第7話 ⑤

 惨状を目の当たりにして、雅之は愕然とした。淳子は絞殺されており、大賀は刃物でめった刺しにされていた。少女は顔の判別が不可能なほど頭部が変形しており、金属のようなもので殴られたようだった。殺害された中学生の少女は、雅之や紀夫、高田が飛田らと出かけたあとで、母親や木村の家族とともにここを訪れたらしい。

 犯行グループのうちの二人が返り討ちに遭って意識を失っていた。彼ら二人の男は、後ろ手にされたうえで上半身をロープで捕縛されていた。二人の身柄は大広間の中央付近と奥の隅、という位置だったが、これは大賀と少女の血痕がついた場所であるらしく、こちらの仲間が血痕を踏まないための配慮、とのことだった。

 何人かが頭や腕、足などを負傷したらしく、時子と良子、花江の三人がその手当を担っていた。打撲や切り傷がほとんどだが、皆、軽傷のようだ。見れば、俊康も右手に包帯を巻いている。岸本は左足を引きずっているが、本人の言によれば手当を受けるほどではないらしい。

 取るものも取りあえず、雅之は奥の部屋へと急ぎ、妻と娘の無事を確認した。そこには綾が寝ており、賢人と仁志、木村の妻と娘もいた。そして雅之は、仁志の前では不謹慎である、と知りつつ、梨花を抱き締めて「無事でよかった」と漏らしてしまった。もっとも、再開の喜びを嚙み締めている場合ではない。

 雅之が大広間に戻ると応急手当は済んでいたが、この事態の説明がある前に、俊康から次なる責務がおのおのに告げられた。高田や原田、野村、佐川など、家族の身を案じる者たちを筆頭に、近所に散らばっている仲間たち全員をここに集めるために出ることになった。高田への事態の説明は同行する者が担うらしい。

 高田ら数人が出かけると、三体の遺体は大広間の隣――啓太の棺が置かれていた部屋へと移された。少女の母だという女が、その部屋で少女の亡骸にすがって泣き続けた。どの遺体にも白のシーツがすっぽりと覆うようにかけられたが、少女の母は娘のそれさえ引き剝がそうとするため、喜久夫と花江が付き添って見張り役となった。

 詳しい事情を知らないまま雅之と紀夫も遺体の移動に参加したが、大広間に戻った二人は、血のにおいがかすかに漂う中、俊康から山神信仰反対派について詳しい事情を聞かされた。時子や良子などその場に同席した十人ほどは、同じ話を繰り返し聞くはめになったが、意識を失っている暴漢の二人を除き、皆、真剣に耳を傾けていた。

 俊康の話が終わると、誰かがため息をついた。

「山神信仰反対派だなんて……」

 そうこぼしつつも、雅之には異教を受け入れられない気持ちがわかる気がした。自分たちも遺体を山神に食わせていたばかりか生け贄まで用意したのである。とはいえ、この惨状を許すつもりがないことは、言うまでもない。

「少なくともさっきの人たちには、話し合いは通じないみたいよ」

 紀夫の隣に座る時子が言った。

「だからって、殺し合うわけにはいかないだろう」

 悩ましげに紀夫がそう返した。

「反対派には女性や子供もいる、ということだから、話す相手を間違わなければ、対話はうまくいくかもしれない」

 前向きな意見を呈したのは良子だった。

「問題である、とも受け取れるよ」

 雅之はすぐに反論した。

「どうして?」

 否定されて、良子は顔を曇らせた。

「もし暴力沙汰になれば、その女子供まで巻き込んでしまうじゃないか」

 雅之の言葉に良子は「ああ」と声を漏らした。

「せめてあの光が失せれば、反対派の興奮が冷めるかもしれないのに」

 諦め混じりの様子で紀夫は言うが、そこに光明を感じ、雅之は口を開く。

「少しでも時間を稼ぐ方法はある」

「どういうことだい?」

 俊康が問うた。

「公民館に向かう?」

 先に言葉にしたのは紀夫だ。

「そうだよ。山神からも反対派からも距離を取るんだ」

 雅之は頷くが、紀夫以外の者は得心のいかない表情を浮かべていた。

 それでも勝義から受けた手引きを雅之が説明すると、全員がその案に賛意を示してくれた。決行に当たっては、何人かがここに残り、集まってきた仲間たちに公民館に向かって移動する旨を伝えたうえでその仲間たちと同行する、ということになった。一方で、女や未成年者は先に出発するということも決められた。もっとも、残ることを申し出た雅之は、多くの者から先発班に勧められた。

「今回は家族と一緒にいてやれよ」

 などと喜久夫に強く促され、雅之はしぶしぶ承知した。結果として、後発班は俊康と喜久夫、近藤の三人だけとなった。雅之と同様に残ることを表明した木沢は、岸本を監視するためとして先発班に任命された。雅之によって仲間として認められた岸本とはいえ、後発班を任せるには至らなかったわけだ。

「こいつらはどうします?」と城島が暴漢の二人を見下ろした。

「危険すぎる。置いていこう」

 俊康は言うが、雅之は心苦しかった。とはいえ、仲間たちを余計な危険にさらすわけにはいかない。案の定、反対意見は出なかった。

「なら、急ぎましょう」紀夫が言った。「山神の様子が変なこともあるし」

「変、って?」

 問うたのは時子だった。

 急を要する状況下にあって、雅之はそれを失念していたことに気づいた。時間が惜しいため要点のみを伝える。

「さっき、ここに戻る途中で、一機のヘリが田んぼに墜落したんだ」

「ヘリ?」

 近藤が疑念の声を漏らした。彼の左腕には包帯が巻かれている。

「テレビ局のヘリだった。機種を真下に向けていたから、光の幕を突き抜けてきたというよりは、光の幕に吸い込まれたのちにこちら側に吐き出されたのだと思う。乗員は全員が死んでいたけど、どの死体にも首がなかった」

「なんということだ」

 顔をこわばらせて俊康は声を落とした。

「行動するなら、早いほうがいい。山神が新たな動きに出たのは間違いないんだ」

 そう告げて雅之は立ち上がった。

「じゃあ、早く行動に移ろう」

 俊康の一声で、残りの全員も立ち上がった。

 時刻は午前十時二十二分だった。


 この和室は九畳だった。畳の上に並べられた三体の遺体は、白いシーツが頭の先から足の先までかけられていた。

 喜久夫という男とその妻が沙織の後ろに座っていた。ほうっておいてほしいが、二人は何度か声をかけてきた。先方にも事情があるのだろう。沙織がシーツをめくるのを諦めると、二人は何も言わなくなった。

 奇怪な光にこのあかが取り囲まれてしまったのも満里奈が殺されてしまったのも、すべてが現実味を欠いていた。しかし現に、このシーツの下の満里奈はもう死んでいる。あんなに愛らしかった顔が、どこの誰ともわからないほどゆがんでしまった。脳の一分が飛び出していたが、この部屋に運んだ男たちのうちの一人が、それがこぼれないように満里奈の頭をタオルで押さえ続けていた。沙織は満里奈の遺体を追ってよたよたとこの部屋に来ただけである。何をどうしてよいのかなど、微塵も浮かばない。

 しばらくすると三砂都とその夫がこの部屋に入ってきた。三砂都の夫が喜久夫に何か告げている間に、三砂都が沙織の横に座った。

「石塚さん、みんなでここを避難するそうです。さあ、わたしと一緒に行きましょう」

 三砂都はそう誘うが、沙織には話が理解できなかった。

「何から逃げるんです?」

 理解できないからこそ、尋ねた。

「何から、って……さっき襲ってきた人たちからですよ」

 さも、尋ねるのが変だ、と言いたげな顔で返された。

「山神信仰反対派の人たち?」

「そうです」

 もどかしそうに三砂都は答えた。

 それでも、沙織には理解できない。

「どうしてあの人たちがまた来るんですか? あの人たちは満里奈を殺したんですよ。もう十分でしょう」

「そうですけど」三砂都は哀れむかのような目で沙織を見た。「もっとたくさんの人を殺そうとしているんです。また来るんですよ」

「もっとたくさんの人を殺す……なら、わたしのことも殺せばいいんです」

 満里奈は中学校に進学してから生意気になったが、家族思いの性格は以前と変わらなかった。そして、道理に反することを嫌った。そんな自慢の娘を失ったのだから、自分が生きている意味などないのだ。沙織の思いはそこに行き着いていた。

「お願い、そんなこと言わないで」

 泣きそうな顔での嘆願には答えず、沙織は切り返す。

「避難するにしたって、どこへ行くんです?」

「それは――」

「満里奈も連れていっていいですか?」

 三砂都の答えにかぶせて尋ねた。遺体を連れていくのは無理であると知りつつ、そう尋ねた。

「石塚さん、言うことを聞いて。ご主人が朱の外で無事でいらっしゃる可能性があるんでしょう? なら、ご主人のためにも、あなたは生きなければならないはずです。ご主人に伝えなければならないことがあるはずです」

 そういえば、真樹夫は退勤が遅くなったせいで朱地区に入れなかったらしい、という状況をこの屋敷の大広間で皆に伝えていた。とはいえ、家族の全員が無事でいる三砂都に、わかったようなことを言ってほしくなかった。こんなことになるのなら、京子の誘いに乗って山神信仰反対派に交じっていればよかったのかもしれない――否、沙織がそれを望んでも、満里奈は反対しただろう。満里奈が厭うことはしたくない。だからこそ、自分はここに来たのではないか。

 三砂都も山神信仰の者たちも、自分の味方なのだ。そうと悟ったはずなのだ。

 自分は一人ではない。

 自分には仲間がいる。

 仲間だと思っていたグリーンタウン平田の隣人たちは、最悪な人種だったのだ。しかしここには信頼するに値する仲間たちがいる。ならば――できるはずだ。

「木村さん」

 沙織は三砂都に顔を向けた。

「はい――」

 虚を突かれたように、三砂都は目を丸くした。

「わたしたち、仲間ですよね?」

「もちろんです」

 沙織の問いに三砂都はおずおずと答えた。


 沙織を呼びに行った三砂都が戻ってくるまで、梨花が波瑠のそばについていることになった。誰に頼まれたわけでもなく、梨花は自ら買って出たのだ。波瑠と死んだ満里奈のためにも、できることはなんでもしておきたかった。

 梨花と波瑠以外に部屋に残っているのは、信代と賢人、目覚めはしたものの横になったまま無言でいる綾だ。仁志は五分ほど前に「武器になるものを取ってくる」と言って出ていったきりである。

 綾以外の四人は座布団に座っているが、誰もが口をつぐんでいた。声がかかれば、すぐにこの芹沢本家宅から出るのである。何かを話していても中断は余儀なくされる――とわかっているに違いない。それ以前に、話す気分でもないのだろう。

 しかし梨花は沈黙を嫌い、誰に問うとなく口にする。

「武器になるもの……って、なんだろう?」

「反対派の何人かが落としていった棒とかを持ってくるんじゃないかな」

 答えた賢人は、自分の傍らに置いてある木製の角材を見下ろした。座卓の脚は仁志が持っていった。

「満里奈ちゃん……」

 先ほどまで泣き続けていた波瑠が、あえかな声でつぶやいた。武器、という言葉に反応したようだ。

 梨花は賢人に顔を向け、首を横に振った。この話題を避ける旨の意思表示だ。理解したらしく、賢人は首肯した。

 二人のやり取りを見ていた信代が、それを悟ったのか、そっとため息をついた。そして綾を見る。

「もうすぐ時間ね。綾ちゃんを布団から起こさなくちゃ」

 大広間では車の割り当てを決めている最中だ。五分で決めるという話だったため、そろそろ頃合いだ。

「うん」と答えて、梨花はポシェットをリュックに入れ、そのリュックを肩にかけた。

「みんなも用意して。忘れもののないようにね」

 信代がそう付け加えると、賢人は綾のスポーツバッグを左肩にかけ、角材を右手に持った。波瑠は特に荷物はないらしい。

 それぞれの準備の整う様子を確認した信代が、自分のハンドバッグを雅之のスポーツバッグに入れた。そして綾の肩に手をかける。

「さあ、綾ちゃん」

 信代が声をかけられて、綾はゆっくりと半身を起こした。

「おばさん、そのバッグ、わたしが持ちます」

 波瑠が申し出た。

「ありがとう。波瑠ちゃん、頼むわね」

 信代が差し出したスポーツバッグを、波瑠は受け取った。

「いいかしら?」

 襖の外で声がした。

「はい」と信代が返事した。

 襖が開くと、矢田昌子が立っていた。彼女の後ろには城島尚子と坂上美佳が控えている。

「避難を始めるそうです」

 昌子が言った。

「わかりました。すぐに出られます」

 そう返した信代が、綾に「立てる?」と尋ねた。

 こくりと頷いた綾とともに信代が立ち上がると、ほかの三人も腰を上げた。

「どこへ行く?」

 不意に、綾が口を開いた。とはいえ、彼女の双眼はうつろである。

「山神様……」

 スポーツバッグを片手に提げる波瑠が、憂いの表情でそう漏らした。

 綾以外は耳打ちで行き先を伝えられている。綾の耳に入れてはならない、と誰もが心得ているのだ。ゆえに、山神は綾の脳を探ろうともその行き先を知ることができないのである。

「さあ、行くわよ」

 かまわずに、信代は綾の肩を抱いたまま歩き出した。

 昌子ら三人が先導し、信代と綾がそれに続いた。梨花と賢人、波瑠は、信代と綾の後ろを歩く。

「答えろ」信代に廊下を誘導されながら、綾は口走った。「おまえたちはこの里から出られない。どこにも逃げられない」

 しかし今は、時間を稼がなくてはならないのだ。

 大広間の前に差しかかると、雅之や俊康を始め、二十人前後の男女が十二畳の中に立っていた。

 綾はうつろな目で大広間の面々を眺め、そして口を開く。

「みんな、殺す」

「神がかりか?」

 雅之が問うと、「ええ」と信代が答えた。

「おとなしくしているようだし、このまま連れていこう」

 綾の顔を見ながら雅之は告げた。

「みんな、準備はいいな?」

 俊康が一同に目を配った。

「あっ」と声を上げたのは、近藤だった。

「どうしたんです?」

 紀夫が近藤に顔を向けて尋ねた。

「岸本がいません」

 近藤が答えると、木沢が廊下に出て庭を確認した。

「どこへ行ったんだ」

 庭にも見当たらなかったらしく、木沢はいまいましそうに吐き捨てた。

「お父さん」波瑠が自分の父、木村友和に近寄った。「お母さんは?」

「大丈夫だよ。石塚さんと一緒に、先に玄関の外に出ている」

 木村は優しく諭した。

「あなた」信代が綾を支えたまま、雅之に声をかけた。「波瑠ちゃんがうちのバッグ、持ってくれているの。持ってあげて」

「ああ、そうか。これ、ありがとう」

 雅之は波瑠にほほえみ、彼女からスポーツバッグを受け取った。

「そういえば、仁志くんは?」

 時子だった。

「武器になるものを取ってくる、って言って部屋を出たんだけど」

 信代が答えると、雅之は眉を寄せた。

「困ったやつだ。しかし、仁志にも岸本さんにも、かまっている場合ではないな。とにかく、先発班の人は急いで。仁志と岸本さんは、俊康おじさんたちに任せよう」

 雅之のその言葉に異論を唱える者はいなかった。

 今回ばかりは家族で行動できる――梨花はそれだけでも心が落ち着いた。そんな余裕がわずかでもあるからこそ、梨花は思う。

 飛田と勝義が山神を退散させることができれば、この異様な光も消えるだろう。そうすれば、山神信仰反対派も正気に戻るはずだ。そして、淳子や大賀、満里奈を殺害した犯人に罪を償わせるのである。

「行くぞ」

 雅之は言うと、大広間を出た。梨花を含めた先発班がそれに続く。

 三体の遺体を安置した部屋は襖が閉じられていた。

 誰もがその部屋の前を無言で通り過ぎた。

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