15. 町へ

 六人はサイクリングロードを町へ向かって歩いた。陽はまだ上りきっていないが気温は高く、熱に混じって草木や土の匂いが漂っている。真夏の一日を予感させる朝だった。

 町へ向かうあいだ、ひっきりなしに誰かがリンデに話しかけていた。ツリーハウスでのやり取りとはうって変わり、打ち解けたような雰囲気に包まれている。リンデは未知の存在に違いないが、彼女に協力すると決めた今では、不安よりも興味のほうが勝っているようだった。


「宇宙に住んでる人は、なにを食べるの? ホットドッグはある?」

「昨日あれだけ食べたくせに、まだホットドッグの話をするかよ」

 ジャッキーが呆れた顔でロビィを小突く。

「ホットドッグという食べ物は聞いたことがありますが、わたしたちの基地にはありません。わたしたちは栄養価の高いペーストを基本的な食事として摂取しています」

「ペーストって、あのドロドロの?」

「はい。美味しくありません」

 先んじてリンデが答えると「そりゃあなぁ」とロビィとジャッキーが息の合った相槌を打つ。隣でフレディも顔を顰めていた。

「基地って宇宙のどこにあるの?」

「少し説明が難しいです。きちんとした地面があるわけではなく……なんというのでしょうか。宇宙に大きな建物が浮かんでいるのを想像してもらえれば、分かりやすいでしょうか。水に木の葉が浮いているような感じです」

「んーよく分かんないなぁ」

 そうしてみんながリンデを質問攻めにしている中、アイクだけは押し黙ったままなにかを考えていた。リンデと行動することにまだ納得できていないようだった。


 徐々にサイクリングロードの左右に並ぶ木々が少なくなり、道の先に赤や緑に塗られた屋根が見え始めた。大通りまで来ると、六人は立ち止まって通りを見渡した。通りを行く人は杖をついた老婆ただ一人で、二匹の猫を引き連れてのんびりと道路を横断していた。平和で退屈なサントークを象徴するような風景だ。

「どこへ行こうか」

 ロビィが全員の心中を代弁した。

「あの……実は行きたいところがあるのですが」

 互いに顔を見合わせていた少年たちに、リンデがそう切り出した。


 館内は薄暗く、湿気とカビの臭いに満ちていた。窓からかすかに風が入ってきていたが、その程度では床板の隙間や本棚の陰に染み付いた陰鬱さを拭い去ることはできなかった。

「図書館なんて学校の課外授業で来ただけだったけど、やっぱりつまんない場所だな」

 ジャッキーは本棚の一つに顔を近付けたが、すぐに離れて顔をしかめた。

「だめだ、頭がくらくらする」

「あっちはそうでもないみたいだ」

 エルは階下の本棚のあいだに立っている二人を見下ろした。リンデは彼女の顔の二倍はあろうかという大きな本を食い入るように見つめている。

 フレディもその隣でリンデと同じように本を開いているが、時折様子を窺うようにちらちらとリンデのほうへ顔を向けていた。フレディにとっては、彼女のそばで本を開いていることに意味があるようだった。

「あの人、どうしてこんなところへ来たかったんだ?」

「まずはこの世界のことを知りたいそうだ。それには本を読むのが一番いい、とかなんとか」

「へぇ。宇宙人は変わってるな」

 ジャッキーはあくびで潤んだ目を擦って、退屈そうに窓の外へ目を向けた。外では灰色の羽をした鳥が青空の下で元気に飛びまわっていた。肌を焼くような日差しでも、ここの薄暗さに比べれば何倍も気持ちが良さそうだ。

 そういえば、とエルは辺りを見回した。

「なぁ、アイクを見たか?」

 ジャッキーは無言で首を振った。意識が飛びかけているのか、半開きの目からは生気が抜け落ちている。


 夢見心地のジャッキーを連れて、エルは階下へと下りた。階段のそばにあるカウンターの奥には司書の老人が座っていて、俯けた目を薄く開いたままじっとしていた。老人はエルたちが図書館に入ってきても顔を上げなかった。来館者がいることにすら気づいていないかもしれない。

 ロビィは一人で長テーブルに突っ伏していた。彼は図書館に入るなり、「絵のない本はニンジンの次に嫌いなんだぁ」と叫び、それからずっとテーブルで眠っていた。エルはロビィのそばを素通りしたが、ジャッキーは寝ているロビィの身体をくすぐって反応を楽しんでいた。二人を放置して、エルは館内を進んだ。

 角を曲がると、通路の中ほどにリンデが立っていた。少し離れたところには相変わらずフレディがいる。ちらちらと彼女を盗み見ていたが、エルと目が合うと慌てて本に目を落とした。エルはフレディに呆れつつ、リンデに声を掛けた。

「そんなに面白い?」

 エルに気づいていないのか、返事はなかった。彼はリンデの後ろに回り、つま先立ちになって彼女の肩越しに本を覗き込んだ。難解な文章が並んでいたが、それが歴史の本であることはエルにも分かった。

「歴史なんて退屈だと思うけど」

 すぐ近くで声が発せられたことに驚いた彼女は、小さく悲鳴を上げて後ずさった。彼女は本棚に肩をぶつけ、数冊の本が床に落ちた。

「驚かすつもりはなかったんだ。さっき、声は掛けたんだけど」

「いえ、わたしのほうこそ過剰に反応してしまってすみません。少し熱心に読みすぎてしまいました」

 二人で床に落ちた本を拾っていると、ふとリンデの手が止まった。表紙に「神話と開拓史」と書かれた本を、彼女はじっと見つめていた。

「エルは歴史に詳しいですか?」

「いや、全然。一番苦手な科目だ」

 そうですか、と呟いたリンデは少し残念そうな顔をした。

「リンデは歴史が好きなんだな」

「好きというわけではありませんが、わたしはこの世界を――あなたたちのことをもっと知らねばなりませんから」


 学生たちの大半は、千年にも及ぶ世界縦断開拓使の英雄的偉業や、その後に続いた東西都市対立による空白の七百年、南部都市管理公社による科学技術発展の系譜などというものは人生に必要のない、無意味な物語だと考えている。過去など知らなくても日々を送っていけるのだから、というのが大半の子どもたちの意見だ。

 エルは自分の知らない、経験したことのない出来事や事件の話を聞くのは好きだった。だが、学校で習う歴史は押し付けがましく、薄っぺらで、どこか言い訳がましく思えた。

 教科書を読んだり授業で話を聞いたりしても、そこにはただ言葉の羅列があるだけで、匂いや温度を感じることはできない。取り繕った上辺だけを渡されても、あくびが出るばかりだった。きっと子どもたちが大人よりも長く眠るのは、学校で歴史なんて教えているせいだろう。

 だが、エルたちがリンデの世界を上手く理解できないのと同様に、彼女もまたこの世界のことを知らないのだ。退屈な物語であっても、リンデの助けになるのなら少しは意味があるのかもしれない。

「もう少しだけ読んでいてもいいですか?」

「もちろん。俺たちも君が言っていた『ブレース』の手掛かりがないか調べてみるよ」

 エルはリンデから離れた。フレディとすれ違う時に軽く肩を小突くと、彼は頬を赤らめていた。

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