第6話 ④
朝日のまぶしさに襲われ、道端の木の根元で寝ていた真樹夫は目を覚ました。悪臭は依然として鼻腔を犯している。事態は沈静化していないらしい。
午前八時十四分であるのを腕時計で確かめ、おもむろに立ち上がった。四時間ほどは寝ただろうか。
晴天だった。風はなく穏やかな朝だ。しかし、西に目を向ければ、例の発光物質が山を覆っており、揺らめく光の幕が空に立ち上がっている。状況は変わっていない。警察官や消防士らは右往左往するばかりであり、収拾がつかない様子も相変わらずだった。
バスはあのあとすぐに市街地へと折り返した。市街地に行くように促していた警察官は、バスが去ってからは「パトカーで市街地のビジネスホテルまで送る」と言いだす始末だった。とにかく、この光る何かから離れてほしいということらしい。
足元のビジネスバッグを拾った真樹夫は、周囲に目を走らせた。雑木林の中を北方面へと延びる小道がある。乗用車一台ぶん程度の幅の未舗装路だ。発光物質の際から五十メートル以上は離れているだろう。その道をたどれば
疲れは取れていないものの、足取りは悪くなかった。とはいえ、革靴であるため道の凹凸には気を配る必要があった。
まずは宮本に連絡してみよう、と思った。林の中を歩きつつズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。
夜半前に宮本から電話があった。彼は真樹夫の自宅に電話をかけてみたがやはり繫がらなかったという。また、インターネットやテレビでの情報収集にも努めてくれたが、「山火事が起きているらしい」とか「なんらかの薬品が大量に漏れた可能性がある」など、つかみどころのないものばかりだったらしい。テレビなどの取材班が現場にまったく来ていないことからして、「危険性を理由に規制がかけられたことも考えられますね」と宮本は告げた。衝撃的だったのは、「光の幕はドーム状で、朱地区の空を完全に覆っているそうです」という言葉だった。いずれにしても、あれから彼とは連絡を取っていない。
スマートフォンのスリープを解除しようとした真樹夫は、愕然とした。起動しないのである。思えばバッテリーの残量が少なかったかもしれない。そんな状況でインターネットのニュース記事を検索しまくったのだから、バッテリー切れにもなるだろう。モバイルバッテリーは自宅に置きっぱなしだ。以前は持ち歩いていたが、出先で使うことがなかったため、最近では持ち歩かないことが多いのだ。
使えないスマートフォンをビジネスバッグに放り込み、真樹夫は足を速めた。
やがて雑木林は開け、右に田んぼとその先に集落が見え、左に草地とその奥の雑木林、という風景になる。ほぼ一直線の道を歩き続けると、前方に大きな川があった。向かって左から右へと流れている。真樹夫はそのまま歩き、川に架かった狭いコンクリート橋を渡り始めた。
ふと、真樹夫は橋の途中で足を止め、上流側に向かって
さらなる上流へと目を向けた。五十メートルほど先で発光物質が川をまたいでいた。まるで暗渠である。川面と未知の物質との間はほとんどないだろう。そこを潜って朱地区まで行くなど、とても現実的ではない。発光物質の朱方面への幅――立ち上がる光の幕までの距離は、少なく見積もっても百メートル以上はあるのだ。
真樹夫は道を急ぐことにした。コンクリート橋を渡りきり、先へと進む。
歩きながら左を見ると、発光物質の際はこの道との距離を概ね保っていた。雑木林の奥の辺りに発光物質の広がりが見える。前方の遠くには山並みが東西に横たわっていた。朱地区を囲繞する山並みとは離れた山岳だ。
国道を発って十分ほどが経過した。小さな木立を抜けたところで、もう一本の未舗装路がこの道と直角に交差していた。交差する道の左側、辻から十メートルほどの位置に二台の軽トラックがフロントを西に向けて縦列に停まっており、農夫らしき二人の男がその近くに立っていた。
矢も盾もたまらず、真樹夫は走り出した。辻を左に曲がった真樹夫に二人の男が顔を向ける。二人とも不織布マスクをかけていた。
たどり着く手前で真樹夫が「すみません」と声を上げると、二人の男は不審そうな面持ちをあらわにした。一人は痩身で眼鏡をかけており、もう一人は小太りだ。どちらも六十がらみだった。
「朱に行きたいんですが、通れる道はないでしょうか?」
男二人の前に立って真樹夫は尋ねた。
「あんた、どこから来たんだい?」
眼鏡をかけた男が問い返した。
「国道から歩いてきました」真樹夫は答えた。「昨日の夜、バスで朱に帰るところだったんです。でも国道もこんな状況だから、バスは引き返しちゃうし。仕方なく国道の脇で一晩を明かして、ほかに朱に行ける道はないかと思って、歩いてきたんです」
「そうなんか。でも気の毒だが、朱に至る道はどこもだめみたいだなあ」
そう言ったのは、小太りの男だった。
「だめですか……」
一気に全身の力が抜けてしまった。
「朱との連絡も取れないし」小太りの男がため息交じりに言った。「朱の知り合いの農家に電話しても繫がらないんだ」
「ですよね。自分も家族との連絡が取れません」
真樹夫もため息をつきたかったが、余計に落ち込みそうで、どうにかこらえた。
「うちらはあそこの集落の者なんだが」眼鏡の男が、東のほうを顎で指した。「この光が発生してしばらくすると、警察官が家々を回って、危険だから朱には近づくな、と注意を促したんだよ。それで今朝になったらテレビの取材班が何組か押しかけてきてな」
「取材……」
いよいよ本格的に報道がされるのだろう。真樹夫は新たな情報をこの二人から得られないかと期待した。しかし、気になることがあった。
「自分はまだテレビの取材班みたいなのは目にしていないんですが」
「取材というか、中継はしているよ」小太りの男が答えた。「さっきも自分の家のテレビで見た。でも、画面はおれたちの家の近くで撮影したものばかりさ。危険だからあの光には近づけないんだとさ」
そして小太りの男は、取材班のおのおのが新型ウイルス感染を懸念している、ということを告げた。
「あの光が新型ウイルスに関連していると?」
とてもそうとは思えないが、専門家でもない真樹夫には否定さえできなかった。収束したとされたあの騒動が再び猛威を振るうのだろうか。
「だが、このにおいだろう」眼鏡の男が口を開いた。「ウイルスというより、化学薬品っていう感じかなと思うんだ」
「自分もそう思います」と真樹夫は首肯した。
「いずれにしても、近づかないほうがいい、っていうことだよ」
小太りの男が言った。
「だったら、どうしてあなたたちはここに来たんですか?」
素朴な疑問だった。
二人の男は苦笑する。
「田んぼが気になったんだよ」小太りの男が言った。「光の近くに行くと刺激臭がある、っていうのは、昨日の夜のうちに警察官から聞いていたんだ。なら、毒とか、化学薬品とかが思い浮かぶだろう。ここらは米農家が多いから……稲刈りは済んでいるけど、みんな心配しているんだ。で、うちらが代表して様子を見に来たんだよ。あんまり大勢で来ると目立ってしょうがない。警察がうるさいからなあ」
「そうでしたか」
得心はいったが、有益な情報は得られなかった。通れる道はなさそうとのことだが、可能性がない、と決まったわけではない。真樹夫は先へと進むことにし、二人の男に礼を述べた。
「もし街のほうに行くんだったら、送ってあげるよ。もうだいたいの確認は済んだし、これから街に出かけなきゃならないんだ。この軽トラの助手席でいいんだったら……」
眼鏡の男の申し出を聞いて、真樹夫は一考した。スマートフォンが使えない状況ならば、市街地にいたほうが情報を集めやすいだろう。ビジネスホテルに四、五泊するくらいの予算もある。もしくは、独身の宮本のアパートに転がり込む、という手段もあるだろう。
「なら、お願いできますか」
真樹夫の言葉に眼鏡の男は頷いた。
とにかく進展がほしかった。
後ろ髪を引かれる思いだが、これが最善の策である、と信じたかった。
新たな動きがあった。葛城宅に集った者たち二十三人が、芹沢本家宅へと移動してきたのだ。彼らの活動拠点が芹沢本家宅に移るわけである。さらに彼らの家族のほとんどが、金成宅、吉田宅、井坂宅、岡田宅、大賀宅、柴田宅ほか、芹沢本家宅から徒歩で十分足らずの範囲にある山神信仰の家のおよそ十軒に分散して避難した。
活動拠点移設の理由の一つは、山並みの中腹辺りまでを覆っていた発光物質が朱の平地付近まで広がったためだ。葛城宅は北の山並みの麓なのだから危険度が非常に高い、と判断されたのである。
もう一つの理由は、綾に神がかりに対応するためだ。その様子が佐川によって葛城宅の面々に伝えられると、その都度の神託に応じた早急な対策が取れるように体制を整える必要が生じたのだ。
いずれにしても芹沢本家宅を使うには淳子の承諾を得るのが筋である。だが彼女はまだ自室にこもったままだ。「事後承諾しかあるまい」と告げたのは、芹沢家で一番の年嵩である俊康だった。
梨花と信代はようやく雅之と再会できた。雅之は仁志の車に岡野と大賀、柴田を乗せて芹沢本家宅に戻ってきたのだった。
岡野ら三人はとりあえずそれぞれ自分の車で自宅へと戻った。着替えや入浴という目的もあるが、彼らの家族は芹沢本家宅付近の山神信仰の家々に分散して避難しており、その様子の確認もしてから、岡野ら三人は芹沢本家宅に来ることになっている。
飛田や勝義らそのほかの面々もおのおの自分の車で芹沢本家宅に到着した。矢田昌子と城島尚子、坂上美佳の三人も、それぞれの夫と再会を果たした。彼らのほとんどが啓太の通夜祭と葬場祭に参列した者だというが、佐川の顔を覚えていなかったのと同様に、梨花の記憶にはない顔ばかりだった。
雅之を除き、出迎えた側も訪ねてきた側も全員が普段着だった。岸本でさえ、時子がどこからか出してきた服に着替えている。そんな一団は部外者からすれば単なる地域の寄り合いに見えるかもしれない。少なくとも、山神の儀式から続く騒動にかかわる集団、とは見えないだろう。
芹沢本家宅に戻った雅之は、まずは普段着に着替えた。そして大勢でごった返す大広間の片隅で梨花や信代とともに腰を落ち着けた。
「二人とも無事でいて、本当によかった」
湯飲み茶碗のお茶をすすりながら、雅之は言った。
「あなたこそ無事で何よりよ」信代が安堵の声を漏らした。「あの変な光の近くまで行った、って聞いていたから」
しかも、雅之の目の前で朱地区外の住人が殺害されたのだ。梨花は今朝も佐川からその報告を受けたが、雅之が別室で着替えていた先ほども、この大広間において、高田が俊康や紀夫に詳しく説明するのを聞いていた。
湯飲み茶碗を座卓に置いた雅之が、信代に目を向ける。
「無茶はしなかったさ。いずれにしても、飛田さんと葛城さんが夜通し話し込んで策を練ったが、その経過は、おまえたちも承知のとおりだ」
飛田と勝義は別室にて、俊康や喜久夫、普段着で出戻った金成たち高齢者組らとともに議論を重ねている。まだ決定打は出ていない、ということだ。
梨花は飛田と会ったのも初めてだ。顔を合わせたのは、彼が役所関係の仲間とともに芹沢本家宅の玄関をくぐったときだった。葛城宅からの来訪者を大広間に案内する役を担っていた梨花は、次から次へとやってくる者たちを慇懃に出迎えていたが、この飛田には勝義と似たような威厳を感じたのである。とはいえ、好感を抱いたわけではない。昇天の儀を執りおこなうこと持ち出したのも岸本を生け贄に選出したのも、彼なのだから。
「お父さんが無事でよかったけど、和彦おじさんがあんなことに……わたしがもっとしっかりしていれば……」
自分の不甲斐なさを呪うあまり、梨花はつぶやいてしまった。
「梨花、喜久夫おじさんが言っていたでしょう。あなたは悪くないわ」
母ならではの簡潔かつ実直な慰謝だ。とはいえ、それで立ち直れるほど梨花の心情は単純ではなかった。
「お母さんの言うとおりだぞ、梨花。和彦おじさんのことは、もう済んだことだ。山神信仰の真実を知っていてなんの疑いもせずに儀式を続けてきたおれたちにこそ、責任があるんだ」
その言葉は、かえって梨花の心に突き刺さった。自分の父を悪者などにしたくない。
「あなた」小声を出した信代が、周囲をこっそりと見回した。「ほかの人に聞こえたらいけないでしょう」
「みんなも同じように思っている。問題はないさ」
歯牙にもかけない様子で、雅之はそう返した。
もっとも、雅之の言葉を耳にした者は、梨花の斜め後ろで孤立するように座っている仁志だけだったらしい。柱にもたれてあぐらをかいている彼は、畳を見つめたまま何度も小さく頷いている。
そんな彼を一顧した雅之が、梨花に目を向けた。
「だからこそ、やるべきことが決まったらみんなで力を合わせるんだ。そして、責任を取らなければならない者たちがみんなの先に立って動く」
「でも……みんなが助かるための方法が、まだ見つかっていないよ。わたしたち、このまま永遠に朱から出られないのかもしれない」
胸裏に閉じ込めておいた不安を、梨花は口にした。
「朱から出られないだけだったら、まだマシだな」
その言葉に梨花は振り向いた。柱にもたれている仁志だった。
「仁志くん、そんなことを口にしてはいけないわ」
信代がたしなめた。
「さっき、高田さんが言っていたじゃん」仁志は畳から目を逸らさずに言った。「光る化け物はじわじわと包囲網を狭めているんだ、ってね。最終的には襲ってくるんじゃないかな。そのつもりで策を立てないと、意味なんてないよ」
「そのとおりだな」雅之が繫いだ。「楽観的になっていたら、助かるものも助からないだろう」
「でもあなた、梨花をおびえさせてどうするの? 希望を持つくらい、いいじゃない」
信代は雅之を睨んだ。
「相手は神様なんかじゃない。化け物……邪神なんだ。やつがもっと恐ろしいことをする可能性は、否めない。おれたちが助かるためのシナリオは、真実を把握することから始まるんだ。信代もそのつもりでいてくれ」
そう言い募って、雅之はうつむいた。
信代は憤然とした様子を呈し、押し黙る。
梨花は憂慮した。非常事態から脱却するためにも意見を出し合うことは必要だが、感情的になってはいけない。しかも、よりによって夫婦なのだ。二人は梨花の両親なのである。
「ねえお母さん」
梨花が声をかけると、信代は顔を向けた。
「どうしたの?」
疲れた様子だが、興奮はなりを潜めていた。
「わたし、おびえていないから大丈夫だよ。それよりも、お母さんとお父さんが剣吞な雰囲気になるのが、悲しいよ」
おびえていないわけがない。しかし、わかってほしかった。
我に返ったように、信代が目を見開いた。
「そうよね……うん、ごめんね梨花、もう大丈夫。わたしも、お父さんの言うとおりにするね」
その言葉を受けてか、雅之が梨花と信代に顔を向け、そっとほほえんだ。
愁眉を開いた梨花は、綾と賢人が気になり、大広間内に目を走らせた。矢田夫婦や高田など名前を覚えたばかりの者が集まっているその向こうに、捜す二人が座っていた。力なくうつむいている綾と、まるでその彼女の保護者のように寄り添う賢人だ。声をかけたいが、なんとなくきっかけがつかめない。
仁志がもたれる柱の一本向こうの柱には、岸本が仁志と同じような姿勢であぐらをかいていた。その彼の反対側――廊下側には、飛田とともにやってきた二人が、岸本を見張るかのように座っている。近藤と木沢だ。紀夫と時子、良子、花江らは、岸本と役所の二人との間でくつろいでいた。庭で時間を潰している者も何人かいるようだ。
不意に、大広間の外の廊下に飛田が現れた。高齢者組の四人と勝義、俊康、喜久夫らがその後ろに立っている。
「皆さん、そのまま聞いてください」
飛田が言った。
サッシ窓が開かれているおかげで、外にも声が届いたらしく、庭の廊下寄りに何人もが集まってきた。
大広間と庭、双方の視線を集めて飛田は口を開く。
「山神様に天へとお帰りいただくための手段を考案しました」
一同が色めき立った。梨花に至っては生唾を飲み込んでしまったほどだ。
「昇天の儀のやり直しです」
飛田のその言葉で、今度は一同がざわついた。俊康が両手のひらを胸の高さに掲げ、それを制する。
「しかし、昨日の昇天の儀とは違う方法でおこないます」
そして飛田は勝義に顔を向け、頷いた。
頷き返した勝義が、飛田に並ぶ。
「誰も犠牲にはしません。皆さん、その点は安心していただきたい」
そう説く勝義だが、表情は非常に険しかった。
勝義の言葉に反応したらしい岸本が顔を上げたが、すぐにまたうつむいた。
「わたしはそんな儀式を知らない」言ったのは綾だった。「お父さん、神饌を必要としない昇天の儀なんて、『天帝秘法写本』にはないはずよ」
「まあ綾ちゃん、黙って聞いてくれ」
飛田が諭すが、綾は――否、綾と賢人の姉弟は、勝義を睨んでいる。
「時間をかけて話し合い、そして『天帝秘法写本』を紐解き、いくつかの儀式を組み合わせて一つの儀式とする……という方法を考案したのです。さっそくですが、それを本日の日中におこないます」
勝義のそんな言葉に、再び一同がざわついた。今回ばかりは俊康がどんなに制しようとも収まらない。
「皆さん」飛田の声で皆は口をつぐんだ。「昨日の昇天の儀も今回の昇天の儀も、前例のない儀式です。成功するかどうか、はっきり言ってわかりません。しかし、成功させなければならないのです」
そこで雅之が手を挙げた。
「その儀式を執りおこなうための成員は?」
「おれと飛田さん、二人だけだ」
勝義が答えた。
「たった二人だけ?」
懐疑の声を上げたのは矢田裕次だった。
「そうです。しかし、男性に限りますが、斎場の準備のために何人かの方に手を貸していただきたい。斎場とする場所に道具を設置します。斎場の場所は、今は言えません。ただ、車で行ってまたすぐに帰ってくるようなので、高齢者ではなく若い方にお願いします」
勝義がそう言うと、高齢者組の四人が申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「道具はわたしの車と勝義くんの車に積んである」飛田は言った。「儀式の流れの確認と、道具の確認……これが済んだら、出かけます」
「行きます」雅之が手を挙げた。「若さには自信はないけど、体力なら問題ない」
自分の父ならば名乗り出るだろう、と梨花は予測していたが、できることなら、行かないでほしかった。信代も不安げな面持ちである。
「ほかにいらっしゃいますか?」
飛田が尋ねると男性陣の多くが挙手した。賢人や仁志、あろうことか岸本までもが手を挙げている。一方で、近藤と木沢だけは手を挙げていない。飛田の側近のようなこの二人が名乗りを上げないのは、おそらくそのような申し合わせがあるのだろう。むしろこの二人の今の様子からすれば、岸本のお目付役らしい、ということが梨花にも想像できた。だとすれば、岸本はその役には就けないことになっているのかもしれない。いずれにしても多くが挙手している状況だが、飛田は「あと二人だけにします」と告げた。
「今回ばかりは、自分にもやらせてください」
挙手したまま、紀夫が言った。
「わかりました」勝義が答えた。「確か、時子さんのご主人の紀夫さんでしたね」
紀夫は「はい」と頷いた。
あとの一人は、挙手した中から勝義が指名して決まった。高田である。
「わたしにも何か手伝わせてください」
綾の訴えは飛田に向けられていた。勝義には受け入れてもらえない、と考えたのだろう。
「君は十分に働いてくれた。ここで休んでいてくれ」答えて飛田は、賢人を見る。「賢人くん、お姉さんを頼むよ」
それを受けて、賢人は黙って頷いた。
車に積んである道具を確認しながらの打ち合わせのため、飛田と勝義、雅之ら選出された三人、高齢者組の四人、俊康、喜久夫らが、外へと出ていった。
大広間でも庭でも、釈然としない表情ばかりがあった。梨花でさえ納得がいかない。そもそも、儀式の内容も儀式を執りおこなう場所もわからないのである。置き去りにされた感は否めなかった。
「信代さん」時子が膝をすって信代の近くに移動した。「大丈夫かしら」
紀夫の身を案じているのだろう。
「大丈夫よ。紀夫さんもうちの人も、準備をするだけだもの」
そう言う信代も、憂慮をぬぐいきれないでいるらしい。
「おれも、手を挙げたんだけどな……」
うつむきながら、仁志が独りごちた。
梨花は思いきって立ち上がり、綾に近づいた。しかし綾は、仁志と同じようにうつむいたままである。
「梨花ちゃん」賢人が梨花を見上げた。「本当はおれも何か手伝いたいんだ」
梨花は賢人の正面に腰を下ろす。
「たぶん、山神様に帰ってもらったあとで、やることはいっぱい出てくるはずだよ。そのときは、わたしも手伝うから」
梨花が言うと、綾が顔を上げた。
「わたしも、一緒に手伝うね」
その言葉を聞いて、梨花は「うん」と頷いた。
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