セントエルモの灯

シタノモリ

第1章 星の少年 

1. ツリーハウス

 息苦しいほど熱せられた大気が、音もなく窓から流れ込んでくる。


 夏休みってやつは素晴らしい。

 学校で退屈な時間を過ごさなくていいし、気が滅入るクラスメイトたちの顔も見なくてすむ。だが、こう毎日暑くては外に出て野球をする気にもなれない。

 どうしてこれほど天気が良いのか。雨が降ればいいのだ。そう考えて、エル・S・ストームは窓を見上げた。


 そう、雨だ。今すぐ嵐が来て、バケツをひっくり返したようなどしゃ降りが一週間ほど続いてくれないだろうか。

 それに、怪物みたいな突風も必要だ。それは青い芝生を巻き上げて、ドラッグストアの看板やスタジアムのスコアボードを薙ぎ倒すだろう。

 誰も家から出ることはできない。みんなベッドで横になったまま、窓を叩く雨音を聞いて一晩を過ごすのだ。そうだ。それがいい。


「今夜の試合楽しみだよねぇ。僕は去年、ホットドッグを五本食べたんだ。今年はたぶん、もっと食べられると思うな。それに今年はホーネットからバーガーの店が来るみたいだから、絶対にチェックしとかないと。ねぇフレディ、やっぱり今年もアンブレラスパイダーズが勝つかな?」

「ちょっと、ロビィ。その話はまずいよ」

 フレディは赤い髪を揺らして、エルの方をうかがった。

「えっ、どうして——」

 二人に背を向けて寝転んでいるエルの姿を見て、ロビィも自分の失態に気づいたようだ。慌てて話題を転じる。

「アイク、遅いなぁ。今日はどうしたんだろう? えぇと……エル、知ってる?」

「あぁ」

 エルは身体を起こして帽子をかぶり直すと、ゆっくりとロビィのほうへと向き直った。

「アンブレラスパイダーズがまぐれで勝ち上がったってことは、よく知ってる」

「いやぁ……あはは」

 ロビィは口元を固くしてフレディに向けたが、フレディは力なく首を振るだけだった。


「なになに、どうした。何かあった?」

 アイスを咥えたジャッキーが、ハウスの入り口から顔をのぞかせた。

「あぁ、なるほど。またエルが今夜の試合のことで文句言ってるんだろう」

「ジャッキー!」

 ロビィとフレディは同時に叫んだが、ジャッキーはそんなことで止まる少年ではない。

「フレディもちゃんと言いなよ。アンブレラスパイダーズはレインバケッツに快勝して、今夜の決勝戦を決めたんだぜ。俺がもしクレストに住んでたら、絶対に試合を観に行ってたよ。新聞の見出し、すごかったよなぁ。あのジョー・メジャーを完封だよ? ファンとして、もっとそれを誇らなきゃ」

「まぁ、それはそうなんだけど……」

 フレディはバツが悪そうに頭を掻いたが、自分が応援しているチームの栄誉を讃えられてまんざらでもないらしい。


「運が良かっただけだ」

 エルは吐き捨てるようにして言った。

「ジョーは調子が悪かったんだ。いつものジョーなら、キースのへなちょこストレートなんて全打席ホームランだったよ。たまたまジョーの生涯最悪の日が、先週の準決勝だったってだけさ」

 エルの言葉を聞いて、フレディは髪の色と同じくらい顔を真っ赤にした。

「キースは世界最高のピッチャーだ!」

「だったらジョーは、史上最強のスラッガーだ!」

 笑っているジャッキーとは対照的に、ロビィはあたふたとしている。

「二人とも、そんなことで喧嘩しないでよ。今日はせっかくのお祭りなのに」

「そんなことだって? 大事なことだよ、ロビィ!」

 フレディは真っ赤な顔をロビィに向けて、声を裏返した。普段は物静かで内気なフレディは、興奮するとすぐに声が裏返る。ロビィは消費期限の切れたホットドッグのソーセージを見るような顔で俯くと、泣きそうな声でつぶやく。

「アイク、早く来てくれよぉ……」


 ロビィの情けない声を耳にすると、エルは急にフレディと言い争うことが馬鹿らしくなった。大袈裟に息をついて立ち上がると、ハウスの外へ出た。ツリーハウスの梯子を下りていると、「十七時に広場に集合って、アイクが言ってたからなぁ」というジャッキーの声が聞こえてきたが、それには応じず地上へと降りた。


 木陰を離れ、道路に出た。二メートル幅ほどのサイクリングロードが左右に長く伸びていて、向かい側には荒野のようなグラウンドが広がっている。エルたちがいつも野球をしているホームグラウンドだ。

 チームメイトが五人しかいなくてもホームグラウンドと呼べるのかは分からないが、ここを使っているのは自分たちだけなのだから好きに呼んで構わないだろう。

 熱気で道路の向こうがゆらゆらと揺らめいている。空にはやはり雲一つなく、図々しい青空だけが偉そうにエルを見下ろしていた。

 夕方までに雨が降り始めるとは到底思えない。エルは落胆して、森へ向かって歩きはじめた。

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