第6話 ②

 飛田と近藤、木沢ら各自の車が葛城宅に到着したのは夜半を過ぎた頃だった。近藤は以前の立会人であり、母が他界した折の儀式において雅之は顔を合わせている。木沢は火葬担当であるため、やはり母の火葬の際に会っている。どちらも五十歳前後らしいが、朴訥そうな近藤に対し、木沢は下卑た印象があった。しかし、森野の姿はなかった。森野とは連絡がつかないばかりか、森野の自宅に立ち寄った近藤によれば、そこには誰もいなかったという。

 飛田ら三人も手分けして車で状況を確認して回り、葛城宅に来る途中で落ち合ったらしい。その調査の内容は国道や県道はもとより、あか地区の周辺に十本以上もある林道にまで及んだ。雅之ら四組が国道や県道を調査したことを知った飛田は、「それを知っていれば、もっと効率よく動けたんだが」とこぼした。そして飛田は、勝義にいざなわれて書斎に入ったのだった。ほかの者たちが待機する大広間まで「おれはもう犠牲者を出したくないんですよ!」という大声が届いたのは、それから五分ほど経過したときだった。声の主は勝義だったようだ。もっとも、それ以降は書斎だけでなく、大広間でも静寂が続いた。

 勝義と飛田、当番で外の様子を見張っている岡野、木村、野村、といった五人以外の全員が、大広間で過ごしていた。大半の者が仮眠を取っている。しかも、毛布も掛け布団も使わずに畳の上にじかに横になるというごろ寝だ。

 外の見張りは異常事態の観察と部外者の立ち入りを制限する目的があった。次の当番の組は午前七時に立つことになっていた。見張りは三人一組である。志願した雅之が次の組に入っているが、あとの二人はまだ決まっていない。いずれにしても寝坊するわけにはいかず、雅之は腕時計の振動アラームを午前六時五十分にセットしておいた。

 自分のフォーマルの上着をたたんで枕代わりにした雅之も、午前二時ごろには眠りに落ちていた。この異様な光の元では気が散って眠れない、と思われたが、それなりに疲れていたらしい。


 嫌な夢を見ていたような気がするが、左手首の突然の振動がそれを丸ごとかき消してくれた。

 アラームを切った雅之は、腕時計で午前六時五十であるのを確かめた。若干の寒さを覚えつつ、立ち上がって上着に袖を通す。大広間を見回すと、熟睡している者もいれば座った状態で呆然としている者もいた。近藤と木沢は完全に熟睡している。部屋の隅のLEDランタンは、誰かが消灯したらしい。

「原田くん、岸本さん」

 雅之が声をかけたのは、座った状態で目を開けている者のうちの二人だ。

「はい」と返事したのは原田だ。岸本は無言で雅之に顔を向ける。

「おれと一緒に、見張りの当番を任されてくれないか?」

 そう問いかけた雅之に、起きていた者たちの視線が集中した。寝ていたと思われた者の何人かも、半身を起こして雅之を見る。岸本さえ目を丸くしていた。

「岸本さんはまずいんじゃないの?」

 誰かが声を上げた。

「岸本さんの代わりに、おれが出るよ」

 名乗り出たのは柴田だった。

「いや、岸本さんに出てもらいたいんだ」

 そう押しきって、雅之は岸本を見た。

「はい」岸本は不審そうな趣で頷いた。「わかりました」

 岸本が立ち上がると、原田も立ち上がった。

「しかしな、雅之よ……」

 渋る柴田に雅之は言う。

「秀志の考えは理解できるけど、岸本さんにも仲間になってもらわないとな」

「そりゃそうだが」

 何か言いたそうではあるが、柴田は口を閉じた。

「じゃあ、行こう」

 原田と岸本を従えた雅之は、いくつかの訝るような視線を浴びつつ、大広間を出た。そして廊下を歩きながら聞き耳を立てるが、書斎からの声は聞き取れなかった。

 雅之の見た範疇では、各所に置かれたLEDランタンが消灯されていた。これだけの人数が集まれば、目端の利く者が一人ならずいるだろう。

 玄関を出た三人は、生け垣の外へと進んだ。

 日中のはずだが、昨夜と変わらない照度だった。一面の曇り空――のようでもあるが、空を覆っているのは雲ではない。異様な揺らめく光だ。

 さほど広くない舗装路に、何台もの車が縦列に停められていた。その道沿いに散らばっていた岡野、木村、野村らが雅之たちのほうに寄ってきた。

「交代……だよな?」

 尋ねつつ、フォーマルスーツ姿の岡野は、同じフォーマルスーツ姿の岸本に、胡散臭そうな視線を送った。

「はい」雅之は答えた。「岸本さんにも働いてもらいます」

「大丈夫なのか?」

 岡野の怪訝そうな目は岸本に向けられていた。

「おれに逃げるところなんてありませんよ」

 意外にも岸本が返した。

「なるほどね」岡野は肩をすくめた。「おれたちと手を組んでおけば、横領の件は暴露されないで済む。こっちも痛いところを握られているしな」

「そうですね」

 開き直った様子で、岸本も肩をすくめた。

 舌を鳴らして反感をあらわにした岡野が、雅之に「岸本さんを頼むよ」と言って玄関へと向かった。

「じゃあ、お願いします」

 焦燥を呈して言った木村が、野村とともに岡野に続いた。

 先任の三人を見送った雅之は、自分たちの配置を決めるべく、周囲を見渡した。

「おれ、そっちを見ていますから」

 山神の広場へと続く脇道を指さして、原田が言った。

「そっちで、いいのかい?」

 意向を確認した雅之に、原田は顔を向ける。

「岸本さんに話があるんでしょう?」

 どうやら見透かされていたらしい。原田なりの配慮に雅之は感謝した。

「ありがとう。なら、頼むよ」

「オーケーです」

 答えた原田は、脇道へと歩いて行った。

「さて」雅之は先任の三人が玄関に入ったのを確認した。「おれも岸本さんの今後の動向を気にしているんだ」

 車の列を背にして、南の山並みを見ながら雅之は言った。

 山並みの稜線に沿って広がる光は、空を覆う光よりも強かった。自分で確認したのだから、地上に広がるほうが本体らしい、とは考えている。だがその考えが正確なものか否かを説ける者は、葛城宅に集っている中には一人もいない。勝義でさえ、そうなのだ。そんな未だに仕組みのわからない光が、二つのフォーマルスーツ姿を照らしていた。

 ふと、山並みの稜線にへばりつく光に、雅之は違和感を受けた。それが何かを見極める前に、岸本が口を開く。

「おれがあの儀式を……自分が生け贄にされそうになったことを、公にするかもしれない、とでも?」

 尋ねる岸本も南の山並みを見つめていた。とりあえず、雅之は違和感を頭の隅に追いやった。

「君が今回のことを吹聴する、とは思っていないよ。それよりも、この事態を収束させるために、君が手を貸してくれるかどうかが、気になっているんだ」

 雅之が告げると、岸本の横顔に苦笑が浮かんだ。

「手を貸す貸さない以前の問題でしょう。この事態を信じるか信じないか、それを訊いたほうがいいですよ」

「やはり、信じられないかな?」

 雅之が岸本に顔を向けると、岸本も雅之に顔を向けた。

「当然でしょう」岸本はわずかに眉を寄せた。「おれはあなたたちによって眠らされたから、そのあとで起きたことなんて知る由もないんですよ。山神とかいう化け物を見ていなければ、和彦さんがそいつに食われた状況だって見ていない。この空を覆う光や山伝いに見える光も、なんらかの科学的根拠に基づく気象現象かもしれないし。とにかくおれは、確たる証拠をまだ何一つも見ていないんです」

「それはもっともな言い分だ」

 雅之はそう告げてうつむいた。信じられないのか信じたくないのか、それはどちらでも同じことだ。とにかく、信じてもらわなければ、ともに行動するのは難しい。すなわち、また岸本を束縛しなければならなくなる、ということだ。

「まあ、それでも……」

 岸本は言った。

 顔を上げて、雅之は岸本を見た。隣に立つフォーマルスーツの若者は、南の山並みを見ながら、口を開く。

「あの山の光を見る限り、ここから出られないというのは、なんとなくわかりますよ。それに電気が通っていないのも事実みたいだし、誰もスマホやケータイの類いを使っていないのも気になります。おれはまだスマホを返してもらっていないから実証はできませんが、とにかく、電波が届いていないのも事実らしい。普通ではない何かが起きている、ということなんでしょうね。だったら、あなたたちに協力しておいたほうが無難でしょう。もっとも、さっきの岡野さんみたいに、おれを下劣なやつとして見ている人が多いんじゃ、いたたまれませんけどね」

 下劣という箇所については「なるほど」と口に出そうになったが、雅之はこらえた。話をどう繫げるかを考えているうちに、岸本に先を越される。

「それでも、おれと雅之さんたち……今回の野辺送りに参加した人たちと、どっちが悪辣なのか、この屋敷に集まっている皆さんに考えてほしいんですよ」

「悪辣?」

 なんとなく、岸本の訴えたいことがわかった。しかし、あえて彼の言葉を待ってみる。

「おれは横領をしました」岸本は言った。「でも雅之さんたちは、おれを薬で眠らせました。何かに食わせようとしただなんて信じられませんが、少なくとも、おれは危害を加えられたんです」

「ならおれの意見を言おう」

 雅之が告げると、岸本は黙して頷いた。

「もし山神が実在しないとすれば、君を何かに食わせようとしたわけではなくなる。とりあえず眠らせた。それだけなら、悪辣という点では君とおれたちはおあいこだな」

「おあいこ?」

 納得できない様子で、岸本は雅之を睨んだ。

「だが」雅之は続ける。「おれたちにとっては残念なことだが、実際にはおれたちのほうが悪辣だ。なぜなら、山神の存在は事実だし、君を山神に食わせようとしたのも事実だからだ」

 それを聞いた岸本は再度、南のほうに顔を向けた。

「山神が実在するとして、そしてそいつにおれを差し出そうとしたとして、なのに、あなたたちは悪びれていません。それどころか、おれを見下している」

「それが気に入らない?」

「当然です」

 南に顔を向けたまま、岸本は答えた。

「君は貴重な神饌だったんだよ」

「シンセン?」

 岸本は横目で雅之を見た。

「神への供物だ」雅之は岸本から目を逸らさなかった。「山神は敬われていたわけではない。恐怖の対象だったんだ。君はもう聞いていると思うが、これまでの山神の儀式では、亡くなった人の遺体を山神に贄として差し出していた」

「それは……確かにゆうべ、高田さんから聞きました」

 そう返して、岸本は正面を雅之に向けた。

 雅之は言う。

「そうしないと、山神はこの朱に災いをもたらすんだ。儀式に失敗したために生きた人間が食われてしまったことが、過去に何度かあったらしい。山神はそんな恐ろしい存在なんだよ。だが、朱村が金盛市に吸収され、山神信仰も続けられなくなった。山神を暴れさせないために続けられてきた極秘の儀式だったが、市町村合併によって公にされる可能性が生じたんだよ。そして、何千年も続いてきたこれを終了させるために、特別な儀式がおこなわれることになったわけだ」

「それが今回の?」

「そう。生け贄を必要とする特別な儀式、昇天の儀だ」

「昇天の儀……じゃあ、犯罪者であるおれは、生け贄に都合のいいやつだった、そういうわけなんですね?」

 そう問われ、雅之は黙して頷いた。

「じゃあ、この事態を収束するために必要とあれば、またおれを差し出すわけですか?」

 恐怖に駆られている、といったふうではなかった。むしろ挑戦しているように窺える。

「それはないな」

 雅之は断言した。

「でも、夜中に聞こえましたよ。葛城さんが叫んでいた。もう犠牲者を出したくない、ってね。あの犠牲者とは、生け贄のことなんじゃないんですか? 葛城さんが犠牲者を出したくなくても、飛田さんは生け贄を差し出す考えなんですよ」

「そうかもしれない」

 否定できずに、そう返した。

「なら」岸本は言う。「それはやっぱりおれでしょうね。おれを今回の立会人に指名したのは、森野さんじゃなくて、飛田さんだった。あの飛田さんが言うんだから――」

「仮に君をまた生け贄にしようとしても」雅之は岸本の言葉にかぶせた。「おれは絶対にそんなことはさせない。葛城さんも同じ思いでいるはずだ」

「どうしてそうまで言いきれるんです? あなた自身のことに限ったって、そんなことは断言できないはずだ」

「言いきれるんだよ」

 静かに、嚙み締めるように言葉にした。

「なぜ言いきれるんです?」

 岸本は執拗に問いただした。

「救われたからだよ」雅之は堂々と口にした。「自分の娘や、葛城賢人くん、おれの甥の仁志らにな」

「意味がわかりませんが」

 訝しげなまなざしで、岸本は雅之を見た。

「あの儀式で君が山神に食われそうになったとき、梨花や賢人くんや仁志が、山神の斎場に乱入してきたんだ」

「賢人くんというのは、葛城さんの?」

 問われて、雅之は答える。

「そう、葛城さんの息子さんで、綾ちゃんの弟だ」

「その賢人くんや、あなたの娘さんや、仁志さん……和彦さんの息子さんが、儀式を中断させたんですか?」

 高田によれば、岸本が意識を失ってからの顛末は、詳しくは伝えていないらしい。高田自身がその場にいなかったのだから、懸命な選択だろう。それは雅之が話せばよいだけのことだ。

「そうだよ。山神が実在することは、この屋敷に集まっている者……山神の儀式に参加した者しか知らない。その家族のほとんどは、山神信仰の者であっても、山神の存在を知らないんだ。亡くなった人の遺体は山神の斎場で火葬前の儀式を受ける、そう信じられてきたわけだ。だから梨花も賢人くんも仁志も、真実を知らなかった。だが賢人くんは、今回の儀式に不審を抱いたんだ。何かよからぬことをするんじゃないかとな。梨花はそんな賢人くんに力を貸したかった。仁志に至っては、以前から謎だらけのこの信仰に懐疑的だったということで、今回こそはその謎を暴いてやろうとしたらしい」

「それで三人は儀式に乱入した?」

「ああ」と雅之は頷いた。

「もしそれが本当だとしたら、彼らが乱入したせいで和彦さんは死んでしまった、っていうことになるじゃないですか」

「そうだよ」肯定したうえで、雅之は言う。「でも兄貴だって、そのおかげで人殺しにならなくて済んだんだ。あの場にいたおれも、綾ちゃんも、喜久夫おじさんも、ほかのみんなもな。おれたちはあの三人に救われたんだ。そして君も、あの三人によって生き延びることができたんだよ」

 どれだけ力説していたのか自分ではわからないが、岸本は圧倒されたような表情で雅之を見つめていた。

 気づけば疲れていた。

「おれは向こうで見張っている」

 そう告げて、雅之は道を西のほうへと歩いた。

「わかりました」

 岸本の声を背中で聞いた。

 何が「わかった」のか不明だが、問題はないと思った。

「雅之さん」と岸本に声をかけられ、雅之は振り向いた。

 見れば、道の東のほうから一台の車が走ってくる。佐川の軽トールワゴンだ。

「あれは仲間だ」

 言って雅之は、岸本のほうへときびすを返した。

 佐川は芹沢本家宅に報告の任務で出向いていた。信代や梨花がどうしているのか、伝えてくれるに違いない。雅之の足の運びはおのずと早まった。

 しかし、何気なく北の山並みに視線を流した雅之は、その足を止めてしまう。

「雅之さん!」と声を上げつつ、山神の広場へと続く脇道から原田が飛び出した。佐川の軽トールワゴンが、その彼を危うく跳ね飛ばすところだった。急停止した軽トールワゴンに片手を上げて立ち止まった原田が、雅之を見る。

「山の光が!」

「ああ、おれも今、気づいたよ」

 そう返した雅之と血相を変えた原田に挟まれ、岸本が右往左往した。

「何かあったのか?」

 軽トールワゴンの運転席に着く佐川が、ドアの窓から顔を出して尋ねた。

「山の光が、麓のほうに広がっているんですよ」

 原田が答えると、佐川と岸本が北の山並みを見上げた。

「なんてことだ」

 見上げたまま、佐川がこぼした。

 山の光は、ゆっくりと下方に広がっていた。

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