ざめた様子で正面に向き直った。

「大丈夫だ。おれがついている」

 気休めにもならないだろうが、父として声をかけた。

「うん」

 悄然とした声で、梨花は答えた。

 雅之はミニバンをさらに加速させた。

 緊張を伴った沈黙が、車内を制圧していた。


 勝義も散弾銃を所持しており、その影響もあって、賢人は多少なりとも銃の知識を有していた。とはいえ本物の銃を手にするのは初めてである。残弾はないということだが、人を撃ち殺した道具ならば、それを手して嫌悪を抱かないはずがない。上に向けた銃口を、可能な限り体から遠ざけた。

 振り向けば、仲間たちの車が列を成してついてきていた。このミニバンもそうらしいが、どの後続車もヘッドライトを点けていた。乗用車が擦れ違える道幅とはいえ、制限速度を大幅に超過しているのは確かだ。一定の車間距離を保つ後続車も、こちらと同じ速度で走っていることになるはずである。事故を起こしては元も子もないが、山神の脅威から逃れるには、ほかにすべはない。

 誰もが口を閉ざしていた。綾の神がかりも今はないようだ。とはいえ、賢人には迷いがあった。山神は綾のいる場所を把握しているに違いなく、このままでは山神を儀式の場に誘導することになってしまう。それを避けるには、少なくとも綾を途中でミニバンから降ろさなければならない。このままでよいのか、雅之に確認したかったが、どうしても言葉にできなかった。

 しばらくすると、道が直角にカーブする場所に差しかかった。しかし雅之の運転するミニバンは減速しない。そのまま進めば、田んぼの間に延びる未舗装の道だ。

「揺れるぞ」

 雅之の言葉とほぼ同時に、ミニバンが左右に揺れた。

 歯を食い縛りつつ、賢人は再度、振り向いた。巻き上げられた土埃の中に、後続車のヘッドライトがしっかりとついてきている。

 進行方向に顔を戻すと、前方の左側に異様な光景があった。

 賢人は目を凝らした。

 田んぼに墜落したヘリコプターである、と悟ったときには、すでにその横に差しかかっていた。さらに、その先のほう――やや南寄りには、現場を眺める人だかりが見えた。

「あなた、ヘリコプターが」

 信代が口を開いたときには、その現場は後方となっていた。

「ほかのみんなにはもう言ってあるが、テレビ局のヘリだ」

「今の現場を、見てきたの?」

「ああ。近くで見た」

「ヘリコプターは光の幕を突き抜けてきた、ということなの?」

 信代は矢継ぎ早に問うた。

「というより、とらえられて光の幕の内側に引きずり込まれた、という感じだろうな」

 そう説いた雅之が、ミニバンを減速させた。

 アスファルトの道があった。ミニバンは右折し、その道を北に向かう。

 山神の猛威は光の幕の外にも振るわれるのだ。こんな化け物を、はたして儀式などで退散させることが可能なのだろうか。

 揺れは収まったが、賢人は歯を食い縛り続けた。

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