21. みんなの名前、過去の世界

 赤茶色の二階建て校舎は、夏空の下でひっそりと佇んでいた。彼らは誰にも呼び止められずに保管室の前までくることができたが、ドアは施錠されていた。

 職員室に鍵があるはずだったが、安易に向かうのは危険に思えた。校舎はいつでも開いているわけではない。エルたちが入れたということは、職員の誰かが校舎内にいるということだ。その誰かから鍵を借りるためには、なにか上手い言い訳が必要だった。ひとまず彼らは作戦を練るために教室へと向かった。


 夏休みに入ってから二週間ほどが経っていたが、馴染みの教室や廊下は少年たちになんの感慨ももたらさなかった。だが、リンデは二十台ほどの机が並んでいる教室の光景に大袈裟なほど目を輝かせて喜び、胸の前で手を組み合わせた。

「すごいです! 本当に学校なのですね、ここは」

「別に普通だろ、こんなの。宇宙にだって学校くらいあるでしょ」

 リンデはジャッキーに首を振る。

「私は学校に通ったことがありません。昔はあったそうですが……それでも、こんなに整った環境ではなかったはずです」

 彼女は黒板の前に立つと、チョークでなにかを書き始めた。

 LINDE CRUZ(リンデ・クルス)。

「これがわたしの名前です」

「――同じだ」

 エルは思わず呟いていた。アイクもすぐに気づいたようだったが、他の三人は「なにが?」と不思議そうにエルを見つめている。

「文字だよ。アルファベットだ」

「えぇ、わたしはエルに借りているこの服や、オレンジジュースのラベルを見て気づきました。発音はかなり異なっていますが、文字は変わっていないようです。

 だから、図書館でもある程度本を読むことができたのです。わたしたちの世界が別たれて長い時間が経ちましたが、今でも同じ文字を使用しているというのは嬉しいことです」

「その機械のおかげで文字も読めているのかと思ってた」

 みんなの視線がリンデの後ろ首に集まった。そこにある六角形の小さな箱に彼女は軽く触れた。

「残念ながらそういった機能までは備わっておりません。翻訳と発声の補助だけです」

「見た目だけじゃなくて言葉まで一緒だと、ますます宇宙人って感じじゃないよなぁ」

 そうこぼしたジャッキーに応じて、リンデは耳の穴に嵌めていた小さな玉のような器具を取り外した。

「@%#ん%%@=@¥=$@+=@#¥?」

「……えっ?」

 唖然としている少年たちに、彼女はもう一度繰り返した。

「@%#ん%%@=@¥=$@+=@#¥?」

「なんて言ってるの?」

 ふたたび器具を耳に付けると、リンデは笑いながら言った。

「みなさんの名前も書いてもらえますか、と言ったんです」

 少年たちはささやかな感嘆の声をあげた。彼女が自分たちとは違うのだということを改めて実感したようだった。


 ROBERT MEYERS(ロバート・マイヤーズ)

 JOHN GRAY(ジョン・グレイ)

 ALFRED REED(アルフレッド・リード)

 ISAAC S-C WALKER(アイザック・S=C・ウォーカー)

 EL S STORM(エル・S・ストーム)


 黒板に並んだ名前をひと通り眺めながら、彼女は何度も小さく頷いていた。

「これでみなさんの名前を正確に覚えられました。ありがとうございます」

「でも、こうやって並べてみると、本当に大差はないんだな」

 アイクの言うとおり、黒板に書かれたリンデの名前は自分たちと比べても全く違和感がなかった。リンデはそれを喜んでいたが、エルにはどこか物足りなく感じられた。

「わたしたちの起源は同じものですからね。宇宙人というよりも、別の国に住んでいる同胞というような位置づけで考えていただければ理解しやすいと思います」

「別の国、かぁ」

 ロビィは座っていた椅子の背凭れに大きく寄りかかり、天井を見上げた。かつて卒業していった生徒たちの名前や格言が、星のようにあちこちに散らばっている。どうやってあんな高いところに文字を彫ったのか、エルはいつも不思議に思う。

「気になってたんだけどさ。スカーの向こうには、やっぱりこの世界とは違う、別の世界があるの? 僕らみたいに学校に通ったり、野球をしたりしてる人たちがいるのかな」

 ロビィがリンデにそう聞くと、すかさずジャッキーが口を挟んだ。

「そんなのあるわけないだろう」

 リンデはほんの少しだけ悩むような素振りを見せたが、今回は言葉を濁すようなことはなかった。

「みなさんの世界はかつて北アメリカ大陸と呼ばれていました。そして海の向こう……スカーの向こうにある大きな湖の、さらにその先には、他にもいくつかの大陸がありました。南アメリカ、アフリカ、巨大なユーラシア。そしてその中に、いくつもの国々がありました。

 人々は繋がりあった無数の世界の中で多種多様な文化を育み、生活を営んでいました。全ての国が裕福だったわけではありませんが、学校に通ったり、野球をしたりする人々は何億人もいたんですよ」

 それはエルたちには想像もつかない話だった。いくつもの国々。無数の世界。そこで生きる何億人もの人々。その話はとても魅力的で、誰もが興奮を覚えずにはいられなかった。それは彼らが今まで聞いた中で最も刺激的で、冒険の予感に満ちた物語だった。

 そんな少年たちの気持ちを鎮めるように、リンデは小さな微笑みと共に短いエピローグを付け加えた。

「もう一万年以上も前の話ですが」

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