第7話 ①

 公民館は本郷の西寄りにあった。周囲を田んぼや畑に囲まれた土地であり、近くに民家はなく、自分たち以外には人の姿もない。駐車場は全部で五十台は停められそうな規模だが、舗装されているのは建物寄りの十数台ぶんほどの一角であり、残りは未舗装だった。

 この建物は雅之が子供の頃からあったが、雅之自身は一度も入ったことがない。駐車場など、敷地にさえ足を踏み入れたことがないのだ。

 飛田のSUVと二台のミニバンは、建物寄りのアスファルトの上に横一列に並んで停められた。

 全員が車を降り、一カ所に集まった。

 時刻は午前八時五十二分だった。

「さっそくだが、これから斎場の準備をする」飛田が言った。「雅之くんと高田くんは、勝義くんのほうを手伝ってくれ。紀夫くんはわたしのほうを頼む」

 前置きはそれだけだった。

 SUVへと向かう飛田と紀夫を一顧した勝義が、雅之と高田に軍手を一組ずつ手渡した。

「それをはめておいてくれ」

 指示した勝義が、先に軍手を装着した。雅之と高田はそれに倣う。

「おれの車から運び出すものがあるんだ」

 そう言って勝義は自分のミニバンの後方に回り、バックドアを開けた。中を覗けば灰白色の何かが、横長の状態で積み重ねてある。丸みを帯びた四角柱の石だ。飛田は「これを立てて使う」と言った。立てた状態と仮定すれば、底面は一辺が十センチ程度の正方形であり、高さは三十センチ強だろう。数えると、十二本だった。それぞれ、長いほうの面にいくつかの文字が刻まれてあるが、何かの記号のようでもあり、少なくとも雅之には読めない。象形文字の類いのようだが、それらの文字は石柱ごとに異なっていた。

「これを使うことになるとは思わなかった」と勝義はつぶやいた。

 石柱はとりあえず、アスファルト寄りの土の上に平らに並べることになった。ミニバンの後方に雅之、並べ置く場所に勝義、二人の間に高田、という配置になった。手渡しリレーで石柱を運ぶわけである。見た目より重かったが、作業は滞りなく進み、二分ほどで済んでしまった。

 その間にも、飛田と紀夫が駐車場の未舗装の中央付近で作業を始めていた。長さが一メートルほどの鉄製の棒を長さが十メートルはあろうかというロープの両端に一本ずつ取りつけたセットが、二人の道具だ。紀夫が地面に一方の棒を突き立て、飛田がロープを張った状態で棒を地面に立てて移動した。すなわち、中心の紀夫に対して飛田が円周を描くという巨大なコンパスである。直径約二十メートルの円ができあがると、次に五メートルほどの長さのロープの端をそれぞれ二人で持って張り、両端を円周上に合わせ、合わせた位置の地面に小石で目印をつけた。同じ方法で次々と直線距離で五メートル間隔に印をつけていく。十二カ所の目印をつけて、その作業は終了した。

「では次だ。目印に合わせて石を立てる。全員でやるが、勝義くんは指示を頼む」

 飛田の号令で次の作業に入った。石柱に刻まれている文字の意味は重要らしいが、どれをどこに立てるかを知っているのは勝義のみだ。

 飛田、雅之、紀夫、高田の四人が、一度に一本の石柱を持ち、勝義の指示によってそれらを各目印の上に立てた。それぞれの石柱は、四つある長いほうの面の一つにのみ文字が刻まれており、その面を円の中心に向けて立てられていく。とりあえず十二本の石柱が立つと、勝義が一本一本を確認し、向きや位置のずれなどを微調整した。

「できあがったな」

 十二本の石柱を見渡しながら、飛田は言った。

 それはまさしく環状列石だった。古代の斎場、といった趣を感じ、雅之は問う。

「結界として機能するんですか?」

「結界ではないよ」勝義が答えた。「結界を張ってしまったら、意味がなくなる。とある儀式が『天帝秘法写本』に記されているんだが、その記述にあった環状列石を再現してみたやつなんだ。これ以上は言えない。悪く思わないでくれ」

「いえ、こちらこそ余計なことを訊いてすみませんでした」

 謝罪を口にしたものの、なんとなく腑に落ちなかった。

 SUVの助手席のドアを開けた飛田が、中からスポーツバッグを取りだした。

「斎場の準備が整ったし、あとは勝義くんとわたしが着替えるだけだな」

 そう言って飛田は助手席のドアを閉じた。

 雅之が振り向けば、勝義も似たようなスポーツバッグを手にして立っている。

「今からわたしと勝義くんは着替えるが」飛田は言った。「その時間を利用して話しておくことがある。芹沢さんの屋敷に残っている人たちには、俊康さんが同じことを話しているはずだ。申し訳ないが、あと少しだけ付き合ってほしい」

「はあ、かまいませんが」

 訝しく感じつつも、雅之は頷いた。かかわった者たちに伝えるべき重要な話があるのだろう。紀夫と高田を見れば、二人とも小さく頷き、承服する意思を示した。

「なら、こっちへ」

 飛田は言うと、公民館の建物に向かって歩き出した。

「行こう」と勝義に促され、雅之と紀夫、高田は飛田に続いた。勝義は四人のあとにつく。

 公民館の玄関先に立った飛田が、ズボンのポケットから一つの鍵を取り出した。

「合鍵だ。職権乱用だな」

 言って苦笑した飛田が、その鍵を使ってドアを解錠した。

 玄関をくぐると、六畳ほどもある三和土の先に板張り床のホールがあった。ホールは三和土の倍ほどの広さだ。五人は靴を脱いでホールへと進む。

「ちょうどいい」

 独りごちた飛田が顔を向けた先にあるのは、ホールの片隅だった。四人がけのソファが三つ、横列に並んでいる。

 飛田が奥のソファにスポーツバッグを置くと、その一つ手前に勝義が自分のスポーツバッグを置いた。

「君たちは空いているところにかけてくれ」

 勝義に勧められ、雅之ら三人は一番手前のソファに並んで腰を下ろした。

 飛田と勝義は、それぞれスポーツバッグからたたまれた白衣はくえを取り出し、ソファに置いた。そして二人揃って、着ている服を脱ぎ始めた。

 同性ではあるものの、雅之はさすがに目を逸らした。紀夫と高田も気にしたらしく、二人とも床に視線を落としている。

「葛城家の者でないわたしが山神信仰を陰で仕切っていることを、君たちは胡散臭く感じているんじゃないか?」

 尋ねられたが、雅之は答えに窮した。紀夫と高田も黙しており、着替える音だけが聞こえた。

「今でもよく覚えているんだ」答えを待っていたのか否か雅之にはわからないが、飛田は十秒ほど経ってから言った。「あれがあったのは、わたしが中学生のときだよ。四十三年前も前のことだ」

 話の導入に引き込まれた雅之は、床を見つめながら聞き耳を立てた。


 金成や吉田、井坂、野口、岡野、大賀、柴田など芹沢本家宅の近所の者たちは、おのおのの自宅にこもっている家族や避難者たちに山神信仰反対派の脅威を伝えるため、各自の車で出ていった。いずれにしても「山神信仰反対派を刺激しない」という消極的な対策しかない状況であるのを、梨花でさえ心許なく感じるのだった。

 より詳しい情報がほしい、という喜久夫の要望があり、出かけた者と未だに起きてこない淳子を除く、石塚沙織と木村三砂都を含めた大人たちは、引き続き大広間に残った。仁志でさえその場に残ったが、梨花や綾、賢人、満里奈、波瑠の五人は、奥の部屋へと移動した。

 梨花と綾が手早く布団を片づけ、賢人が人数分の座布団を用意した。車座になった五人は、それぞれ自己紹介をした。

「そうかあ……若いなあ」

 満里奈と波瑠が中学二年生であるのを知った梨花は、口にしてから後悔した。

 案の定、さっそく賢人が噴き出す。

「それじゃおばさんみたいだよ」

「だって、わたしや賢人くんよりも若いんだよ。本当のことでしょっ」

 たまらず頬を膨らませそうになるが、それはそれで子供扱いされる恐れがあり、どうにかこらえた。

「梨花さんは金盛高校の生徒って言っていましたけど」波瑠が言った。「満里奈ちゃんもわたしたも、金盛高校が第一志望なんです」

「ええ、そうなの!」

 嬉しさのあまり奇声を上げてしまったが、考えてみれば、梨花の在学中に満里奈や波瑠が進学してくるはずがない。指摘される前に自分から言ったほうがよさそうだ。

「でもわたしは今、二年生だから、あなたたちが入学してくるときには卒業しちゃっているね」

「そうですよね。なんだか残念」

 落胆した様子で満里奈はそう言った。そんな満里奈と彼女の隣の波瑠に、梨花は従妹の真弓を重ねていた。この二人とも仲よくなれそうな気がした。

「そういえば、綾ちゃんも金盛高校だったよね?」

 気力があるかどうか確かめていなかったが、話の輪にいてもらいたく、梨花は綾に話を振ってみた。

「そうよ。ずいぶん昔みたいに感じられるけど、あの頃は楽しかったなあ」

 綾はそう答えた。

「ずいぶん昔、って――」と言いかけた賢人を、梨花はすかさず睨んだ。口を結んだ賢人は、肩をこわばらせる。

 その様子を見ていた綾が、梨花に微笑みを向けた。

「大丈夫よ。さっきみたいな誹謗中傷は、絶対にさせないから」

 少しは元気を取り戻したようだ。梨花はわずかな安堵を得た。

「さっきのも今のも、場を和ませようとしただけだよ」

 そんな弁解をする賢人を気の毒に思った梨花は、励ますつもりで「賢人くんがいい人だっていうのは、ちゃんとわかっているから」と告げた。

「梨花さんと賢人さんは付き合っていたんですね」

 好奇に満ちた表情の満里奈が、梨花と賢人の顔を交互に見た。

「いいなあ」と波瑠が羨ましそうに言う。

「ちょっとあなたたち、あのね……」

 梨花は自分の顔が熱いのを感じた。賢人に至ってははっきりと赤面を呈している。綾が失笑した。今が非常事態の渦中であることを忘れさせてくれるような空気だった。

 ふと、綾が天井を見上げた。その視線を追ってほかの四人も見上げる。

「綾ちゃん、どうしたの?」

 天井にこれといった変異を認められず、梨花は問うた。

「山神様」とつぶやいた綾が、両手で自分の頭を押さえた。

 満里奈と波瑠が不安げな面持ちで肩を寄せ合う。

「姉さん!」

 賢人は中腰で走り寄り、綾の顔を覗いた。

「山神様がわたしの中に……」

 頭を押さえながら、綾は苦しそうに声を絞り出した。

「神がかりだ」と言って賢人は梨花を見た。

 梨花はすぐに立ち上がる。

「わたし、俊康おじさんと喜久夫おじさんを呼んでくる」

「待って」綾が左手だけを離し、梨花を見上げた。「わたしが行くわ。この子たちを怖がらせたくないの」

 満里奈と波瑠を一顧した綾は、右手で頭を押さえつつ、おもむろに立ち上がった。ふらつく綾を梨花が支えると、賢人もすぐに立ち上がった。左右を梨花と賢人に支えられて、綾は襖のほうへと歩き出す。

 梨花は振り向き、座ったまま肩を寄せ合う満里奈と波瑠に、「あなたたちはここで待っていて」と告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る