4. アイザック・ウォーカー

 そろそろ町へ戻る頃合いだろう。

 みんなと祭りへ行くかどうかはまだ決めかねていたが、いつまでもここにいるわけにもいかない。なにより、体が空腹を訴えていた。


 サイクリングロードまで来ると、道の端に座っている茶色いシャツの少年と出くわした。少年は金髪をかきあげ、地面に転がっている小石を拾い上げる。それをじっと見つめてから地面に戻すと、今度は別の小石を取り上げて、また顔に近づける。

「同じように見えても、本当は全然違うんだ。面白いよな」

「……何やってんだ、アイク」

「観察してるんだ」

 アイクは顔を上げて、エルを見つめた。

「何のために?」

「理由なんてない。ただ、なんとなく気になってさ」

「小石が?」

「そう、たまたま。そういうことってあるだろ?」


 アイクの言うとおり、エルも無意味な行為に耽ることが時々ある。だが、回りくどい話に付き合うつもりはなかった。

「俺のことを待ってたんだろう。俺が祭りに行かないと思って」

 アイクは首を振る。

「そうじゃない。ロビィから話を聞いて、エルがまた森に行ったんじゃないかと思って」

「森は危なくなんかない。何度も話しただろう」

「エルにとってはそうかもしれないけど、俺たちには違うんだ。だから、心配くらいしたっていいだろう?」

 そう言ってアイクは立ち上がると、ジーンズに張り付いた草を手で払った。

「戻ろうぜ」

 エルはため息をつくと、アイクと並んでサイクリングロードを戻り始めた。


 夕刻が近付いており、陽は徐々に山並みへと近づいていた。球場の周りでは、すでにテントが沢山張られているだろう。料理の支度が整い、様々な香りが過不足なく混ざり合っているはずだ。

 脂っぽいフライドチキンを食べながらジョー・メジャーを応援できれば、人生においてそれ以上に幸せなことはないだろう。だが今夜は、ジョーはお預けだ。

「今日は新しいバーガーの店が来るらしいな。ロビィがすごく楽しみにしてたよ。まぁ、エルのお母さんのハムエッグバーガーには到底敵わないだろうけどね」

「俺はまだ、行くって決めたわけじゃない」

「でも、腹は減っただろう?」

 エルは目を細めてアイクを睨む。図星を突かれたのが悔しかった。


 真夏の夜を圧倒してしまうほど、球場の熱気は膨れ上がり続けていた。

 このサントークの町で行われる年に一度の大イベントであるプロ野球トーナメントの決勝戦を、住人たちは「祭り」と呼んでいる。どうしてサントークのような西部の小さな田舎町で決勝戦が行われるようになったのかは諸説あるが、一番有力なのは、この町が野球発祥の地であるらしい、というものだ。

 その名残なのか、首都のある東部で野球人気が下火になってしまった今でも、サントークやクレストなどの西部ではまだ熱狂的なファンが多かった。

 球場内の各所に設置された大型のライトが丁寧に整地されたグラウンドを照らし、選手たちの勇姿を華々しく映し出していた。グラウンドをぐるりと囲む観客席は人で溢れ、立ち見の客も大勢いる。試合はフレディの願いどおりにアンブレラスパイダーズがリードしていたが、あと二回を残して予断を許さない状況だった。


「二連覇は目前だね、フレディ!」

 ロビィがホットドッグにかぶりつきながら言った。エルの数えたところでは、ロビィが消費したホットドッグはこれで七本目だった。彼はこの他にも、チーズバーガーとチキンを二つ平らげ、ソーダを三杯飲み干していた。

「なに言ってるのさ! あと二回もあるんだ。まだまだ分からないよ……」

 フレディは興奮に顔を紅潮させて、固唾を飲んで試合の行方を見守っていた。彼が歓喜に手を振り上げるたびに手に持っているポップコーンが宙を舞っていたが、興奮のために気づいていないらしい。

 ロビィはフレディに踏み付けられたポップコーンを悲しげに眺めながら、口元のケチャップをシャツの袖口で拭った。

「でも、今日のキースはすごいよ。打たれっこないさ」

 ジャッキーが愉快げに、どこかフレディをからかうように叫ぶ。彼はいつもそんなふうに話すことしかできない。

「それはそうだけど、とても油断なんてできないよ」

 こちらはこちらで、相変わらずの真面目な調子でフレディが首を振る。

「大丈夫さ。キースがヘマをするとは思えないもん」

「いや、フレディの言うとおりだよ。二年前だって、九回裏で逆転があっただろ」

 アイクがジャッキーを諭すように言った。

「イエローマウンテンにはスラッガーがいないんだ、滅多なことはないよ。もちろん、相手が二年前と同じジョー・メジャーだったら、話は別だけどね」

 そう言って、ジャッキーは後ろに座っているエルを意味ありげに振り返った。だがエルは挑発的なジャッキーを一瞥しただけで、すぐにベンチの選手たちに視線を戻した。いちいち構ってはいられない。

 ジャッキーはつれないエルに向かって大袈裟な身振りで首を振ると、また前へと向き直った。


 もうじき八回の表が始まろうとしていた。アンブレラスパイダーズの攻撃だ。だが、やはりエルはあまり興味が持てなかった。

 おそらくアンブレラスパイダーズが勝つだろうという予感だけはあったが、例えそうであっても嬉しいという気持ちは湧いてきそうにない。だが、フレディの感動に水を差すような真似もしたくなかった。

 エルはソーダを飲み干して立ち上がった。

「飲み物買ってくるけど、欲しい奴いる?」

「ソーダをお願い!」

 勢いよく手を上げたロビィは、必死に四杯目を飲み干そうとしていた。

「無理に飲まなくてもいいだろう」

「そんなことないよ。我慢してゆっくり飲んでただけ!」

 数時間後に具合が悪くなっているロビィの姿が目に浮かんだが、エルは黙ってロビィから金を受け取った。他に希望者がいなかったため、エルは他の観客の邪魔にならないように急いでスタンドを降りて広場へと向かった。


 球場の外に出ると、新鮮な空気に身体が洗われるようだった。夏の生温い夜風であっても、人々の熱狂に比べるとずいぶん爽やかに感じられた。

 深呼吸をして身体の中に溜まった熱気を絞り出していると、後ろからエルを呼ぶ声があった。アイクだ。

「俺も一緒に行くよ」

「言ってくれれば、俺が買ってくるけど」

「つれないこと言うなよ」

 そう言ってアイクはエルの帽子のつばを指先で弾いた。

「俺だってジョーの大ファンなんだ。それに、少しくらい息抜きしないと、最終回でフレディの熱にやられちまうからさ」

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