第6話 ⑥

 岡野と大賀、柴田らが芹沢本家宅にほぼ同時に到着した。到着時間は事前に申し合わせておいたらしい。私服姿の彼ら三人が大広間で仲間たちと再会したのもつかの間、新たなる昇天の儀の準備のため、飛田と勝義、雅之、紀夫、高田が出発することになった。

 三十台前後の車が道の両脇に並ぶ芹沢本家宅前に、梨花と信代、時子、俊康、喜久夫、岡野、大賀、柴田が見送りのために出た。臨時の斎場へと向かう車両は飛田のSUVと勝義のミニバン、高田のミニバンだ。雅之と紀夫は高田のミニバンに乗ることになった。

 臨時の斎場の場所を知っているのは、新たなる昇天の儀の審議に参加した八人と、雅之ら準備に手を貸す三人だけだ。これは、神がかりの起こる綾に聞かれないための配慮であり、綾自身も承知している。

 梨花は信代とともに高田のミニバンの助手席側に近寄った。助手席側のドアガラスが下がった。

「信代、あとを頼んだぞ」

 そう告げる雅之を、信代は睨んだ。

「やめてよ。遠くへ行っちゃうような感じよ」

「まあ、非常事態だからな」

 雅之は苦笑した。

「わかったわ。こっちのことは安心して」

「ああ」と頷いた雅之は、梨花に顔を向けた。「もう少しの辛抱だ。いい子で待っているんだぞ」

「わたし、子供じゃないし」

 思わず頬を膨らませてしまった。それを見て雅之は噴き出す。

「そうだな、来年は大学受験だ」

「こんなときにもう……勉強の話は、うちに帰ってからね」

 言って梨花も、噴き出した。

 右のリアドアの外に立つ時子が二列目の座席の紀夫と話しているが、その内容は梨花には聞こえなかった。

 飛田のSUVの脇では、飛田と勝義、俊康、喜久夫の四人が話し込んでいた。その飛田が高田のミニバンに顔を向けた。

「では、今から出発します」

 そう告げて、飛田はSUVの運転席に乗り込んだ。

 続いて勝義が自分のミニバンに乗り込もうとした。

「父さん!」

 門の中から賢人が駆け出してきた。

 運転席側のドアを開けたまま、勝義は賢人を見た。

「どうした賢人」

「見送りだよ」言って賢人は、勝義の前で足を止めた。「おれは気にもかけていないけど、姉さんが父さんを心配しているから」

「そうか。ありがとうな」

 勝義はほほえんだ。

「だから、おれは気にもかけて――」

「綾のことをちゃんと見てやってくれな」

 勝義は賢人の言葉にかぶせた。

「わ、わかった」

 賢人がおずおずと答えると、勝義はミニバンの運転席に乗り込んだ。

 ドアが閉まると、賢人は一歩、前に出た。

「必ず帰ってきてね……って、姉さんが言っていた」

 それは賢人の気持ちでもあるに違いない。梨花はそう悟った。

「ああ」と答えた勝義が、ドアを閉じた。

 そして三台の車は走り出した。

 西のほうへと遠ざかる三台を、九人で見送る。

 梨花は知っていた。芹沢本家宅に到着したばかりの勝義が、大広間の片隅にへたり込む綾に「神がかりなんていうものに飲み込まれてはいけない。自分をしっかりと持つんだ。誰が期待しようとも、神がかりを頼ってはいけない。もし神がかりがまたあれば、俊康さんと喜久夫さんが対応してくれる。何も心配しなくていい」と話しかけていたのを。二人のすぐ横にいた賢人もその言葉を耳にしていたはずだ。いずれにしても、綾の神がかりはあれからまだ起きていない。

「みんな、話があるんだ。大広間に集まってくれないか」

 不意に、俊康が口にした。

「何か重要な話ですか?」

 神妙な趣で岡野が問うた。

「ああ」俊康は頷いた。「本当は飛田くん本人が話すべきことなんだろうが、時間がなかったからな。自分が出発したら、代わりにみんなに伝えてほしい、と彼に頼まれたんだよ。雅之と紀夫くんと高田くんには、向こうで準備をしながら飛田くんが話すらしい」

「葛城さんも知っていることですか?」

 今度の質問は時子だった。

「ああ。喜久夫も知っている。それに、金成さんや吉田さん、井坂さん、野口さん……役所の近藤さんと木沢さんもな」

 俊康が言うと、喜久夫が頭をかきながら皆を見回した。

「まあ、とにかく大広間に行こう」

 喜久夫の一言で、その場にいた全員が門へと向かって歩き出した。

「お母さん、話ってなんだろう?」

 並んで歩く信代に、梨花は訊いてみた。

「さあ」信代は首を傾げた。「見当もつかないわ」

 腑に落ちないまま、梨花は皆とともに門へと入った。

 先頭を歩く俊康が玄関先で立ち止まり、庭の一角でたばこを吸っている数人にも同じことを伝えた。

 岸本や近藤、木沢を含めた全員が大広間に集まった――否、淳子の顔だけが、そこにはなかった。彼女は未だに自室にこもっているらしい。

 大広間の廊下から向かって奥に俊康と喜久夫が並んで座り、あとの者は二人と向かい合うように座った。全員は入りきれず、何人かは廊下に落ち着いた。梨花と信代、時子、賢人、綾も廊下だった。廊下の者たちには座布団が渡された。

「廊下の窓を閉じてくれ」と喜久夫の指示があり、梨花と賢人がそれを施した。

 最年少の二人が元の位置に着くと、俊康は口を開いた。

「話というのは、飛田くんのことなんだ」

 まずはそこまで言って、俊康は皆の様子を窺った。近藤と木沢がうつむいたまま頷いただけで、質問や意見はなく、俊康は話を続ける。

「山神信仰の中心にいるのが、飛田くんと勝義くんだ。以前の朱村時代には、歴代村長の何人かがかかわっていた。いずれにせよ勝義くんが葛城家の家長として山神信仰の中核を担うのは当然だが、ではなぜそこに飛田くんもいるのか、ということだ。実はな……」

 俊康の話は続いた。


 今から四十三年前――。

 当時、中学二年生だった飛田京介は、心臓発作で父のよしふみを亡くした。飛田家も山神信仰に厚い一族だったが、その当時、良文の家族は妻のと息子の京介だけであり、ほかに親族はいなかった。回りの信徒たちの意見もあり、野辺送りには母子で参加することになった。

 京介も真奈美も、あらかじめ、山神が存在することを聞かされた。しかし、山神の斎場にて異形の山神を目の当たりにした京介は、正気を失い、斎主が祝詞を唱えている最中に大声で叫んでしまったのだ。斎主のとっさの判断により、荒れ狂った山神を鎮めるための儀式がなされたが、その儀式にはどうしても生け贄が必要だった。そこで生け贄として名乗り出たのが真奈美だった。真奈美はすぐに差し出され、山神に食われてしまった。

 京介は自分をさげすんだが、それ以上に山神を憎んだ。そして親戚の家に預けられて大学まで出してもらった彼は、自分の母のような被害者を出さないためにも、その後、村役場の職員となり、山神が荒れ狂わないよう、山神信仰を管理し続けてきたのである。


「……ちなみにだが、そのときの斎主は、勝義くんの父のじゅうぞうさんだった。綾ちゃんと賢人くんのじいちゃんだな。話はこれで終わりだ」

 俊康はそう結んだ。

 これを聞いて綾と賢人はどう思っているのか――梨花は気になり横目で二人の様子を窺った。案の定、二人はうつむいており、綾に至っては、今にも失神しそうな表情だ。

 大広間は沈黙に包まれていた。話が壮絶すぎたのかもしれない。特に綾と賢人にとっては、自分の祖父が意図して飛田の母を生け贄に出したのだから、衝撃のほどは梨花には想像もできなかった。飛田の母と同じ目になりかけた岸本も、自分のことのように受け取っている様子が窺えた。俊康の話を聞いて表情を変えなかったのは、喜久夫と近藤、木沢だけである。

「何かおかしい」

 時子がつぶやいた。その声は梨花には聞こえたが、大広間の中にいる者たちには届かなかったようだ。もっとも、信代や綾、賢人には聞こえたらしく、それぞれが声の主に視線を送っている。

「時子おばさん、どうしたの?」

 梨花が小声で訊くと、時子が顔をむけた。

「だって」時子も小声だった。「黙っていればいいことでしょう。わたしたちが知らなくたって問題ないことだもの。それをこんなときにあえて公にするなんて、理由があるに違いないわ」

「そうだわ」当然ながら信代も小声だ。「時期を見計らった……まさか……」

 それが何を意味するのか梨花にはわからなかったが、綾と賢人は互いに目を合わせて息を吞んでいた。

「すみません!」

 声が聞こえた。玄関のほうだ。

 一同に緊張が走った。

「まさか」と言って立ち上がったのは木村友和だった。

「どうした?」

 木村の隣に座っている柴田が問うた。

「あの……うちのかみさんの声に聞こえたもので」

 などと木村が弁明した矢先に「あの、誰かいませんか?」と玄関のほうから再びこえがした。

「間違いない」

 独りごちた木村は大広間を出ると、廊下に座る梨花たちを避けて玄関へと小走りに進んだ。

 大広間も廊下もざわめいた。

「木村さんの奥さん?」

 信代にそう問われた時子は、「うーん」とうなった。そして、木村の妻とは面識がないことを、時子は告げた。

 玄関のほうで話し声が聞こえた。

 二分ほど経過しただろうか。

 やがて木村が四人の女を引き連れて廊下を歩いてきた。主婦らしき二人と、梨花より年少と思われる二人の少女だ。

「俊康さん」廊下に立ったまま、木村が言った。「うちのかみさんが、知り合いの女性を連れてきたんですが」

「君の奥さんは井坂さんちに避難するはずじゃなかったか?」

 俊康が問うと、大広間の片隅に座っている井坂が廊下へと振り向き、不審そう眉を寄せた。

「避難する前に、こちらの方と行き会って、大変なことを聞いたそうなんです」

 そう言う木村は、緊張の面持ちをあらわにしていた。

 主婦らしき一人が「石塚沙織」と名乗った。その横でおずおずとしているもう一人の主婦らしき女が、木村夫人らしい。二人の少女はその後ろで肩を寄せ合っている。

「わたしはグリーンタウン平田に住む者です」石塚沙織は言った。「皆さんが山神信仰の方々であることは、承知しています」

 そのとたんに全員が目を見開いた。岸本も近藤も木沢も驚愕の表情である。

「続けてください」

 喜久夫が促した。

「はい」その女――沙織は言った。「間もなく、山神信仰反対派がここに押しかけてくるんです」

 再度、一同が騒然となるが、梨花もその一端を担っていた。

「山神信仰反対派、ってあるの?」

 梨花は賢人に尋ねた。

「聞いたことないよ」

 即座に賢人は首を横に振った。

 綾は眉を寄せている。

「本当なんです!」沙織は声を荒らげた。「東郷の島崎さんという人が、山神信仰を疎んでいて、それで、グリーンタウン平田の多くの人がそれに感化されて、決起集会を起こしたんです。もしかすると島崎さんという人の旧知の人も加わるかもしれない。そうなったら収拾がつかなくなります」

 全貌は見えないが、うそには思えなかった。信代と時子も表情をこわばらせている。

「あっ」と声を上げたのは柴田だった。「しかめ面の島崎さんだ。木村くんのほうが知っているだろう」

 振られた木村が目を見開いた。

「はい、思い出しました。やんちゃ坊主をほうきを掲げて追いかけ回すおじさんだ」

 それらの言葉だけで、梨花はなんとなく想像できた。面倒な人が面倒な事態に関与してくれたのだ。

 それよりも梨花は、主婦二人の後ろに立つ二人の少女が気になった。一人はワンレンショートであり、もう一人は三つ編みに眼鏡が印象的だ。

「お母さん」梨花は信代にささやいた。「あの子たち、おびえている。かわいそうだよ」

 梨花の言葉を耳にした信代が、二人の少女に目をやった。

「そうね。なんとかしましょう」

 そんな短い言葉が、梨花には頼もしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る