第5話 ⑤
午後十時を過ぎてすぐ、調査に携わった八人と岸本を含む葛城宅に残っていた十五人の計二十三人が大広間にて一堂に会し、畳の上で車座となった。二人一組の四組が、順次、調査の結果を報告するのである。勝義と岸本以外は、啓太の通夜祭と葬場祭に参列した面子ばかりだ。
この大広間は、二つの九畳の和室を襖を取り払って繫げた即席の会場だ。天空のすべてがあの光によって覆い尽くされた今では照明は必要なさそうだが、不意に暗くなる、という事態を想定して、LEDランタンが一つだけ部屋の隅で灯された。
四組が口をそろえて真っ先に訴えたのは、地上を覆う発光物質の拡大が止まっているという状況だった。加えて、カーナビまでもが使えない、という事態も添えられた。カーナビの件に関しては誰もが予測していたようだが、少なくとも雅之には、閉鎖された空間がよりいっそう狭められた、という感慨があった。
国道の南側を確認したのは裕次と城島の組だ。二人は裕次の軽トラックで出かけたが、峠を上る途中で例の光る何かに道を遮られたらしい。
「結局、
裕次はそう結んだ。
県道の西側に向かったのは大賀と
「しかし」大賀は言った。「先端に手のようなものがついたのたくる触手を前方の遠くに目撃したんです。しかも運悪く、おれたちが退散しようとしたときに、一台の乗用車が朱方面から上ってきたんです。それに乗車していたのは、ハンドルを握る三十代とおぼしき男だけだったけど、尋ねたところグリーンタウン平田の住人で、おれたちと同じく、状況を確認するために足を運んだようです。でも、その彼も触手を見ちゃったんですよ。もちろんおれたちは、あれが山神様に関係しているとか、そんなことは話していないけど、その彼を帰らせて、おれたちもすぐに引き返しました」
二組目の報告はそれで終わった。
県道の東側を担当したのは柴田と
「停まっているミニバンに至っては、光る何かに半ば埋もれた状態でした。しかも、アスファルトの上に二人の男が倒れていたんです」
原田がそう言うと、柴田が話を繋いだ。
「車を降りたおれたちがその二人に近づこうとしたら、大地を覆う光る何かから巨大な二本の触手が伸び出て、その二人をかっさらってしまったんです。こっちのそれぞれの触手にも、先端に手のひらがついていました」
柴田のこの報告に一同が息を吞んだのも仕方があるまい。
また柴田らは、朱川が流れていることも確認したという。「朱川に潜って光る何かの向こう側に行けないだろうか」という案が出たが、「数百メートルの距離を潜水する必要がある」とか「水深が一メートルに満たない箇所もあるから、そこでは光る何かに接触する恐れがある」という意見が出されると、その件についての論議はそこで終わった。もっとも、朱川がどれだけ深くても、水中では触手の攻撃がないとは考えづらいだろう。県道の西側を担当した大賀が「朱川の上流のほうは確認していないが、どうやらそっちの流れもせき止められてはなさそうだな」と付け加えた。
最後は雅之と木村の組であり、雅之が概要を報告し、木村が補足した。この組の報告に対する皆の反応は、柴田らの報告の際に表したものを凌駕していた。
「結局、朱に閉じ込められたわけだな」
「芹沢さんの報告によると、山神様はまるでこちらを威嚇しているみたいですね」と野村が皆に目を配りながら言うと、原田が「あの巨大な触手が相手じゃ、威嚇にさえ屈するしかない」と返した。野村と原田はともに西郷の住人であり、またどちらも三十代後半と、この中ではかなり若い。
「確かに威嚇だな」雅之は口を開いた。「あれ以上の広がりを見せないのも、おれたちを精神的に追い詰めようとしている証しかもしれない」
「おれもそう思う」大賀が頷いた。「今はまだ、何が起きているかわからない、という人が多いだろうが、夜が明ければ、朱のほとんどの人が、ここから出られないことを知るだろうから」
「山神様を目にした経験のある信者で連絡が取れなかった人たちなんかは、今頃は震えているんじゃないかな。この事態が山神様に関係していることくらい、想像がつくよ」
うつむき加減の岡野が、そう言った。
葛城宅への招集は、最初に居合わせた者たちで手分けしておこなわれた。しかし、スマートフォンや固定電話が不通になったがために連絡が取れない者が何人かいたのだ。障害が発生する前であっても、呼び出しが延々と鳴るだけだの、電波が届かないだのと、連絡が取れない者は数人いた。結果的に集まったのは期待していた人数の半分ほどだが、これ以上は招集に時間も労力も費やせないのが現状だ。
「そうだけど」高田が口を開いた。「うちの家族……というか、ここに集まっているみんなの……それぞれの家族のほとんども、何が起きているのかわからずにいるんだよ」
そのとおりなのだ。ここにいる面子がそれぞれの自宅に残してきた家族は、たとえ山神が実在することを知らなくても、山神信仰には携わっている。裕次や城島、坂上らの妻たちを含む「芹沢本家宅に集っている者たち」には事態の概要が伝わっているだろうが、自宅に残された者は皆、今もおびえているに違いない。まして、一家の
高田だけではない。ここに集うた者たちは誰もが己の家族の心境を慮っているのだ。ならば――と、雅之は提案してみる。
「この中の誰か四、五人に伝達係をやってもらってはどうだろう? 車数台で、ここにいる人たちの自宅を回るんだ」
「それはいい考えだが」勝義が反応した。「現状のすべてを伝えるのか?」
「それに、家族のどこまでに伝えるか、という問題もある。家族全員に伝えるのか、子供に聞かせるのは避けるのか」
岡野が意見した。
「伝える内容は、この事態が今後どう変わるかによるでしょう」雅之は答えた。「この事態がすぐに収束するのなら、山神が実在することは伏せたまま、朱を包囲する発光物質の危険性を伝える。事態が長引くようならば、真実を伝える。でも状況の変化は読めません。現状で無難なのは、前者のほうでしょうね」
「しばらくはそれで様子を見よう、と?」
問うたのは柴田だ。
「そういうことだな」雅之は頷いた。「それから、岡野さんが懸念していた件については、ここにいる人それぞれが自分の家庭状況に応じて決めればいいと思う。小学生の子供であっても伝えなきゃならない場合だってあるかもしれない」
言って雅之は、皆の反応を待った。
おのおのが頷いたり、首を傾げたり、顔を見合わせたりするが、最初に口を開いたのは、やはり勝義だった。
「細かい意見はあるかもしれないが、無難な提案だと思う。反対がなければ雅之くんの案を実践したいが、みんな、どうだろうか?」
そう言って勝義は、一同を見回した。
「おれも賛成なんですけど」柴田が勝義に顔を向けた。「雅之の実家に集まっているみんなは山神様の斎場での出来事を知っています。なら、あっちのみんなにもその後の成り行きを伝えたほうがいいのでは?」
「柴田くんの言うとおりだ。むしろできうる限り、芹沢本家宅には最新の情報をその都度伝えたほうがいいのかもしれない」
「自分も賛成だ」裕次がそう言って、全員に目を配った。「みんなはどうかな?」
「賛成の人は挙手してほしい」
勝義が言った。
何人かが「賛成」と口にして間もなく、岸本を覗き、雅之や勝義も含めた全員が手を挙げた。
「ところで」
全員の手が下がったところで、誰かが言った。見れば、大賀が小さく右手を挙げている。
「なんだい?」と勝義に促され、大賀は右手を下ろした。
「ちょっと気になったんですが、飛田さんと森野さんには連絡してあるんですか?」
大賀の問いは雅之の頭の片隅にもあったのだが、状況が状況だけに常に意識の表面にあったわけではない。
「飛田さんには真っ先に連絡したよ。用意するものがあるから時間がかかるらしいが、もうすぐ来るだろう。もっとも、連絡が取れなかったとしても、あの人は絶対にここに来るよ。森野さんや近藤さん、木沢さんら、役所の職員で山神様の儀式に関係している人たちは、飛田さんから連絡してもらうことになった。できれば一緒に来るとのことだったが、その後の展開はわからない」
勝義はそう説くが、それらの者たちはまだ一人も来ていない。
裕次が挙手した。
「今日の野辺送りの人たちが最初から知っていた事実……昇天の儀についてだけどな、おれを含めたそれ以外の人たちはここに着いてから、大まかな内容を聞かされた。その内容からすると、市民課は山神様が実在していたことを昔から把握していたようだが、葛城くんよ、そういうことなのか? 確か、近藤さんと木沢さんは山神様の信者ではないはずだ。飛田さんと森野さんが信仰を脱退したことは、知っているが」
「役所はとりあえず朱の風習を受け入れている、そんな程度だと、おれは思っていた」
割ってはいったのは高田だった。
雅之ら今日の儀式の参加者も、市役所の一部が事実を把握していることを知ったのは、儀式の打ち合わせのときなのだ。
「そのとおりです」勝義は裕次を見た。「彼らは真実を知ったうえで山神信仰を陰で支えていました」
「支えていた」という言葉に違和感を覚えたのは雅之だけではあるまい。だが、しいては山神の暴走を止めるための責務である。とはいえ、後ろめたさは払拭できなかった。儀式のたびに遺体を山神に食わせていたばかりか、最終的には生きた人間をも神饌にしようとしたのである。
神饌にされるはずだったその存在は、高田の隣で最初からうなだれたままだ。彼――岸本は、意識を失っている間の出来事を聞かされ、また屋外の状況を目の当たりにし、このように腑抜けになっている。もしくは、自分の悪事を多くの者に知られたことが大きいのかもしれない。
「つまり」裕次は眉を寄せた。「山神信仰の中心となっているのは、葛城くんと役所の一部、というわけなんだね?」
「そういうことです」
決まりが悪そうに、勝義は答えた。
「矢田さん」城島が言った。「とりあえず今は、役所がどうのこうのより、この事態をどう乗りきるかが先決だよ」
「そりゃそうだが……」
納得できないのだろうが、裕次はそれ以上の追及をしなかった。
「しかし、あんなんじゃ、おれたちにはどうにもできない」
吐き捨てるように言ったのは坂上だった。
「確かに」柴田が気まずそうに勝義を一顧し、一同に視線を走らせた。「あれは神様というより、化け物だ」
「しかし柴田くん、そんな言いぐさは……」
岡野がわずかに焦りの色を浮かべた。
意を決し、雅之は言う。
「少なくともおれは、あれを敬ったりはしない。おれにとってあれは、山神という化け物であって、神様ではない」
「自分も同じです」
木村が賛意を表した。
誰かが「様……はいらねーよな」と漏らすと「だな」と別の誰かが追従した。
「それでいいと思う」
不意に勝義が言った。皆が意表を突かれたような表情を浮かべる。
「本来、あの神は、災いをもたらす禍津神だ」勝義は続けた。「決して慈悲深い存在などではない。畏怖されて当然の存在だ。しかし、おれはこの信仰を司っている。事態の鎮静化を目指してやるべきことが祭事であるとすれば、やはり化け物呼ばわりはできない。おれはあくまでも、山神様を神として崇め続ける」
それも正論だろう。だが、儀式や呪文であれを鎮められるものなのか――雅之はそれを知りたかった。
「祭事でどうにかできるんですか?」と雅之の思いを代弁するかのごとく問うたのは、高田だった。
「手段はなくもないが、できるかどうかは、飛田さんと二人で審議する」
勝義はそう返した。可能か否かまだわからない、ということだ。
「いっそ、立会人の兄ちゃんをもう一度差し出したらいいんじゃないのか」
本気とも冗談ともつかない言葉を、坂上が口にした。
うなだれたまま、岸本が目を見開いた。こわばった表情で肩を震わせ、畳を見つめている。
「それはだめですよ」雅之は岸本の腑抜け姿を見ながら言った。「罪の上塗りはやめましょう。誰かを救うために誰かを犠牲にするなんて、やはり間違っていたんです」
「だがこいつが食われていれば、和彦くんは死なずに済んだんじゃないかな」
坂上は和彦の不幸が納得できないらしい。特に深い交流はなかったはずだが、同じ朱地区住人というだけでなく、山神信仰の同士だったのだ。地域を災厄から守るためとはいえ、親族である故人を神饌として提供してきた――そんな理不尽をともに分かち合ってきた仲間なのは、雅之も同じだ。だが、罪は罪なのだ。
「雅之くんの言葉は正しいと思う」そう言って勝義は、坂上に顔を向けた。「横領した人間だから犠牲にしてもかまわない、という安易な考えを抱いていたのは事実です。おれが浅はかでした。今後は誰も犠牲にしない方法を取りたい……だから、力を貸していただきたい」
そして勝義は居住まいを正し、両手を突いて深々と頭を下げた。
雅之が拍手をすると、それが勝義と岸本以外の全体に広がった。
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