第7話 ③
「なんだか心配ですね」
南の県道へと向かうミニバンの中で、ハンドルを握る高田が言った。
「儀式が成功するか失敗するか、ということかい?」
助手席の雅之は問い返した。
「いえ、あの二人の身を案じているんですよ」
「やっぱり、君もか」
そう返して雅之は高田を一顧した。高田も雅之を横目で見ている。
「決して安全ではない、そう思えるんです」
「おれも同じだよ」運転席の後ろで紀夫が言った。「あの二人は死に急いでいるとしか思えない」
雅之は頷く。
「ああ。特に飛田さんは余裕がありすぎるんだ」
「やっぱり雅之くんもそう感じるか?」
重い声で紀夫は確認した。
「感じるよ。儀式の内容も教えてくれないし」
正面に視線を戻した高田が「ですよね」と追従した。
「雅之くんと高田くんは、その飛田さんが山神信仰の中心にいたということを知っていたのかい?」
紀夫が問うた。
「おれは知りませんでした」と高田は即答した。
「以前はおれも知らなかった」
飛田の顔さえ、雅之は知らなかったのだ。ゆうべ、葛城宅で会ったのが初見である。
「でもな」雅之は続けた。「飛田さんや森野さんが山神信仰の中心にいるということは、今回の葬式の段取りを決めている最中に、兄貴から伝えられたよ。まあ、驚いたというよりは、得心がいった感じたったな。それ以前だって、噂くらいは耳にしていたし」
「おれは噂があることさえ知りませんでしたよ。
それは、朱を出て市街地に居を構えた雅之が「裏の事情」を得ている、ということに対する嫉妬なのかもしれない。だが雅之にしてみれば、そんな「裏の事情」など、今の状況下では、どうでもよい要因の一つにすぎないのだ。高田にしろ紀夫にしろ、ものごとへのかかわりの深度に拘泥する嫌いがある。それが雅之には理解できなかった。
とはいえ、紀夫も高田も協力的であるのは事実だ。頼もしい仲間である。この二人に限らず、積極的に行動してくれる仲間がいるからこそ、雅之もこうして事態の収束のために働けるのだ。
「高田くんの家族は、どこに避難しているんだい?」
ふと、紀夫が尋ねた。
「大賀さんの家です。両親とかみさんと息子の四人がお世話になっている……はずです」
語尾が曖昧なのが気になり、雅之は確認する。
「葛城さんの家に集まって以来、家族の様子は見ていないのか?」
「ええ、まあ」
「ほとんどの人はもう会ってきたらしいよ」
紀夫が言った。
「本家の屋敷に戻る前に、大賀さんちに寄っていこう」
雅之は提案するが、高田は正面に目を向けたまま首を横に振った。
「いえ、まずは雅之さんと紀夫さんを芹沢さんの屋敷に送り届けます。なるべく早く、飛田さんたちの状況を俊康さんや喜久夫さんに伝えないと」
「そう……だな」
拒否できなかった。拘泥する嫌いがある――などという印象を持ったことをすまなく思った。
「奥さんが
高田は小学校から高校までの後輩だ。深い付き合いはなかったが、互いの親同士が懇意であるため、雅之は高田の家族構成を知っていた。
「大丈夫ですよ。二人ともおれと違って芯が強いから」
高田がそう応じると「ということは似ているんじゃないかな」と紀夫が言葉を挟んだ。
「だろうな」
冗談のつもりではなかったが、雅之の一言で高田と紀夫は失笑した。
このまま何ごともなく儀式が成功するように――と願った雅之も、つい、笑顔を浮かべてしまう。
「うん?」
高田が声を漏らした。ハンドルを握りながら前屈みになり、フロントガラスの左上のほうを見上げている。フロントガラスそのものではなく、上空を見ているらしい。
ドアガラス越しに、雅之も左の上空を見上げた。
「なんだよ……あれは……」
思わず、声にならない声を出してしまった。
「え?」と紀夫が体勢を変える気配がした。シートベルトを外す音もする。雅之らが見ているものを自分の目にも入れようとしているのだろう。
左のほう――このミニバンからやや離れた南東の上空で、光の幕の一部が垂れ下がっていた。直径が数十メートル、長さは数百メートルもの円筒形――というよりは、巨大なミミズのように見えた。もっとも、その表面には相変わらず光が揺らめいている。先端部、すなわち下端部は、地表から数十メートルの高さに位置していた。
高田がミニバンを停止させた。稲刈りの済んだ田んぼに周囲を占められた一角だ。民家が点在しているが、今のところ、人影は見当たらない。
雅之は目を見開いた。垂れ下がりの先端から何かが現れたのだ。乾いた田んぼに向かって、十メートル前後はありそうなその何かが落下した。何かを吐き出したはずの垂れ下がりの先端に、穴はなかった。塞がってしまったらしい。
落下物が田んぼに激突した。
衝撃音があった。そしてミニバンがわずかに揺れた。
垂れ下がりが上空へと退いていった。その先端部がみるみる小さくなっていく。
「今の、ヘリだったぞ」
紀夫のそんな言葉を聞いて、雅之は自分が目にした物体の形状がそれに違いないことを得心した。ヘリコプターが機首を下にして落下する、という光景だったのだ。
その方向――東の田んぼを見やると、百メートルほど先で黒い煙が上がっていた。
「近くまで車で行けますが」
行動の是非を問うかのように、高田が雅之を見た。
この道をあと数十メートル南下すれば、東西に延びる砂利道があったはずだ。田んぼの中の一本道である。乗用車が一台ぶん程度の道幅だが、このミニバンでもどうにか通れるだろう。その道を東に突き進めば、芹沢本家宅へと至る市道に出られるはずだ。何より、ヘリコプターの乗員が生存していれば救出しなくてはならない。
「あの変なのも空に戻ったしな」
紀夫の言うとおり、垂れ下がっていた部分は元の状態に戻っていた。
「うん」雅之は頷いた。「行こう」
その一声でミニバンは動き出した。
しばらく走ったところで、高田がハンドルを左に切った。狭い砂利道だ。速度は落とされたが車体は小刻みに揺れた。とはいえ走行に支障はない。
左折してから一分と経たず、ミニバンは黒煙の源に最接近して停止した。停止したミニバンから南に五十メートルほどの位置――稲刈りの済んだ田んぼの中で、ヘリコプターが右側面を下にして横倒しになっていた。
煙は薄くなっていたが、決して安全とは言えない。それでも雅之は自分のシートベルトを外した。
「とりあえずおれが行く」
雅之がそう告げると、シートベルトを外したままだった紀夫が、さっそく右のリアドアを開けた。
「高田くんだけ残っていてくれ」紀夫は言った。「万が一のこともあるし、全員で行ったんじゃまずい」
乗員を救出するとなれば、確かに一人では手が足りないだろう。
「二人で行ってくる」
雅之の言葉に高田は「はい」と頷いた。
車外に出た雅之は、助手席のドアを開けたまま右の田んぼへと進んだ。右のリアドアをやはり開けたままの紀夫が、急ぎ足の雅之に並ぶ。
黒煙はさらに薄くなっていたが、焦げ臭さは感じた。そんなにおいをこらえながら、二人は横倒しのヘリコプターの傍らで立ち止まった。
ヘリコプターの機体色は白だった。キャノピーの下と垂直安定板にテレビ局の社名が記されている。機首が潰れているのは機首を下にして墜落したためだろう。また、キャノピーが割れており、テールブームは折れていた。
「見てみよう」
雅之が言うと紀夫は「うん」と答えた。
二人そろって、おそるおそるキャノピーを覗く。だが、五人以上は乗れそうな機内に、人の姿は皆無だった。二人はそれぞれ立ち位置を変えてさらに覗き込むが、やはり中には誰もいない。雅之は屈み込み、機体の下になった側面も覗くが、人の姿は確認できなかった。
「下敷きになっている様子もないな」
体を起こして、雅之は言った。
「誰もいないなんて、どういうことだ」
紀夫は首をひねった。
「わからないが、報道機関のヘリには違いない」雅之は眉を寄せた。「つまり、朱の外ではそれなりにこの事態を憂慮している、ということだ」
「ほったらかしにされているわけではなかったんだ」
「そうだな」雅之は頷き、そして言う。「しかし、このヘリがどうやって光の幕の内側に入ったのか……それが問題だ」
「突き抜けてきた、という感じじゃないよな」
紀夫も眉を寄せた。
「真っ逆さまだったし、とらえられたというか……強引に引き込まれたような感じだな」
壮絶な状況だったのは想像できるが、断言はできなかった。いずれにしても、救助すべき乗員がいないのであれば、早々に立ち去ったほうがよいだろう。
「おーい!」
声が聞こえた。
雅之と紀夫が振り向くと、高田が運転席のドアガラスを開けて空を指さしていた。
「二人とも気をつけて!」
高田のそんな叫びを受けて、雅之と紀夫は仰ぎ見た。
光の幕から伸び出た三本の触手が、のたくりながら舞い降りてくるのだった。
「車へ戻ろう」
紀夫が言った。
「ああ」と答えながらも、雅之は見上げていた。
三本の触手はそれぞれ、先端に例のシンメトリーの手を有していた。それらの手が一つずつ、人らしき何かをつかんでいる。
「雅之くん」
せかされて、雅之はようやく走り出した。
「危ない!」
高田の声が上がり、雅之と紀夫は同時に立ち止まった。
立ち止まったことが安全なのか否か把握できないでいると、突然、目の前の地面に三つの何かが落下した。雅之にはそれぞれが人の姿に見えた。
無意識に雅之は見上げた。紀夫も見上げる。
手のひらを広げた三本の触手が、頭上をかすめてしなった。
雅之も紀夫もそれらを躱そうとわずかに身を低くするだけだった。少なくとも雅之には、適切な対処が思いつかない。
もっとも、脅威は続かなかった。のたくる三本の触手が上空へと引き戻されていく。
雅之はふらつきながらも、倒れている三つの何かを見下ろした。
やはり人だった。一人はパイロットであるらしく、青いつなぎ服を着ていた。あとの二人は私服とスーツだ。私服のほうは男だろう。スーツのほうはスカートスーツであることから女と想像できた。問題なのは、三人とも頭部がないことだ。
「うっ」と声を漏らした紀夫も、三体の死体を見下ろしていた。
「またやりやがった。威嚇だ」
雅之はそう吐き捨て、唇を嚙み締めた。
死体はどれも首の傷口が真っ赤に濡れており、頭部を寸断されたのかねじ切られたのか、判別は不可能だった。近づいて検分すれば見極めもつくだろうが、当然、そんな気にはなれない。
「なんてひどいことを……」
言葉を詰まらせた紀夫に、雅之は顔を向ける。
「これが山神のやり方なんだ」
「早いとこ、決着をつけないと」
沈痛な面持ちで紀夫は告げた。
人の声が遠くに聞こえた。高田ではなさそうだ。
辺りに目を配ると、先ほどまでミニバンが走っていた舗装路のほうに五、六人の人影があった。ヘリコプターの墜落音に気づいて様子を見に来たのだろう。この界隈の住人だろうが、そこにいる、という状況からして山神信仰とは無関係の者と思われた。
「紀夫くん、もう行こう」
言われた紀夫も遠くの野次馬たちを一顧し、「うん」と頷いた。
二人は三体の死体を迂回し、ミニバンへと急いだ。
「近所の人たちが見に来ています」
ミニバンへと駆け寄った二人に、運転席の窓から高田が声をかけた。
「そのようだ」ミニバンの前から助手席側へと回りつつ、雅之は答えた。「あの人たちとかかわれば時間が無駄になるし、面倒になりかねない」
「ですね。急ぎましょう」
高田がそう返したときには、紀夫は運転席の後ろに着いていた。
「あの三人は?」
助手席に着いた雅之に高田が問うた。
「死んでいる。三人とも首がなかった」
答えながら、雅之はドアを閉じた。
紀夫がドアを閉じたところで、高田はミニバンを発進させた。
「山神め」
正面を睨みつつ、高田は吐き捨てた。
古代中国の術者が編み出したこの呪文が最初の呪文となるが、まずはこれを十回も唱えなければならない。それだけでも三十分を要するのだ。
さらに、異なるもう三種類の呪文があった。全部で四種類の呪文だ。それらは一種類につき、詠唱を何度も繰り返す。ゆえにすべての呪文を唱え終えるのに二時間を必要とするのだ。
衝撃音と振動があったのは、最初の呪文の二回目を終える頃だった。それに飛田が反応したかどうかはわからない。勝義は空を仰いだまま呪文を唱えるのみだ。何が起ころうとも心を乱さずに儀式を続けなければならない。最悪の場合はこの朱の崩壊もありうる。
こんな儀式なのだから、綾に任せられるはずがなかった。技術だけではなく精神力と体力も必要とされるのだ。勝義の体調が早期に回復したのは幸いだ。そうでなければ、万事休すだったに違いない。
とはいえ、葛藤は未だにあった。飛田を巻き込んだことである。誰も犠牲にはしない、と告げたが、それはうそだ。飛田の強い要望により、そう告げただけだ。犠牲者なしでは完遂できない儀式なのだ。飛田は自ら犠牲になることを選んだのである。
儀式は続いた。衝撃音と振動はあったものの、今のところ、それ以外に障害となるものはない。
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