37. 怪人の助言
見知っている池や小川を廻ってみたが、やはりバグを見つけるのは簡単ではなかった。一時間ほど経ったころには体も心もぐったりとしてしまい、ジャッキーの愚痴に付き合うのも限界だった。次で最後にしよう、と三人は町の外れの雑木林にある小さな池へと向かった。
林には打ちひしがれたような倒木が何十本もあって、繁茂する低木と共にエルたちの行く手を阻んでいた。這うような速度で苦労しながら進んでいくと、ようやく目的の池が見えてくる。
池のある場所は窪地になっていて、絵の具をたっぷりと溶かしたような深い緑色の水が溜まっていた。まだ距離はあったが、遠目に見ても不気味で近寄りがたい場所だ。
「ここまでくればもういいって。あんな池で釣りなんてできないし、これ以上近くまで行く必要はないよ。さっさと戻ろうぜ」
そう言って林を戻りはじめたジャッキーに同意してエルも踵を返したが、フレディに肩を掴まれてしまった。
「なんだよ、フレディ」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとあれ!」
興奮しているフレディの視線の先を追うと、池のそばに大きな布の塊があった。いや、そうではない。よく見てみるとそれは、古びた布を何枚も継ぎ接ぎした汚いシャツを着ている老人の後ろ姿だった。
「……あれってそうだよな? おい、本物だよ! まさか本当に会えるなんて」
ジャッキーは興奮のあまりエルの背中を何度も叩きながら叫んだ。
「あぁ、たぶんそうだと思う。俺がたまに見かける爺さんだ」
見覚えのある禿げ上がった後頭部を見つめながら、エルは頷いた。
「どうしよう……アイクたちを呼びに行ってる時間、ないよね?」
弱気な声を出すフレディとは対照的に、ジャッキーは気楽な調子で言った。
「よし、ここはエルに任せよう。顔なじみなんだからな」
「顔なじみだなんて言ってない。たまに見かけるだけだって」
「でも、俺やフレディに比べたらお前のほうがずっと適任だ」
「なんでだよ」
言い争いを始めた二人を、慌ててフレディが止める。
「二人とも落ち着いて。ここで揉めているうちに、バグがどこかへ行っちゃうかもしれないよ」
フレディの言うとおりだった。エルはじっとバグの背中を見つめてから、みんなで一緒に行こうと提案した。
「あの爺さんがどんな奴かは分からないけど、見た目からして普通じゃない。なにか起こっても、三人ならなんとかなるだろう」
低木をかき分けながら、三人は老人のそばまでやってきた。最初に、エルが声を掛けた。
「ちょっと聞きたいことがあるんですが」
バズと呼ばれている老人は、ほんのわずかだけこちらへ振り返った。その横顔に刻まれた無数の皺や落ち窪んだ眼窩、肌の浅黒さなど、全てが少年たちの勇気を打ち砕くのに十分な威力を持っていた。
バズは無言のまま姿勢を戻してふたたび釣りに取り組んだが、エルは続けた。
「バズってあんたのことだよね? あぁ、いや、もしかしたら本当の名前は違うのかも知れないけど、俺たちはそう呼んでるんだ。その……あんたはすごい長生きで、色々なことを知っているんだろう? だから、あんたに聞きたいことがあるんだ。もし知っていたら、だけど」
一人で話し続けるうちに、だんだんと恐れは苛立ちへと変わっていった。馬鹿らしい。いったいなにをしているのだろう。
「なぁ、やっぱりやめようぜ。こんなこと意味ないよ」
エルはフレディたちを振り返って言った。
「一応最後まで聞いてみようよ」
フレディの声はかすかに震えていた。恐怖に耐えているフレディにそう言われては、エルも続けるしかなかった。
「俺たちはブレースってものを探しているんだけど、どこにあるか知らないか。実物は俺たちも見たことないんだけど、とても古くて貴重な物らしい」
しばらく待ってみたが、やはりバズは応えなかった。
エルは振り返って二人に目で合図をし、その場を離れかけた、その時。
「魔女の……魔女の家だ」
バグが初めて声を発した。それは枯れ木がきしむような、空虚に乾いた声だった。
「そこへ行ってみろ。そうすれば、あるいは――」
言葉はそこで途切れた。
「魔女の家? それってどこにあるんだ」
だが、バズは二度と口を開かなかった。エルたちはそれ以上聞き出すことを諦め、その場を離れた。
斜面を上りきったところで振り返ってみたが、すでに池の周りに老人の姿はなかった。
ツリーハウスへ戻ると、先に戻っていたアイクとロビィが木陰に座り込んでいた。ロビィはエルたちの浮かない顔を見ただけで、自分の計画が失敗したと思い込んだらしい。彼らの報告を聞く前に一人で喋りはじめた。
「やっぱりだめだったかぁ。変なこと言い出してごめんね。ジャッキーの言ったとおり、時間を無駄にしただけだったよ」
「そんなことないさ。収穫はなかったが、ただぼんやりと過ごすよりはずっと意味のある午前だった」
「アイク……」
優しい言葉をかけるアイクに、ロビィは目を潤ませる。話しづらい雰囲気の中、フレディがためらいがちに切り出した。
「その、実は僕たちバグに会ったんだ」
「やめてよフレディ。そんなふうに気を遣われると余計にショックだよ。……えっ、本当に。嘘じゃなくて?」
フレディが頷くと、ロビィはバネ仕掛けのオモチャのように地面から飛び上がった。
「ほら、やっぱり俺の言ったとおりだった! 絶対に上手くいくって思ってたんだよ」
「お前、いま俺たちに謝ってただろうが!」
「うるさいぞ、ジャッキー! 負け惜しみはみっともないぜ」
じゃれ合っている二人をよそに、アイクが珍しく興奮気味にフレディに詰め寄った。
「それで、なにか話は聞けたのか?」
フレディがバグを見つけた場所や経緯を二人に話した。ロビィはいちいち大袈裟な相槌を入れて話を何度も中断させたが、アイクは真剣な表情で聞いていた。
「魔女の家に行けって、そう言ってた。そうすれば、あるいは――」
「……あるいは?」
「そこまでしか話してくれなかったんだ。そのあとは無視されちゃって」
「魔女の家か。そんな場所、知ってるか?」
「さあ、聞いたことないね。それより」
と、ジャッキーは雑草の茂る木陰に倒れこむようにして寝ころんだ。
「はぁ……すごく疲れた」
ジャッキーにならい、エルも木陰で横になった。首筋に触れる雑草はひんやりとして気持ちが良い。木の葉の隙間を縫って降り注ぐ光のかけらがちらちらとエルの瞼をくすぐり、自然と大きなため息がもれた。
隣に座っているアイクのほうへ目を向けると、彼は妙に真剣な表情で何事か考え込んでいた。エルの視線に気づくと、彼は表情を緩めた。
「不思議な話だよな。そのじいさんって、一体何者なんだろう。……俺も会ってみたかったよ」
「同じ町に住んでるんだから、そのうち会えるだろう。でも、いかにも不審者って感じだし、頭も禿げてるから、別に会っても良いことなんてないぞ」
「なんだそれ。禿げてるのは関係ないだろう」
そう言ってアイクは笑った。
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