第4話 ①

 ところどころに人だかりができているのを梨花は見て取った。その誰もが、いずれかの方角を仰ぎ見ていた。そんな夜の田園地帯を走るミニバンは、県道を経由して本郷の市道を東へと向かい、芹沢本家宅まで数百メートル、という位置まで来た。

 あかの里を取り囲む不気味な光を見て再出発して以来、車内の誰もが沈黙していたが、ふと、喜久夫が「やっぱりここもか」と漏らした。見れば、本家宅の門の外にいくつかの人影があった。路上に立っていた何人かがミニバンに気づき、道の左右に分かれた。

 道を空けてもらったが、ミニバンはそこを通過せず、門の手前の道端に停止した。

「降りよう」と言って喜久夫はエンジンを切った。

 梨花が誰よりも早く車外に出ると、信代が小走りに寄ってきた。その信代よりも先に、淳子がミニバンの前に立つ。全員がミニバンから降りたところで、淳子は怪訝そうな表情を浮かべた。

 ここからでも先ほどと同じように異様な光を観測できた。光の幕はさらに高く伸び上がっており、月はそれに遮られてしまったらしく、どこに浮かんでいるのかさえわからない。

 そんな状況でも、異様な光のおかげで淳子の表情ははっきりと把握できた。その彼女の顔が喜久夫に向けられる。

「喜久夫おじさん、どうしんです?」

「ああ、ちゃんと説明するよ」

 喜久夫が応じるそばから、淳子は仁志に視線を移した。

「それに仁志、なんで喜久夫おじさんと一緒なの?」

 問いながら、淳子は仁志に近づいた。しかし仁志は、黙してうつむいている。淳子は梨花や綾、賢人にも目を向けたが、それ以上は何も口にしなかった。

 信代が梨花の前にたどり着く頃には、俊康を始めとしたほかの者たちもミニバンの前に集まっていた。全員が不安げな面持ちである。

「あなた、埋葬はもう済んだの?」

 次に喜久夫に問いかけたのは彼の妻の花江だ。しかし喜久夫が答えるより先に、野口が喜久夫に詰め寄る。

「喜久夫くん、野辺送りのほかの人たちは?」

「二人ともちょっと待ってくれ。ちゃんと説明するから」

 矢継ぎ早に質問を受けて焦燥をあらわにする喜久夫を背に、信代が梨花を睨んだ。

「梨花、仁志くんや賢人くんたちと何をしていたの?」信代の剣幕は梨花の予想どおりだった。「何度も電話したんだからね。ずっと留守電だったし」

 言われて梨花は、ポシェットからスマートフォンを取り出して着信履歴を確認した。信代からの電話があったのは間違いなかった。伝言の通知もあった。

 梨花はスマートフォンをポシェットに入れると、淳子の様子を見て「お母さん、ちょっと」と信代をミニバンの後方へといざなうとともに、「一緒に来て」と喜久夫にも声をかけて、彼を同行させた。

「お父さんからの電話の内容、淳子おばさんに話していないの?」

 梨花は小声で信代に尋ねた。

「紀夫さんと時子さんにしか話していないわ。何があったのか、梨花はどこまで知っているの?」

「ちょっと待ってくれ」喜久夫が割って入った。「それだったら、信代さんは何も聞かなかったことにしておいてくれ。今からおれがみんなに説明する」

 その言葉を受けて、信代の表情がいくぶん和らいだ。

「そうしていただけると助かります。電話での話では要領を得なくて」

「こんな話は、実際に目にした者、そして真相を把握している者でないと、人には説明できんよ」そして喜久夫は、梨花に顔を向けた。「これでいいかな?」

「喜久夫おじさん、ありがとう」

 梨花の礼を受けた喜久夫は、小さく頷き、ミニバンの前に集まっている者たちのほうへと歩いていった。

「梨花、わたしを気遣ってくれたのね」

 今し方の剣幕はどこへやら、といった風情だ。

「お母さんがお父さんからの報告を受けていたことを淳子おばさんが知らなかったら、お母さんの立場がないじゃん。ただでさえ、淳子おばさんは日頃から怒りっぽいんだし」

 冗談で言ったつもりではないかった。冗談を言えるような心境ではないのだ。それは信代も承知しているらしく、神妙な表情で「そうだよね」と返したほどである。

「大事な話がある」喜久夫が皆を前にして言った。「ここではなんだし、大広間に戻ってほしい」

 そして喜久夫は続ける。

「金成さんと吉田さんと井坂さんと野口さんは、まだいるかな?」

「四人ともいるよ」と井坂が答えた。

「申し訳ないが、もう少し付き合ってほしいんだ」

 喜久夫が求めると、了承する四人ぶんの声が上がった。

 皆がぞろぞろと門に向かって移動を始めると、梨花と信代はその最後尾についた。梨花たちの前には時子と紀夫が横に並んでおり、その前には綾と賢人がいた。額当てを左手に持つ白衣はくえ姿のままの綾は、少しは落ち着いたのか、賢人の支えなしで歩いている。

「喜久夫おじさんの話の前に、どうしてわたしが出かけたのか、お母さんに伝えておく」

 歩きながら、梨花は小声でそう前置きした。

「ええ、話してちょうだい」

 さも当然とばかりに、信代は言った。

「わたしが電話した相手は賢人くんだったの。実はお清めの前に賢人くんから電話があってね……」

 賢人が今回の山神の儀式に不審を抱いていたことや、梨花が本家宅を抜け出して山神の斎場に至るまでのいきさつ――などをかいつまんで報告した。概要を知った信代は、人波の先頭のほうに見える仁志の背中をじっと睨み、そして横目で梨花を見た。

「仁志くんも仁志くんだけど、梨花も梨花よ。うかつな行動は慎んでね」

 それは山神の儀式に支障を来したことを責めているのか、もしくは「仁志も男だ」ということを憂慮しているのか。おそらく両方だろう――と梨花は思った。

「うん」

 とりあえずは首肯したが、自省すべきところは異なっていた。梨花がうまく機転を利かせたなら、仁志による山神の斎場への乱入を止められたかもしれないのだ。それさえできていれば、和彦が食われるという惨劇はなかったに違いない。

「そういえば、仁志くんの車は?」

 信代が問うた。

「あとでお父さんが乗ってくる」

「そういうことか。……それで、和彦おじさんに何が起きたのか、梨花も知っているんでしょう?」

 それに対する答えを口にするのは今の自分にとって埒外である、と梨花は認識した。

「喜久夫おじさんが話してくれるよ」

 そして梨花は、思わず肩を震わせた。

「そうね」信代は頷いた。「あなたはそれを口にしないほうがいいわ」

 信代は歩きながら梨花の肩を片手で抱いてくれた。

 うつむいた梨花は、涙がこぼれ落ちるのをそのままにした。

 門を過ぎたところで、梨花は異変に気づいた。家の中が闇に覆われている。

「電気はどうした?」

 喜久夫の声がした。

「ちょっと前から停電なんだ」

 答えたのは俊康だった。

 思えば、本郷の細い道に入った辺りから街灯が点いていなかった。沿道も家々も明かりがなかったかもしれない。一帯が異様な光によって照らされているために、停電はそれほど気にならなかったのだろう。

「提灯が五個は残っているから、それを使いましょう」

 淳子の声だ。

「その前に懐中電灯が必要だな」と男の声がしたが、もう誰が誰なのかわからない。皆が玄関先で立ち往生である。

 嗚咽をこらえながら腕時計を見ると、午後七時五十二分だった。


 岸本からの一度目の報告がメッセージとして着信したため、とりあえずは既読にしておいた。二度目はあるはずがない。火葬祭の終了予定の時刻は過ぎている。儀式は無事に済んだのか、もしくは、破滅が静かに始まったのか――。いずれにしても、自分は家族のために行動しなければならないのだ。

 そんな森野も「夜通しのドライブに出かけよう」などとは切り出せず、市街地にあるレンタルビデオ店に誘った。保津を口説くのは容易だったが、昭子は「保津と二人で行ってくればいいじゃない」となかなか了承してくれなかった。渋る昭子を落とした決め手は、彼女の好きな五本の映画を森野の小遣いでレンタルする、という条件だった。

 保津が「おれの車で行こうか」と申し出たが、森野はそれを断った。万が一の場合を想定したのだ。保津にハンドルを握らせれば、森野が夜通しのドライブを提案しても、それを拒まれる可能性がある。森野の車の運転を保津に任せることもしかりだ。十年前後もペーパードライバーである昭子に至っては今さらミニバンなど運転できないだろうが、難を挙げれば、出不精な彼女ゆえに出先ですぐに帰りたがる、ということだ。

 森野の運転するミニバンが発進してすぐ、運転席の後ろに着く保津が「街灯が点いていないね」と言った。SNSの投稿に対する独りごとだろう――そう思った森野だが、明かりが皆無の集落を見回し、停電である、と悟った。

「あら、本当だ」助手席の昭子が口を開いた。「それにご近所のどの家も真っ暗だし」

 ドアミラーを見れば、自宅の門柱灯の明かりが消えている。つい十数秒前までは点灯していたのだ。

「停電か。たった今、なったばかりなんだろう」

 そう言った森野に昭子が顔を向けた。

「出かけるタイミングで、よかったかもね。帰ってくる頃には復旧しているはずよ」

 昭子に返す表情をいかにそれらしく繕うか、森野は悩んだ。とりあえず笑顔を作ってみたが、不自然な表情になっているような気がしてならない。だがそれは杞憂だったらしく、昭子は「うんうん、わたしの考えに間違いない」と笑顔で頷きながら正面に顔を戻した。

 ビデオをレンタルしたあとは近隣の街に足を延ばそう。理由などどうでよい。朱の災いから逃れられるのなら、家族との痴話げんかなどいくらでもしてみせよう。

「だけど停電にしては明るいよね」と保津が言った。

 確かに日中ほどではないにせよ、家々や木立、草むらが照らされている。ヘッドライトを消灯するほどの光量ではない。

「月夜だからじゃないの?」と昭子が首を傾げたとき、森野は異様な光景に気づいた。

「なんだ、あれは……」

 森野の言葉を受けて昭子が進行方向を凝視した。

「山が光っている」

 言ったのは保津だった。ルームミラーを覗くと、身を乗り出している彼も進行方向に視線を定めていた。

 進行方向である南――その山並みの稜線に沿って光があふれているのだ。さらに光は、壁か幕のように夜空にも範囲を広げていた。

 家並みが切れたところで「右も」と保津が言った。

 見れば、光は西の山並みとその上空にも同じ規模で繫がっていた。

 昭子の「こっちもよ」という言葉に誘われて東の山並みに視線を移すと、やはり同じ光景があった。そしてドアミラーを覗けば、後方も言わずもがなである。

 嫌な予感が込み上げてきた。森野は言葉を失う。

「もしかして、あれって停電の原因?」

 保津の予感は的中しているかもしれない――森野はそう感じた。ならばこれは災いの兆しとも考えられる。すなわち、儀式は失敗した可能性がある、ということだ。

 昭子と保津は不安を抱いているに違いないが、森野が抱いているのは紛れもなく絶望だった。

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