24. 不毛な議論とキャッチボール
日差しを全身に浴びながら、二人は昼下がりの町をツリーハウスへと向かった。引いていた汗がふたたび滲みはじめ、いくら拭ってもきりがなかった。
エルの家を出てからリンデの口数が少なかった。この陽気では無理もない、とエルは楽観的に一人納得していた。
「エルのご家族はとても素敵ですね」
なんの前置きもなく彼女が言った。
「そうかな。普通だと思うけど」
エルはリンデのほうへ視線を向けた。彼女がまた微笑んでいるのだろうという、漠然とした予感があった。だが彼の目に映った彼女は少しも笑っておらず、静かに痛みに堪えているような、そんな思い詰めた横顔をしていた。
「えっと……やっぱり、嫌だった? ずっとソフィアにつきまとわれていたし」
「そんなことはありません。決して、そんな——」
自分が見られていることに気づき、彼女は慌てて表情を繕った。
「ごめんなさい、少し考え事をしていました」
急に現れた彼女の笑顔はどこか弱々しくて、エルはなにか気の利いたことを言ってやりたいと思った。だがこんな時にかぎって、いつも彼の頭はミミズのようにのろまになる。
「少しでも早く、きみの探し物を見つけよう」
そんな言葉しか口にできなかったが、リンデは頷いてくれた。
ふたたび全員がツリーハウスに集まった。最後にやってきたロビィは、五百グラムのステーキと七個のロールパンで膨らんだ腹をさすりながら「ちょっと食べすぎちゃってさぁ」と満足げだった。
次の行動はなかなか決まらなかった。とにかく外へ出ようとエルは提案したが、誰も賛成も非難もせず、曖昧な相槌を打つばかりだった。そんな中、ずっと聞き役に徹していたリンデが少年たちに問いかけた。
「森の中に目ぼしい施設はありませんか?」
「それって……ブーザーズ・フォレストのことじゃないよね?」
フレディとしては念のために確認しただけだったのだろう。そのためリンデが「その森です」と答えると、あちこちから悲鳴にも似た驚きの声があがった。
「森の中には入っちゃいけないんだ!」
「リンデは知らないと思うけど、あそこに入ると頭が爆発したり、目が溶けたりするんだよ」
「そうだ、絶対に入れない。死んだ人たちが大勢いるんだ」
みんなが次々に喚き散らした。リンデは彼らの剣幕に気圧されてしまい、戸惑うばかりだった。
「そんなことない。俺があそこに何度も入っていることは、お前らだって知ってるだろう。頭が爆発するって、そんなことが起こるって本気で思ってるのか? 少し考えれば、それが馬鹿な話だってことくらい分かるだろう」
いつものやり取りになることが分かっていながらエルが切り出すと、予想どおりジャッキーが反論した。
「実際、俺たちは森に近づくだけで頭が痛くなるんだよ。誰だって今までに一度は経験してることだ。みんなもそうだろ?」
ジャッキーの言葉にロビィとフレディが頷いた。そこに加わらなかったアイクは、頷く代わりにエルに言った。
「俺たちが森に近づくと具合が悪くなるのは本当のことだ。エルの言うとおり思い込みなのかもしれないが、こればっかりはどうしようもできないんだ。ナメクジが気持ち悪いのと同じようなもんだ。それで、解決できそうもないこの話をまだ続けるか?」
そう言って、アイクはリンデを見た。話題についていけない彼女は顎に手を当てた格好で床のほうへぼんやりと目を落とし、なにか考え込んでいるらしかった。
「……分かった、この話はもういいよ。ただ、あの森の中には施設って呼べるようなものはない」
そう断言したエルに反応して、リンデは顔を上げた。
「隅々まで歩いてみたけど、大きな石がたくさん転がっているとか、花が密集して咲いている場所があるくらいで、あとはスカーまで延々と森が続いてるだけだ」
「そうですか。分かりました」
神妙にリンデが頷くのを確かめてから、アイクは話を先へ進めた。
「さぁ、もうこの話は終わりだ。それで、俺たちはこれからどこへ行くんだ?」
その後も少年たちの意見はまとまらなかった。とりあえず外に出ることにはなったものの、あてどなく町を歩き回っただけでなんの収穫もなかった。
歩き疲れてツリーハウスに戻った頃には陽も傾き、多少は涼しくなっていた。これを幸いと、ジャッキーが気分転換にキャッチボールをしようと言いだした。エルは反対したが、彼らは一目散にグラウンドへと駆け出していってしまった。リンデもそれに加わり、一緒になってキャッチボールを始めてしまったので、エルはもう何も言えなくなってしまった。
エルは芝生に寝転んで、グラウンドではしゃいでいるリンデたちをぼんやりと眺めていた。どうやら彼女には野球のセンスがなかったようで、投げたボールは全てとんでもない方向に飛んでいった。
それでも彼女は誰よりもたくさん笑い、平凡なボール遊びを心から楽しんでいるようだった。あんなにも顔を輝かさせてキャッチボールをする人間を、エルは見たことがなかった。そんな彼女を眺めているのは楽しかったが、エルはどうしても野球をする気にはなれなかった。
昨夜リンデを見つけた時、そして、彼女が宇宙人だと聞かされたときは、壮大な冒険がすぐにでも始まるような気がしていた。だが現実は、雑草の生えたグラウンドでキャッチボールだ。見慣れた光景にリンデの姿が加わっているとはいえ、それは結局、今までの日常の延長でしかなかった。
もやもやとする気持ちを持て余していると、少年たちの輪から抜けたアイクがやってきてエルの隣に座った。
「そんなに焦らなくてもいいんじゃないか」
エルが黙っていると、アイクはさらに続けた。
「リンデの探しているブレースとかいうものの情報は曖昧だし、すぐに見つかるもんじゃないさ」
「そうかもな」
「それに俺たちはまだ子供だ」
体を起こし、エルは真っ直ぐにアイクを見た。
「なにが言いたいんだ?」
「おいおい、そんな怖い顔するなよ」
アイクは肩をすくめて、少しだけ笑った。
「夏休みはまだ長いってことさ」
「……そうかもな」
あっという間に陽は暮れていき、次第に街灯が瞬きはじめた。だらだらとふざけ合いながら野球道具を片付けると急に彼らの口数は少なくなり、手持ち無沙汰に赤く染まる夕日を眺めたりした。誰もがその場に漂う帰りがたい雰囲気を感じていた。リンデは早々に今夜もツリーハウスで過ごすと宣言していた。それがなんとなく、少年たちの足を重くしていた。
その反動なのか、エルがリンデを自宅に誘った時の盛り上がりは凄まじいものだった。
「おいエル、変なことするつもりだろう!」
「ちゃ、ちゃんと別の部屋で寝なきゃダメだよ」
「エルのお母さんの料理、美味しいんだよなぁ。ねぇ、僕も泊っていい?」
騒ぎ立てる仲間たちをひとしきり睨んでから、彼はリンデに向き直った。
「いいだろう、リンデ? 昼に母さんも泊まりに来いって言ってたんだから、気兼ねする必要なんてない」
「ですが、わたしは――」
彼女は目を伏せた。エルは彼女を二晩もツリーハウスの硬い板の上で寝かせたくはなかった。たとえ迷惑だと言われても、どうにか説得して連れて帰るつもりだった。
だが、エルが強引に手を引く前に、彼女は顔を上げてくれた。
「――ありがとうございます、エル。では、お言葉に甘えさせてください」
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