36. 宿なしバグ
「バグって——あの『宿なしバグ』のことか?」
「そうそう、そのバグ」
冗談かとも思ったが、ロビィの真剣な表情を見る限りではどうやら本気のようだった。
「エルが来る前から気になってたんだが、その宿なしバグってのは誰だ?」
そう問いかけたアイクに、すぐさまフレディが反応した。
「知らないの? 有名な町の噂だよ」
博学なアイクがバグを知らないことが嬉しかったのか、フレディは勢い込んで説明を始めた。
「僕らの親が子供だった頃からずっといて、ものすごく高齢のおじいさんらしいんだ。バグは神出鬼没で、ごくまれに川で釣りをしている姿を見かけるくらいなんだけど、年に二回見れたら幸運で、三回見ると不幸になる。四回見た人は死んじゃうっていう話だよ」
「へぇ、そんな話があるのか。でも、俺はそんな人を見たことがないな」
アイクのあとを、ジャッキーが続けた。
「俺は何年か前に河原で見かけたことがあるな。でも、なんでバグの話が出てくるんだよ。バグとリンデはなにか関係あるのか?」
「そうじゃなくて、バグはものすごいおじいさんなんだよ。だからきっと、色々なことを知っていると思うんだ。俺たちや町の大人たちが知らないようなこともね」
「そんな適当な理由かよ」
ジャッキーは呆れたように息をつく。エルは黙っていたが、ジャッキーと同じ気持ちだった。
「バグが色々なことを知っているかどうかはともかく、いつでも会えるような人じゃないよ」
ロビィの飛躍した話に真面目に取り合うのは、いつもフレディの役回りだった。
「僕も今までに三回しか見たことがないもん。エルもそんなものでしょ?」
フレディに話を振られて、エルは迷いながらも正直に答えた。
「あぁ、いや、俺は結構見かけるかもな。誰かに確認したわけじゃないから、あれがバグなのかは分からないけど。でももしあれがそうなら……月に二、三回は見るかな」
その発言に、他の少年たちが沸き立った。
「嘘だぁ」
「またお前は、そうやってすぐに話を盛るんだもんなぁ」
「もし本当なら、エルはとっくに死んでることになるよ!」
少年たちの騒ぎが収まるのを待ってから、エルは続けた。
「だから、あれがバグなのかは分からないって言ってるだろうが。お前らがそこまで言うなら違うんじゃないか。一昨日の夜も川で見たしな」
「それって、祭りの夜だよな?」
しばらく黙っていたアイクが、唐突に口を開いた。
「あぁ。アイクと別れて森へ向かっている時に見かけた。まぁでも、たぶん気のせいだろう。フレディの話じゃ、俺はとっくに死んでることになるもんな」
その後も少年たちは議論を続けたが、アイクだけはそれに加わらずに何事かを考えているようだった。話は一向にまとまらず、このままでは昨日の午後のようにキャッチボールが始まりかねない雰囲気が漂い始めた頃、おもむろにアイクが口を開いた。
「よし、じゃあそのバグってのを探してみよう」
「冗談だろ、アイク」
ジャッキーが驚きの声を上げた。
「絶対無駄だって!」
「どうせ他にやることもないんだ。それに、なんだか面白そうじゃないか」
そう言って、アイクはエルに目配せをした。お前は断れないぞ、という意思表示であることはすぐに分かった。アイクの台詞は、昨日エルが仲間たちを口説き落とすために使ったものと同じだった。
「さすがアイク! 分かってくれると思ってたよ。じゃあ、すぐに出発しよう」
「そうだな。とりあえず、エルが思いつく場所を順番に廻ってみよう。エルは頻繁に見かけるみたいだしさ」
冗談のようにも聞こえたが、アイクがこういう場面でふざけたりしないことはみんなが知っている。仕方なく、エルは立ち上がった。
「まぁ、ここでじっとしていても暑いだけだからな。行ってみるか」
少年たちはツリーハウスを下りると、締まりのない足取りで町へと向かっていった。
思いついた川辺を何か所か回ってみたが、どこにもバグの姿はなかった。
そもそもエルが例の老人を見かけるのはたいてい夕方か夜であり、昼間に目にした記憶はなかった。だが彼は、それをみんなには話さなかった。たとえ無益であっても、体を動かしているほうが少しは気が紛れたのだ。
スカーを越えたことや、その向こうで敵に襲われたこと。そして、思いがけず彼女にキスをしてしまったこと。
昨夜起こった様々なことを彼はまだ上手く処理しきれずにいて、じっとしていると頭が破裂してしまいそうだった。だからこうして、存在するかどうかも分からない怪人を探して歩いているほうが、彼の心は休まった。
だが、二本目の小川を町の外れまで下ったあと、ジャッキーがふたたび不満を漏らしはじめた。
「なぁ、やっぱり見つからないって。会いたい時にいつでも会えるような奴だったら、そもそも噂話になんかならないんだからさ」
「まぁそうだよねぇ。他には思いつく場所はある?」
フレディに聞かれて、エルは記憶を辿った。
「川だけじゃなくて、池でも見かけたことがあるな」
「池かぁ。そうなると、結構たくさんあるよね」
「じゃあ、二組になって探そうか」
珍しく、ロビィがまともな提案をした。
「みんなで一緒に動いていると時間が掛かるしさ」
そう言って、ロビィはポケットからコインを取り出した。
「ほら、みんなも出して出して。……いいかい? じゃあ、せぇの」
全員がコインを上に投げた。手の甲でコインを受け止めると、反対の手でそれを覆う。それぞれがコインを隠した手を突き出し合うと、同時にそれを開いた。エル、フレディ、ジャッキーが表で、アイクとロビィは裏だった。
「じゃあ、二時間後にツリーハウスに集まろう。俺とロビィはスタジアムより北側、エルたちは南側でいいか?」
アイクの提案を承諾し、彼らは二手に別れた。
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