幕間 ボブの苦悩

 深夜の警察署は閑散としていた。

 一階の事務所には若い警官が一人いるだけだ。本来であれば祭りの後は、呂律の回らない酔っ払いや、いつまでも喧嘩を止めない人たちで賑々しいはずなのだが、今夜は隕石騒ぎのおかげで静かだった。受付で睡魔と戦っている警官はこの静寂を嬉しく思い、また同時に寂しくも感じていた。

 そんな甘い感傷に浸っている彼は、幸福な夜を過ごしていたと言っても差し支えはないはずだ。警察所長のボブ・ランディに比べれば、ずっと。


 所長室で部下たちの報告を聞いていたボブは頭を抱えていた。その姿勢のまま、すでに三十分以上が経過している。

「いまのところ、火災が発生している様子はありません。これだけ時間が経っているのですから、問題ないと判断しても——」

 ボブは手を上げて、発言した住民部長を制した。

「そうかもしれん。だが、そうじゃない場合もある」

 苦々しく吐き捨てるように、彼は言った。

「ですが、森の中へ入ることはできません。これ以上、部下たちを待機させていても無駄ではないでしょうか。今日は年に一度の祭りの夜ですし、せめて応援を頼んだ非番の者たちだけでも撤収させて、家族と過ごさせてやりたいのですが」


「なにが祭りだ! 馬鹿馬鹿しい」

 顔を真っ赤にして椅子から立ち上がったボブは、唾を飛ばしながら喚き散らした。部長は俯き、所長に気付かれないようにかすかに唇を噛んだ。壁の側に立っている若い警察官が口を開きかけたが、並んで立っていた課長に腕を小突かれて沈黙した。

「このままずっと、彼が戻るまで森を見張っていろとおっしゃるのでしょうか。たしか、お帰りになるのは四日後のはずですが」

 ボブはそれには応じず、ふたたび頭を抱える姿勢をとった。隕石に対する処置など、今まで一度も経験したことがない。さらにそれが森の中へ落ちたとなれば、彼にはまったく対処のしようがなかった。


 だがそもそも、彼が絵に描いたような悩ましげなポーズを取っているのは、今回の騒動をいかに収束させるかを考えているためではなかった。彼が思い悩んでいるのは、どのタイミングで「彼」に連絡をとるか、ということだけだった。

 こんなことで出張中の彼の手を煩わせてしまってもいいのだろうか。これは些細な、取るに足らないような出来事なのではないだろうか。部長が言ったとおり、さっさと部下たちに帰宅を命じて、自分も家で冷えたビールでも飲めばいいような気もしている。火災は起きていない。森へ調査に入ることもできない。できることはなにもないのだから。


 本当に、それでいいのか?

 今までに一度も隕石が落ちたなどという話を聞いたことがない。今夜の出来事には、なにか大きな意味があるのではないだろうか。このサントークの町における決定的な何かが、つい数時間前に起こったのだ。それをすぐに彼に伝えないというのは、致命的な悪手ではないだろうか。いや、しかし。

 悩めば悩むほど思考の泥沼へと沈み込み、彼は自身の境遇に悲嘆した。平和だけが取り柄の静かな田舎町、サントーク。この警察署で所長を務めた数々の先人たちの中でも、私はとりわけ不幸な男だろう。

 どうして私が所長を勤めている時にこんなことが起こるのか。せめてあと五年待ってくれれば定年だったというのに。


 一通り自身の立場を嘆いてから、ようやく彼は顔を上げた。最後に部長が発言してからすでに二十分以上の時間が経過していたが、部下たちは警察官らしい辛抱強さでボブを待ち続けていた。

「朝まで森の監視を続けろ」

 ボブは椅子から立ち上がり、廊下のドアへと向かって進みながら続けた。

「明朝、俺が彼に――「町長」の出張先へ連絡をとる。今夜はもう遅いからな。その後のことは町長と協議の上、改めて指示を出す。監視シフトについては住民部長に一任する。以上」


 彼が出て行ってしまうと、部屋に残った部下たちは示し合わせたように息をついた。

「誰のせいでこんな時間になったと思ってんだよ。いつまでもうじうじと悩んで時間を引き延ばしたのは自分のくせに」

「おい、余計なことは言うな」

 課長はいきり立つ若い部下を睨みつけたが、内心では同じようなことを考えていた。だが文句を言っていても、ますますベッドが遠ざかるだけだ。

 彼らは今後のシフトを話し合い、それぞれの役割を果たすべく早々に所長室を後にする。消し忘れられた所長室の明かりがぽっかりと夜に浮かび、空が白むまでのあいだ、月のように煌々と灯り続けていた。


 始まりの夜は、こんな調子で更けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る