17. 秘密の手帳

 はやる気持ちを持て余しながら突き当たりを曲がると、奥に開けたスペースが見えた。

「あれは……机だね。なんでこんなところにあるんだろ?」

 フレディがエルの肩越しに前方を覗き込んだ。部屋の角になっている場所に小さな作業机と、背もたれの付いた椅子が置かれている。机の上は物で溢れかえり、惨憺たるありさまだった。刷毛、ハサミ、大小様々な木の棒や筆。他にも木槌やごつごつとした石などで机が埋め尽くされている。

「おそらく、本の修理をするための道具ですね。ここにあるものを使って、破損した装丁を修復したり、綴じ直したりするんです。長いあいだ放置されているようですが、昔はあのおじいさんが使っていたのかもしれませんね」

 リンデはそう言ったが、エルにはあの枯れ木のような老人がここで細かな作業をしていた姿を上手く想像することができなかった。彼も多くの子供たちと同様に、全ての老人たちにもかつては青春時代があったということを信じることができなかった。


「なにもないね」

 ため息をつくフレディに触発され、エルはむきになって机の上を調べ始めた。

「やめなよ、エル。そんなところを探したって無駄だって」

「ちゃんと調べてみないと分からないだろう」

 机の上をあらかた掻きまわしてしまうと、次は引き出しに取り掛かった。上から順番に開けていくが、どれも道具類が雑然と押し込まれているだけだった。だが、最後に残った一番下の引き出しだけは他と様子が違っていた。

 中はほとんど空だったが、たったひとつ、小型の黒い長方形の物体が中央にぽつりと置かれている。恐る恐る取り出してみると、それは黒い手帳だった。表紙には仰々しい字体で「極秘・持ち出し厳禁」と書かれている。エルは他の二人と視線を交わしてから、おもむろに手帳を開いた。

 最初のページには、「サントーク・タウンの秘密」という文字が並んでいた。その題字は、エルを興奮させるには十分すぎる威力を持っていた。次のページを開こうと紙端に指を掛けたところで、突然、光が降り注いだ。


 三人は同時に天井を見上げた。先ほどまで沈黙を守っていた電球に明かりが灯っていた。続いて足音。誰かがこちらへ近づいてくる。

「ど、どうしようエル。見つかっちゃうよ」

 フレディは泣きそうな顔でおろおろしている。

「隠れるしかないだろう」

「そんな、隠れるってどこに?」

「棚の陰とか、とにかく、足音と反対のほうへ——」

 そんな二人とは対照的に、リンデは落ち着き払っていた。

「謝りましょう」

「……えっ?」

「無断で立ち入ったことをきちんと謝れば、許してもらえるのではないでしょうか。まだこの町の文化や習俗をあまり把握できていませんが、あなたたちを見れば、ここが平和であるということは察せられます。さぁ、行きましょう」

 二人が呆気にとられているうちに、リンデは来た道を戻り始めた。慌てて止めようと駆け寄ったが、遅かった。彼女に追いつくより先に、足音の主が角を曲がって現れた。


「お前ら、電気も点けずになにしてるんだ?」

 本棚の陰から出てきたのは、見知った顔だった。

「なんだ、アイクかぁ。驚かさないでよ……」

 アイクは胸を撫で下ろしているエルたちを不思議そうに眺めていた。

「あれ、どうやって電気を点けたの?」

「何度もスイッチを入れたり消したりしてたら点いたよ。そんなことより、ドアに立入禁止ってプレートが貼ってあったけど、司書の爺さんに黙って入ったのか?」

「うん、アイクにも相談しようと思って探したんだけど、どこにもいなかったから……」

 フレディが申し訳なさそうに口ごもる。

「そうか、悪かったな。ちょっと外に出ていたんだ。アルバートがいてさ」

「アルバートが? あいつが図書館なんかに興味があるとは思えないけど」

「俺も怪しいと思って問い詰めてみたんだ。そうしたら、どうやらツリーハウスの辺りからずっと俺たちをつけてきたらしい」

「つけてたって……どうして?」

「さぁ。あいつの考えることはよく分からないからな。とにかく、気味の悪いことはやめるように釘を刺しておいた。それと——」

 アイクはリンデのほうへ顔を向ける。

「リンデのことは、俺の従姉ってことにした。隣町のクレストから昨日の野球を観戦に来たってことになってるから、もし誰かに素性を聞かれることがあったら話を合わせてくれ」

「ちょっと待てよ、どうしてそんなことになったんだ。なにも聞いてないぞ」

 ずっと黙っていたエルは、慌てて口を挟んだ。アイクは落ち着いた調子で応える。

「アルバートを納得させるために、それらしい話をでっち上げなきゃならなかったんだ。俺の父親の親戚ってことにすればあいつも変に疑ったりしないし、いざって時は大人たちにも説明しやすいだろう。うちの親父のことを知っている人はほとんどいないからな」


 たしかに、アイクの話は理に適っていた。

 アイクの父親はいつからかサントークに居ついたひどく愛想の悪い流れ者で、近所付き合いなどという言葉とは無縁の人間だったらしい。いつのまにか町の女性と結婚したが、それから数年後、アイクの父はまだ幼かった息子を残して事故で亡くなった。

 そのショックで母親は心を病んでしまい、アイクを自分の弟だと思い込んでしまった。自分のことは「亡くなった両親の代わりに弟を育てている歳の離れた姉」だと信じている。エルも何度かアイクの母親に会ったことがあるが、少女のように屈託なく笑う姿が印象的だった。彼は姉の振りをする母親と二人で、町外れにある古い民家でひっそりと暮らしている。

 大人たちはそんな複雑な家庭に育ったアイクを哀れみ、ことあるごとに手を差し伸べてきた。だが彼の強さや寛容さに触れた子供たちは、誰一人としてアイクを哀れんだり、反対に、馬鹿にしたりすることはない。アイクは誰からも尊敬される少年だった。


「わたしはそれで構いません。ありがとうございます」

「よかった。エルも、それでいいか?」

 アイクがエルのほうへ振り返った。

「あぁ。その……突っ掛かるような言い方をして悪かった」

「気にするなよ。いつものことだろう」

 なんでもないように軽口で応じる彼は、エルがよく知っている、誰よりも頼りになるが少しばかりお節介な、いつものアイクだった。

 フレディとアイクが別の話題を始めると、リンデがエルに近づいてきた。

「アルバートという方は、エルたちの友達ですか?」

 即座にエルは首を振った。

「どこにでもいる、ただの嫌な奴だ」

「ははぁ……なるほど」

 なぜだか妙に納得した様子のリンデの隣で、エルはアイクへの疑惑や不満が解けたことに安堵していた。

 だが今度は、そんな些細なことで一喜一憂している自分に腹が立ってきて、つまらない気分をごまかそうと口を開いた。

「どうして俺たちがここにいるって分かったんだ?」

「ジャッキーから聞いたんだ、お前たちがここに入っていくのを見たって。それで、なにか手掛かりは見つかったのか?」

「あぁ、それなら——」

 そのとき、悲鳴が聞こえた。館内のほうからだ。

「ロビィの声だ」

 四人は狭い通路を走り抜け、書庫の出口へと急いだ。

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